魔法薬学の合同授業と、水を包む雷
翌日の午後、王立ルミナス魔法学園の巨大な実験棟で、『魔法薬学』の合同授業が行われていた。
広々とした教室には、いくつもの大きな石造りの実験台が並び、生徒たちがグループごとに分かれて調合の準備を進めている。
「……なんで、アクア様があんなFランクのゴミ虫と同じ班に?」
「あいつ、アクア様の優しさに付け込んで無理やり頼み込んだに決まってるわ」
教室のあちこちから、ハヤトを刺すような嫉妬と嘲笑のヒソヒソ声が聞こえてくる。
学園の四極、水の天才と称されるアクアが、よりにもよって最底辺のハヤトを自ら指名して同じ班になったのだ。周囲の貴族生徒たちが面白いはずがない。
「あの……ハヤト君、ごめんなさい。私のせいで、嫌な思いをさせてしまって……」
隣の席で、アクアが申し訳なさそうに肩をすくめて謝ってきた。
ハヤトは苦笑して首を振る。
「気にしないでください。むしろ、俺みたいな落ちこぼれと一緒にいて、アクアさんの評判が下がるんじゃないかと心配していたくらいですから」
「そ、そんなことありません! ハヤト君の魔法は、すごく綺麗で……その、私、一緒にやれて嬉しいですっ」
アクアは頬をほんのりと赤く染め、両手で顔をパタパタと仰いだ。昨日の夕方、もつれ合って押し倒された時の感触を思い出してしまったのだろう。耳の横の小さなヒレが、パタパタと忙しなく動いている。
「さて、静かにしろ!」
白衣を着た老教師が教壇に立ち、杖を鳴らした。
「今日の課題は、『相反属性の安定化』だ。火を宿した『紅炎の魔石』の粉末をベースに、自分の魔力で生成した『霊水』を少しずつ注ぎ込み、中和・安定化させる。少しでも魔力の均衡が崩れれば、水蒸気爆発や魔力暴走を引き起こす危険な作業だ。慎重に行え」
生徒たちが一斉に真剣な表情になり、作業に取り掛かる。
「私が、霊水を注ぎますね。ハヤト君は、温度の確認をお願いできますか?」
「分かりました。ゆっくりで大丈夫ですよ」
アクアが両手をツボにかざし、彼女の指先から澄み切った清らかな水が魔石の粉末へと注がれていく。
だが、その時だった。
ボコッ……!!
ツボの中の『紅炎の魔石』が、通常ではあり得ないほどの異常な赤い光を放ち始めた。
「え……?」
アクアが魔力の供給を止めようとしたが、魔石は彼女の強大すぎる『水の魔力』を逆手に取り、連鎖的な反発作用を引き起こしてしまったのだ。
どうやら、学校側が用意した魔石のロットに、通常より不純物の多い粗悪品が混ざっていたらしい。
ゴポォォォォォォォッ!!
「きゃあぁぁぁっ!?」
ツボの中から、煮えたぎる熱湯のような激流が間欠泉のように噴き出した。
暴走した水の魔力が荒れ狂い、教室の天井にまで届くほどの水柱となる。
「あ、危ないッ! 全員離れろ!」
「結界を張れ!!」
教師や生徒たちがパニックに陥り、慌てて物理的な防壁魔法や、水を遮断する結界を展開する。
しかし、暴走の中心にいるアクアは逃げ遅れ、巨大な水柱のうねりに飲み込まれそうになっていた。
「どうしよう……私の魔力が、止まらなくて……ッ!」
アクアの瞳から涙が溢れる。
このままでは、熱湯と化した魔力水が爆発し、彼女自身が重傷を負ってしまう。
周囲の生徒たちが「感電するから雷魔法は使うな!」「ゴムの結界を!」と物理的な対処法を叫ぶ中、ハヤトはただ一人、計算を捨てた澄み切った瞳で暴走する水柱を見据えていた。
(物理法則なら、水に雷を撃てば感電して被害が拡大する。熱湯のエネルギーを抑えるには、冷却するか遮断するしかない……)
ハヤトの脳裏に浮かびかけた『理屈』を、彼は自らの意志で強引に叩き割った。
(違う! ここは魔法の理の世界だ。原因も相性も関係ない。俺の願いで、世界を上書きする!!)
ハヤトは、アクアの細い身体をかばうように前に飛び出し、荒れ狂う水柱に向かって右手を突き出した。
「――包み込めッ!」
バチィィィィィィィィィィッ!!!
ハヤトの指先から、眩いばかりの青白い雷撃が放たれた。
それを見た周囲の生徒たちは「馬鹿か!」「自爆する気だ!」と悲鳴を上げた。水に雷を撃ち込めば、大惨事になるのは火を見るより明らかだったからだ。
だが、次の瞬間。
教室中の誰もが、信じられない光景に息を呑んだ。
ハヤトの放った雷は、水を通って感電するのではなく、細い光の糸のように無数に枝分かれし、暴走する水柱の表面を『網の目』のように優しく包み込んだのだ。
「え……」
アクアが呆然と呟く。
雷の網は、物理的な絶縁体のように水を閉じ込め、荒れ狂うエネルギーを魔法的な干渉によって中和していく。水と雷という、本来なら反発し合うはずの力が、ハヤトの『彼女を守る』という純粋な願い(イメージ)によって、完璧な調和を見せていた。
シュウゥゥゥ……。
やがて、暴走していた魔力は完全に相殺され、水柱は静かに澄んだ水滴となって空中に舞い散った。
雷の網も光の粒子となって消え去り、後にはキラキラと輝く光の雨が、ハヤトとアクアの上に降り注いでいた。
静まり返る教室。
物理法則を無視した、あまりにも美しく、そしてあり得ない魔法の光景に、誰も声を発することができなかった。
「……怪我は、ないですか? アクアさん」
ハヤトが振り返り、光の雨の中で優しく微笑みかける。
「あ……はい……っ」
アクアの胸の奥で、トクン、と何かが大きく跳ねた。
恐怖から自分を救い出してくれた頼もしい背中。そして、自分の暴走した魔力すらも傷つけずに優しく包み込んでくれた、あの温かい雷の光。
「ハヤト君……わたし……」
アクアは、濡れた瞳でハヤトを真っ直ぐに見つめ、顔を林檎のように真っ赤に染め上げると、そのままふらりとハヤトの胸の中に倒れ込んだ。
「わっ、アクアさん!?」
「す、少しだけ……魔力を使いすぎて、立てなくて……。このまま、もたれかかっていても、いいですか……?」
アクアはハヤトの胸に顔を埋め、彼の制服をギュッと強く握りしめた。
その光景を目の当たりにした周囲の男子生徒たちからは、血の涙を流さんばかりの嫉妬の眼差しがハヤトに注がれることになったが、今のハヤトにとってそんなことはどうでもよかった。
(これが、魔法……。イメージが、理屈を超えた瞬間……!)
ハヤトは、アクアの柔らかな温もりを胸に感じながら、自分の手の中に確実に『真の魔法の理』が宿り始めていることを確信していた。




