覆る常識と、一瞥の雷撃
「――試合、開始ッ!!」
審判の声がコロシアムに響き渡った瞬間、Cランクのライオネルが杖を高く掲げ、勝ち誇ったような笑い声を上げた。
「死なない程度に黒焦げにしてやる! 平民の身の程を知れッ! 《灼熱の連弾》ッ!!」
彼を取り囲んでいた数個の巨大な火球が、ごうごうと熱風を巻き起こしながらハヤトに向かって一斉に射出された。
熱波がコロシアムの空気を歪ませる。観客席からは、もはや勝負は決まったとばかりに歓声と嘲笑が入り混じった声が上がった。
だが、ハヤトは一歩も動かなかった。
背中の大盾を構えることすらせず、迫り来る炎の弾丸を静かに見据える。
(炎の温度、軌道、着弾までの時間……)
無意識に、ハヤトの脳裏に長年の癖である『物理の計算式』が浮かびかけた。
『ジリッ……』
頭の奥で、ステラの呪いが微かに警告音を鳴らす。だが、今のハヤトにとって、その呪いはもはや枷ではなく、正しい魔法の道へと導くための標識のようなものだった。
(違う。計算はいらない。俺が世界に命じるのは、『結果』だけだ)
ハヤトは深く息を吸い込み、右手の指先を、迫り来る炎ではなく、その後ろで杖を構えるライオネルへ向けて真っ直ぐに突き出した。
炎をどう防ぐかではない。炎ごと、彼を撃ち抜く。
詠唱も、予備動作もない。ただ純粋な、世界への絶対的な命令。
「――射抜け」
バチィィィィィィィィィィッ!!!!
コロシアムの空気を劈く、凄まじい雷鳴。
ハヤトの指先から放たれた極太の青白い雷撃は、ライオネルの放った火球と衝突……しなかった。
雷撃は空中で不可解な軌道を描き、火球の熱を一切受けることなくその隙間を縫うようにすり抜け、一直線にライオネルの胸元へと突き刺さったのだ。
「えっ……が、あぁぁぁぁぁぁっ!?」
ライオネルの身体が、雷の衝撃で宙に浮き上がった。
そして、彼が操っていた火球は、術者の意識が飛んだことで瞬時に霧散し、ハヤトの数メートル手前でかき消えるように消滅した。
ドサッ……。
白目を剥き、全身から微かに煙を上げながら、ライオネルが闘技場の石畳に崩れ落ちる。黒焦げにはなっていない。ハヤトが「気絶させるだけ」という結果を正確にイメージして手加減をしたからだ。
「…………」
数万人が詰めかけていたコロシアムが、水を打ったように静まり返った。
誰もが、今目の前で起きた現象を理解できずにいた。
詠唱もなし。
魔力を練る予備動作もなし。
Fランクの落ちこぼれが、ただ指を向けただけで、空中の軌道を無視した雷がCランクの貴族を一瞬で気絶させたのだ。
「……し、勝者ッ! ハヤトォォォォッ!!」
審判の教師が、震える声で勝者の名を叫んだ。
その瞬間、静寂に包まれていたコロシアムが、爆発的な大歓声とどよめきに包まれた。
「嘘だろ!? なんだ今の魔法!」
「詠唱してなかったぞ!? 無詠唱であんな威力を……!」
「Fランクの静電気じゃなかったのかよ!」
観客席が騒然となる中、貴賓席で身を乗り出していたテラが「よっしゃあぁっ!」とガッツポーズを決め、アクアが「ふぅ……」と安堵の息を吐いて胸を撫で下ろしていた。
「……ふん。あんな三流相手、一撃で倒せなきゃ困るわよ」
シルフィは腕を組み、ツンとした態度を崩さなかったが、その翠緑の瞳は誇らしげにハヤトの姿を見つめていた。
だが、その貴賓席の最も暗い隅の席。
分厚い魔導書から顔を上げていた魔族の少女、闇の天才・ノクスだけは、他の生徒たちとは全く違う視点でハヤトの魔法を分析していた。
「……面白いわね」
ノクスは、感情の読めない瞳を細めた。
「精霊の力も借りず、大気中の魔力も集めていない。……あの子の魔法は、自分自身の『意志』だけで、強引に世界の理を書き換えている。まるで、別の世界の神様が、この世界に命令を下しているみたい」
ノクスはパタン、と魔導書を閉じ、ハヤトの背中をじっと見つめ続けた。
常に孤独を愛し、他人に一切の興味を示さなかった闇の天才の心に、初めて「好奇心」という名の一滴の波紋が広がった瞬間だった。
闘技場では、ハヤトが静かに右手をおろしていた。
もはや、物理の計算に頼っていた過去の自分への未練は欠片もない。
(これが、魔法。俺の願いが、そのまま力になる……)
学園の常識を根底から覆したハヤトの快進撃は、ここから一気に加速していく。
Dランク、Cランク、Bランク……立ちはだかる上位の生徒たちを、ハヤトは次々と「一瞥」と「一撃」の雷撃で沈め、瞬く間にトーナメントを駆け上がっていった。
そして、ついに。
準々決勝の舞台で、ハヤトの前に学園最強の四極が一人――風の天才シルフィが立ちはだかるのだった。




