保健室のツンデレと、曲がる雷撃
目を覚ますと、そこは真っ白な天井の下だった。
微かに漂う薬草の香りと、清潔なシーツの感触。どうやら、学園の保健室のベッドに寝かされているらしい。
「……っ」
身を起こそうとして、まだ頭の奥に微かな鈍痛が残っていることに顔をしかめる。
だが、あの『思考封じの呪い』が発動した時の、脳が焼き切れるような激痛は完全に消え去っていた。
「……ようやく目を覚ましたようね、Fランクの変態ドスケベ落ちこぼれ」
突然、ベッドの横から冷ややかな声が降ってきた。
ハヤトが驚いて横を向くと、椅子に深く腰掛け、腕を組んでこちらを睨みつけているエルフの美少女、シルフィの姿があった。
ハヤトは森の泉での出来事を思い出し、顔から火が出るほど赤くなった。
「し、シルフィさん!? あの、泉のことは本当にわざとじゃなくて、足が滑って……!」
「うるさいっ!! あれは事故! 不可抗力! もし誰かに一言でも喋ったら、あんたの首から下を真空の刃で千切りにして豚の餌にするわよ!!」
シルフィは顔を真っ赤にして立ち上がり、ハヤトに顔を近づけて凄んだ。
その勢いに押され、ハヤトは「は、はい、絶対に言いません……!」と何度も首を縦に振った。
「……ふん。まぁ、いいわ」
シルフィはコホンと一つ咳払いをし、再び腕を組んで椅子に座り直した。
「森で倒れていたあんたを、私がここまで運んであげたのよ。感謝しなさい。……言っておくけど、死体を放置して泉の水が汚れるのが嫌だっただけだからね! 勘違いしないでよね!」
典型的な言い訳を早口でまくしたてるシルフィ。学園一の天才ともてはやされ、常にツンケンしている彼女が、わざわざ気絶した自分を保健室まで運び、しかも目が覚めるまで傍についていてくれたのだ。
ハヤトは少しだけおかしくなり、ふっと微笑んだ。
「ありがとうございます、シルフィさん。助かりました」
「べ、別に……。それより、あんたに聞きたいことがあるの」
シルフィの翠緑の瞳が、スッと真剣な色を帯びた。
「あんた、森で私の魔法を防いだ時……何をしたの?」
「何って……」
「あんたの魔力には、詠唱の気配も、魔力を練り上げる予備動作も一切なかった。それに、何も無い晴天の空から直接雷を落とすなんて、精霊に愛されたエルフの私にだって不可能な芸当よ。……あんた、本当はFランクなんかじゃないんでしょ?」
シルフィの問いかけに、ハヤトは自分の右手を見つめた。
あの時、自分はどうやって雷を落としたのか。
(……理屈を捨てたんだ。雷を落とすための道筋や理由を考えるんじゃなく、ただ『結果』だけを世界に命じた)
呪いによって物理の思考を封じられたからこそ、ハヤトは初めて「イメージ(願い)の力」だけで世界に干渉したのだ。
「……シルフィさんが、俺を本気で殺そうとしてくれたおかげですよ」
「はぁ!? なによそれ、嫌味!?」
「違います。あなたが俺の『理屈』を吹き飛ばすほどの危機を与えてくれたから、俺は初めて、本物の魔法に触れることができた。本当に、感謝しているんです」
ハヤトが真っ直ぐにシルフィの目を見て言うと、彼女は「なっ……」と絶句し、みるみるうちに耳の先まで真っ赤に染め上げた。
「ば、ばかじゃないの!? 感謝する相手が違うわよ! もう勝手にしなさい、私は帰るわ!」
シルフィは慌てて立ち上がり、逃げるように保健室の扉へと向かった。
しかし、扉を開ける直前で立ち止まり、背中を向けたままポツリと呟いた。
「……ベッドの横の棚。最高級の魔力回復薬を置いておいたから。ちゃんと飲んで、さっさと元通りの魔力に戻しなさいよね。……学内ランキング戦で、またあの雷を私に見せなさい」
バタンッ、と大きな音を立てて扉が閉まった。
ハヤトが横を見ると、小瓶に入った高価なポーションがちょこんと置かれている。ハヤトは苦笑しながら、それを手に取った。
数日後。
ハヤトは放課後の訓練場で、たった一人で的に向かい合っていた。
目の前には的を隠すように、大きな岩の障害物を置いている。
(物理の法則なら、電気は抵抗の少ない『最短距離』を通ろうとする。岩があれば、それを避けるか、岩そのものを破壊して進むしかない)
ハヤトは右手を突き出す。
(だが、魔法は違う。世界への命令だ。……俺の意志は、最短距離というルールすら上書きする)
ハヤトは的を見据え、ただ一つの結果だけを命じた。
岩を迂回し、的だけを撃ち抜け、と。
「――穿て」
バチィィィィッ!!
ハヤトの指先から放たれた青白い雷撃は、空間を直進……しなかった。
雷撃は空中であり得ない「鋭角のカーブ」を描き、まるで意志を持っているかのように岩の障害物をぐるりと迂回して、その裏に隠された的だけを正確に黒焦げにした。
「……できた」
ハヤトは歓喜に拳を握りしめた。
物理法則では絶対に曲がらないはずの軌道を、魔法のイメージがねじ伏せた。原因がどうであれ、結果を強要する。それが真の魔法の理だ。
もう、物理の数式を頭に思い浮かべて呪いの頭痛に苦しむ必要はない。ハヤトは完全に、魔法という新しい言語を理解し始めていた。
「すごい……。今、雷が曲がりました……?」
ふと、背後からおずおずとした、鈴を転がすような可愛らしい声が聞こえた。
ハヤトが振り返ると、そこには大きな魔法薬の入ったツボを両手で抱え、目を丸くしてこちらを見つめる少女が立っていた。
青みがかった透き通るような長い髪に、優しげで少し気弱そうな瞳。
学園の四極が一人、水の天才と呼ばれる人魚族の美少女、アクアだった。




