犬猿の仲と、交わらない平行線
その日の夜、城塞都市グラン・ロアのギルド酒場は、異様な緊張感に包まれていた。
普段なら荒くれ者の冒険者たちが大声で騒ぎ、エールを煽っている時間帯だというのに、今夜は誰もが押し黙り、ヒソヒソと声を潜めている。
原因は明白だった。
酒場のフロアの四隅。そのうちの三つの角席に、この街に滞在する三人のAランク冒険者――神速のジン、重圧の魔術師ヴォルグ、金剛の僧侶ドーガが、それぞれ一人で陣取っていたからだ。
「……息が詰まりそうね。なんであの三人、よりによって同じ時間に酒場に来るのかしら」
リアナが、自分の席で小さく身を縮めながらエールのジョッキを両手で包み込んだ。
ミナも怯えたように頷き、セレスティアは気まずそうに視線を泳がせている。
三人のAランク冒険者は、互いに一言も口を利かず、ただ黙々と自分の食事を進めている。
ギルドで囁かれている噂によれば、彼らは『顔を合わせれば殺し合いになりかねないほどの犬猿の仲』だという。圧倒的な力を持つ彼らがもしこの酒場で衝突すれば、周囲の冒険者ごと建物が吹き飛びかねない。
「ハヤト君、私たちも早く食べて、宿に戻りましょう……」
「そうですね。でも……少し変だと思いませんか?」
ハヤトは、テーブルに置いた水の入ったグラスを見つめながら、静かに三人の様子を観察していた。
「変って、何がよ。今にも殺し合いが始まりそうな最悪の雰囲気じゃない」
「ええ。周囲の冒険者たちはそう思って怯えています。でも、当の本人たちからは、殺気なんて微塵も感じませんよ」
ハヤトの言葉に、三人の少女たちが首を傾げる。
ハヤトは視線だけで、部屋の隅にいる男たちを順に示した。
「ジンを見てください。さっきから、ナイフで肉を切るペースが異様に早くなったり遅くなったりしています。あれだけ完璧に無駄のない身体の動かし方をする人が、ひどく落ち着きがない。……ヴォルグもそうです。彼のテーブルの上のグラス、魔力制御が乱れているせいで、水面がずっと小刻みに震えている」
「ほんとだ……。ドーガなんて、お肉の骨までボリボリ噛み砕いてるけど、どこか虚空を見つめて固まってるわね」
リアナが不思議そうに目を細める。
彼ら三人は、互いを睨みつけているわけではない。
むしろ、絶対に他の二人と目が合わないように、必死に壁の木目や手元の皿ばかりを見つめているのだ。その姿は、一触即発の強者というよりも――。
「……彼ら、お互いを憎み合っているわけじゃない。ただ、どう接していいか分からなくて、極度に緊張しているだけなんだ」
ハヤトの冷静な分析に、セレスティアが「えっ?」と間の抜けた声を漏らした。
「緊張してるって……あんな化け物みたいな強さのAランクが? ただの『極度の人見知り』だって言うの!?」
「そうとしか思えません。圧倒的な力を持っているせいで、彼らはこれまで誰とも対等に連携を取ってこなかった。だから、自分と同じレベルの実力者であるお互いを前にして、どう声をかけていいのか分からず、ただ固まっているんです」
ハヤトの視界の端で、白衣の教授が黒板に二本の直線を引いた。
『ふむ。幾何学で言うところの“平行線”じゃな。彼らは反発し合っているわけではない。互いのベクトル(方向性)が強すぎるあまり、交わるための“接点”を見つけられずにいるだけじゃ。誰かが補助線を引いてやらん限り、彼らは永遠に交わることはないじゃろう』
(補助線……か)
ハヤトは小さく息を吐いた。
少し前の自分なら、彼らの状況を「連携が取れない非効率な状態」と切り捨てていただろう。
あるいは、電気や機械の理屈に当てはめて、無理やり答えを出そうとしていたかもしれない。
だが、ガルドの死を経て、ハヤトは学んでいた。
どんなに強力な個の力があっても、仲間との繋がりがなければ、たった一つのほころびで簡単に崩れ去ってしまうということを。
「……ちょっと、行ってきます」
ハヤトは席を立ちあがった。
「ちょっ、ハヤト!? どこ行くのよ!」
「あの三人に、話しかけてみます。もし本当に彼らがただの不器用なだけなら……あの強力な力を、バラバラにしておくのはあまりにも勿体ないですから」
リアナたちの静止を振り切り、ハヤトは真っ直ぐにフロアを横切った。
酒場の冒険者たちが「おい、あのガキ気でも狂ったのか!?」と息を呑む中、ハヤトはまず、一人でナイフを弄っていた神速のジンへと近づいていった。
「――ジンさん。相席、いいですか」
ハヤトが声をかけた瞬間。
ピタッ、とジンのナイフを動かす手が止まった。
ジンはハヤトを見上げ、その鋭い三白眼をわずかに見開いた。まるで「まさか自分に話しかけてくる奴がいるなんて」とでも言いたげな、純粋な驚きの表情だった。
「……用件は何だ。俺は誰とも組まない」
ジンは低い声で、精一杯の威嚇のように言い放った。
しかし、ハヤトの目は誤魔化せなかった。ジンの足首が、テーブルの下で貧乏ゆすりのように小刻みに震えているのを、ハヤトはしっかりと捉えていた。
(やっぱりだ。この人、ただの口下手で不器用なだけなんだ)
ハヤトは警戒を解き、ふっと微笑みかけた。
「いえ、パーティを組んでくれという話じゃありません。ただ、あなたがさっきから、向こうにいるヴォルグさんやドーガさんのことを、とても気にしているように見えたので」
「なっ……!?」
ジンの顔に、図星を突かれたような動揺が走った。
ハヤトはそのまま、遠くにいるヴォルグとドーガにも聞こえるように、少しだけ声を張り上げた。
「もし良ければ、四人で同じテーブルでお酒でも飲みませんか? 俺が、皆さんの話の『橋渡し』をしますよ」
そのハヤトの提案が、城塞都市に君臨していた三つの孤高を、初めて一つのテーブルへと引きずり出すきっかけとなるのだった。




