重圧の魔術師と、特異点の重力場
神速のジンによる圧倒的な暴力の残滓を目の当たりにした翌日。
ハヤトたちは、城塞都市の郊外にある広大なギルド専用訓練場を訪れていた。
この過酷な最前線で戦い抜くため、各々の装備や魔力の調子を確かめておく必要があったのだ。
ハヤトは背中に重い『キャパシタシールド』を背負ったまま、周囲の冒険者たちの訓練風景を観察していた。王都の訓練場とは違い、ここでは魔法の爆発音や剣の打ち合いが実戦さながらの殺気を帯びている。
「ふふん。この街の連中がどれだけ猛者揃いか知らないけれど、魔法の威力と精密さなら、アルバーン家の私だって負けてないわよ!」
セレスティアが自信満々に杖を振りかざし、訓練用の巨大な岩の的に向けて極大の火球を放った。
轟音と共に岩の表面がドロドロに溶け落ちる。Bランク昇格の原動力となった、彼女の最高火力の魔法だ。周囲の冒険者たちも、その威力を見て「おっ」と感嘆の声を漏らしていた。
「どう? これならAランクの魔物だって焼き尽くせるわ!」
セレスティアが誇らしげに振り返った、まさにその瞬間だった。
――ギシッ。
空間そのものが、嫌な音を立てて軋んだ。
ハヤトは突如として全身にのしかかってきた「異常な重み」に、思わず膝をつきそうになった。背負っているキャパシタシールドの重量が急激に増したわけではない。ハヤト自身の体重、いや、周囲の空気そのものが鉛のように重くなったのだ。
「え……っ? な、なにこれ……息が……っ」
ミナが苦しそうに胸を押さえてしゃがみ込み、リアナも双刃を地面に突き立てて必死に身体を支えている。
セレスティアに至っては、杖を持つ手が震え、先ほどまで燃え盛っていた岩の的の余韻の炎が、まるで見えない巨大な手で押し潰されるように「プツン」と掻き消えてしまった。
「炎が……潰された……?」
驚愕するセレスティアの視線の先。
訓練場の一角に、いつの間にか一人の男が立っていた。
長身で、厚手のローブをすっぽりと被った陰気な風貌の男。手には装飾の一切ない、黒曜石のような無骨な杖を握っている。
「……ヴォルグ様だ。重圧の魔術師、ヴォルグ様が訓練に来たぞ……!」
周囲の冒険者たちが、這うようにしてその場から遠ざかっていく。
男――ヴォルグは、周囲の様子など一切気に留める様子もなく、訓練場の最も奥にある、家一軒ほどもある特大の巨岩に向けて杖を向けた。
呪文の詠唱すらない。
ただ、ヴォルグが杖を軽く握り込んだだけで。
メキメキメキメキィィィッ!!
巨大な岩が、四方八方から見えないプレス機で圧縮されるように、凄まじい音を立てて中心へとひしゃげていった。
岩の破片が飛び散ることはない。すべての質量が、ただ一点の「中心」に向かって強制的に収束していくのだ。
『マスター! あれは純粋な“重力制御”の魔術じゃ!』
ハヤトの網膜上で、白衣の教授がかつてないほど巨大な数式を展開した。
『万有引力の法則! あの男は、標的の中心に極めて質量の大きい“特異点(局所的な重力場)”を人工的に生み出しておる。標的自身の質量が、中心の強大な引力に引きずり込まれ、自重で崩壊していく……!』
(自重で崩壊……!? 星の寿命が尽きる時の、重力崩壊と同じ原理か!)
ハヤトは息を呑んだ。
家ほどもあった巨岩は、わずか数秒のうちに「手のひらに収まるほどの極小の石ころ」へと圧縮されてしまった。
限界まで圧縮された物質は、逃げ場を失った熱エネルギーを放ち、周囲の空気を赤熱させる。もしあの中に生きた魔物が、あるいは人間がいたとしたら、血の一滴すら残さずに極小の肉塊へと圧縮されてしまうだろう。
カラン……。
超高密度に圧縮された小さな石ころが、地面に転がり落ちた。
ヴォルグはそれに一瞥もくれず、杖を下ろした。
重力場が解除され、訓練場を覆っていた異常な重圧がスッと消え去る。
「はぁっ……はぁっ……」
セレスティアはその場にへたり込み、荒い息を吐きながら、信じられないものを見る目でヴォルグの後ろ姿を見つめていた。
自分の最高火力の炎が、ただの「余波」だけで掻き消された。魔法の構造、出力、そのすべてにおいて、次元が違いすぎる。同じ魔法使いとして、その絶望的なまでの格の違いを、彼女は魂の底から叩きつけられたのだ。
「……あの人も、Aランク冒険者。ジンと同じで、完全に『ソロ』で活動している……」
ハヤトは背中のキャパシタシールドを下ろし、地面に立てながら呟いた。
「どうしてあんなに凄い魔法が使えるのに、誰ともパーティを組まないんですか……?」
ミナが青ざめた顔で尋ねる。
ハヤトは、ヴォルグの放った重力の余波によって、周囲の地面がすり鉢状に陥没しているのを見て、その理由をシステム的な観点から理解した。
「組めないんですよ。……彼の魔術は、出力が高すぎる上に『周囲への影響』が大きすぎるんです」
ハヤトの言葉に、リアナがハッとして陥没した地面を見た。
「あの魔法を実戦で使えば、敵だけじゃなく、前に立っている味方の前衛まで一緒に重力で押し潰されてしまう。並の盾役じゃ、彼の魔法の余波にすら耐えられない。……彼は、接続した他の部品(味方)をその異常な出力で焼き切ってしまう、規格外の『巨大発電機』なんだ」
ヴォルグは誰とも目を合わせず、無言のまま訓練場を後にした。
誰も声をかけられない。彼の放つ圧倒的な重圧と、他者を拒絶するような陰気なオーラが、周囲に絶対的な壁を作っていた。
「……私の魔法なんて、あの人の前じゃ、ただのマッチの火ね……」
セレスティアが、泥だらけになった自分の杖を握りしめ、悔しそうに唇を噛んだ。
貴族としての誇りも、魔法の天才という自負も、Aランクという規格外の理の前では全く意味を成さなかった。
神速の盗賊、ジン。
重圧の魔術師、ヴォルグ。
パーティという回路を組めず、己の圧倒的な能力だけで独立稼働を続ける彼らの存在は、ハヤトたちに「さらなる高み」と「超えられない壁」を同時に突きつけていた。




