万象の塔と、幼き大魔道士
果てしなく続く東の大平原を抜け、ハヤトはついに伝説の地へと足を踏み入れていた。
雲を突き抜け、天を支えるかのようにそびえ立つ巨大な石塔――『万象の塔』。
そこは、世界中のあらゆる魔法の理が記録され、管理されていると噂される場所だった。
「ここが……魔法の真理の場所」
ハヤトは、背中に背負った大盾の重さを噛み締めながら、塔の入り口に佇んだ。
王都からここまで、道中で戦った魔物相手に、ハヤトは意識して「力」を振るった。
しかし、何度試しても、かつてのように雷を自在に操ることはできなかった。
ある時はパチパチと頼りない火花が散るだけ、またある時は、狙いを外して明後日の方向へ放電するだけ。
まるで、自分の体内にあるはずのエネルギーの出口が、どこかへ隠れてしまったかのような感覚だった。
「俺は、自分の力すら制御できていない……。だから、ここへ来たんだ」
ハヤトが重い扉を押し開けると、塔の中は外観からは想像もつかないほど広大な空間だった。無数の浮遊する古書が本棚から出入りし、至るところで魔法の光が明滅している。
「あら。迷い込んできた子猫ちゃんかしら?」
甘く、それでいて深淵のような響きを持つ声が響いた。
ハヤトが音のする方を見上げると、書物の山の上に、銀色の長い髪をした一人の少女が腰掛けていた。
齢数百年を超えると言われる大魔道士――ステラ。
その姿は、ハヤトより少し年下に見えるほど可憐で、どこか浮世離れした雰囲気を纏っていた。
「……あなたが、大魔道士ステラ様ですか。俺はハヤト。魔法の理を学びたくて、はるばるここまで来ました」
ハヤトは深く頭を下げた。
ステラは手にした古書をパタンと閉じると、軽やかな身のこなしで宙を舞い、ハヤトの目の前へと降り立った。彼女の瞳には、子供の無邪気さと、すべてを見通すような冷徹な知性が混在している。
「魔法を学びたい? ふふっ、滑稽ね」
ステラはくすりと笑い、ハヤトの周囲を蝶のように舞いながら観察した。
「あんたの魔力、ずいぶんと歪ね。電気だか雷だかを知らないけれど、ただ自分の体内に溜まったエネルギーを、頭の中で複雑な数式を組み立てて、無理やり外に押し出しているだけ。……魔法でもなんでもないわ。ただの、原始的なエネルギー増幅器よ」
ハヤトは言葉を失った。
図星だった。これまでハヤトが「魔法」だと思っていたものは、あくまで電気というエネルギーを、物理的な計算で変換し、強引に形を変えていただけのものだったからだ。
「あんたがやっているのは『力学』の言い訳よ。自分の手の中に雷があるんじゃない。頭の中の計算式を現実に投影しているだけ。そんな幼稚な方法で、世界を操れると思ったら大間違いよ」
ステラは、小さな指先をハヤトの額にスッと当てた。
「あんたの頭は、硬い鉄板よりも融通が利かないわ。物理だの、抵抗だの、電圧だの……そんなちっぽけなルールの枠の中に閉じこもっている限り、魔法の本当の自由なんて一生理解できない」
「……どうすればいいんですか」
ハヤトの問いかけに、ステラは妖しく微笑んだ。
「その『物理的な理屈』を捨てなさい。捨てられないなら、捨てさせるまでよ」
ステラが指先から青白い光を放ち、ハヤトの額に呪印を刻み込んだ。
頭の奥で、ジリリリリ……という嫌な耳鳴りがした。
「な……っ!?」
ハヤトが反射的に「回路の抵抗」や「放電距離」といった、物理の計算式を脳内で組み立てようとした瞬間、頭を金槌で打ち抜かれるような激痛が走った。
「あぁぁっ……!!」
ハヤトはその場に崩れ落ち、床を転げ回った。
「言ったはずよ。あんたが『理屈』を考えようとするたび、その呪いが脳を焼き尽くすようにしてあげる。二度と、その貧弱な計算式で魔法ごっこはできないわ」
「な、なんてことを……!」
ハヤトは激痛に耐えながら、ステラを見上げた。
ステラは冷たい瞳でハヤトを見下ろし、冷酷な宣告を下した。
「魔法はもっと自由よ。あんたが信じているその窮屈な『理屈』を完全に破壊して、心の底から『願い』を描けるようになるまで……その頭痛からは逃げられないわ」
ハヤトの手から、今まで出せていた静電気が完全に消えた。
物理という「計算機」を奪われたハヤトは、ただの無力な少年へと成り下がった。
「さあ、あんたをどうしてくれようかしら。……そうね、ちょうどいい学び舎があるわ。そこで、0から魔法を学び直してきなさい」
ステラが再び指を鳴らすと、ハヤトの足元に巨大な光の魔法陣が現れた。
ハヤトは抵抗する間もなく、眩い光の中に飲み込まれていった。
物理の檻を奪われ、魔法の深淵へと突き落とされたハヤトの、新たな試練が幕を開けた。




