水の天才アクアと、甘いアクシデント
「すごい……。今、雷が曲がりました……?」
驚きの声にハヤトが振り返ると、そこには自分の身体の半分ほどもある大きな素焼きのツボを両手で抱えた少女が立っていた。
夕暮れの陽光に透ける、青みがかった美しい長い髪。耳の横には、人魚族特有の美しく小さなヒレ飾りのような器官が微かに震えている。
学園のトップに君臨する四人の天才美少女の一人。
水の魔法を極めた『静水のアクア』。
彼女は、シルフィのような刺々しい雰囲気や、テラのような活発さとは無縁の、どこか庇護欲をそそるような、おっとりとした気弱そうな瞳をしていた。
「アクア、さん……?」
「あ、あのっ。ごめんなさい、勝手に覗き見するつもりはなかったんですけど……。魔法薬学の授業で使う霊水を運んでいたら、あなたの魔法が見えて……」
アクアはツボを抱えたまま、恥ずかしそうに身を縮めた。
「雷は、まっすぐ最短距離を落ちるものだって、魔法の教本には書いてあります。でも、あなたの雷は、まるで生き物みたいに障害物を避けて……。あんな魔法、私、見たことありません」
アクアの瞳には、純粋な好奇心と尊敬の光が宿っていた。
学園の最底辺であるFランクのハヤトを嘲笑する生徒が多い中、彼女だけは、先入観なくハヤトの『結果』そのものを評価してくれている。
「……理屈を捨てたんです。雷の通り道じゃなくて、『的を撃ち抜く』っていう結果だけを強くイメージしました。俺も、さっきようやくコツを掴んだところなんですが」
ハヤトが少し照れくさそうに頭を掻くと、アクアは「結果だけをイメージ……」と呟きながら、尊敬の眼差しでハヤトへと一歩歩み寄ろうとした。
その瞬間。
重い霊水のツボを抱え続けて限界だった彼女の細い腕が、わずかにバランスを崩した。
さらに不運なことに、彼女の足元には訓練場の石畳の小さな段差があった。
「あっ……!」
アクアの足がもつれ、重いツボごと前のめりに倒れ込んでいく。
このままでは、ツボが割れるだけでなく、彼女自身も石畳に顔を打ちつけて大怪我をしてしまう。
(助けないと……!)
ハヤトの身体が咄嗟に動いた。
かつてのハヤトなら、彼女の体重とツボの質量、落下速度から衝突地点を計算し、最も効率的な『軌道』で腕を伸ばそうとしただろう。
だが、今のハヤトは違う。
計算を捨て、ただ「彼女を守る」という純粋な『願い』だけで大地を蹴った。
魔力による身体強化ではなく、鍛え抜かれた冒険者としての純粋な脚力。
ハヤトは石畳を滑るように滑り込み、アクアの身体とツボの間に自身の身体を滑り込ませた。
ガシャンッ!!
ツボはハヤトの背中に背負っていた『キャパシタシールド』に激突して大きな音を立てたが、割れることはなかった。
しかし、その勢いを殺しきれず、二人は激しくもつれ合いながら石畳の上を転がった。ツボの中から冷たい霊水が盛大にこぼれ、二人の身体に降り注ぐ。
「いっ……てて……。アクアさん、怪我は――」
ハヤトが目を瞬かせ、状況を確認しようとした直後。
彼は、自分がとんでもない体勢になっていることに気がついた。
ハヤトは、仰向けに倒れたアクアの上に、完全に馬乗りになるような形で覆い被さっていた。
しかも、落下から彼女を庇うために伸ばした両手は、アクアの胸元――水を吸って制服の布地ごと重みを増した、驚くほど柔らかく、そして豊かな双丘を、両手でしっかりと揉みしだくような形で下敷きにしてしまっていたのだ。
「えっ……」
ハヤトの顔が、一瞬にして沸騰した。
至近距離にあるアクアの顔。霊水を浴びた彼女の人魚特有の白い肌は、濡れて真珠のように妖艶な艶を放っている。そして、制服は水に透け、彼女のなだらかな曲線美をこれでもかとハヤトの目に焼き付けていた。
「あ……ぅぅ……っ」
アクアの顔が、耳の先のヒレまで真っ赤に染まり上がる。
シルフィなら間違いなく真空の刃が飛んできている絶体絶命の状況だ。ハヤトは血の気が引く思いで、慌てて飛び退こうとした。
「ご、ごめんなさい!! わざとじゃないんです! 庇おうとして、つい手が滑って――!」
「ち、ちがうんです……!」
アクアはハヤトを突き飛ばすどころか、逆に両手で顔を覆い、涙目で首を横に振った。
「私が……私がドジだから、ハヤト君に痛い思いをさせて……。か、庇ってくれて、その、ありがとうございました……っ」
怒るどころか、ハヤトの背中(盾)が衝撃を受けてくれたことを心配し、泣きそうになりながらお礼を言ってくるアクア。
そのあまりにも純粋で健気な態度に、ハヤトの心臓が、先ほどの感触とは別の意味でドクンと大きく跳ねた。
「お、俺のほうこそ、変なところを触ってごめんなさい! あ、立てますか?」
ハヤトが慌てて立ち上がり、手を差し出す。
アクアは顔を真っ赤にしたまま、震える手でハヤトの手を握った。
人魚族の彼女の手は、霊水に濡れて少しひんやりとしていたが、握り返してくる力には、確かな熱がこもっていた。
「……ハヤト、君」
アクアは立ち上がると、濡れた前髪の隙間から、上目遣いでハヤトを見つめた。
Fランクの落ちこぼれだと誰もが馬鹿にする中、彼だけは自分を小馬鹿にもせず、身を呈して守ってくれた。しかも、彼の放つ魔法は、水の天才である自分すら魅了するほどに美しかった。
「あ、あのっ……。明日の魔法薬学の授業、もしよかったら、私と……同じ班に、なってくれませんか……?」
蚊の鳴くような、それでも勇気を振り絞った小さな声。
ハヤトは少し驚いた後、ふっと柔らかく微笑んだ。
「はい。俺でよければ、よろしくお願いします、アクアさん」
その笑顔に、アクアは「ふぁっ……」と小さく声を漏らし、さらに顔を赤くしてツボの後ろに顔を隠してしまった。
静電気しか使えないはずの少年が、学園の四極の一人である水の天才の心を、知らず知らずのうちに大きく揺り動かした瞬間だった。




