暴食の盾と、独りよがりな最適解
轟鳴の谷の最深部。
すり鉢状になった広大な岩場の中央で、その巨大な魔獣は待ち構えていた。
「グルルルル……ッ!」
獅子の頭、山羊の胴体、そして毒蛇の尾を持つ巨大な合成獣。しかし、通常のキマイラと違うのは、その全身から絶え間なく青白い放電現象が起き、周囲に竜巻のような暴風をまとっていることだった。
特異個体『ストーム・キマイラ』。
Bランク昇格試験のターゲットであり、谷の生態系の頂点に君臨する絶対的な主である。
「すげえ魔力だ……。風と雷が混ざり合って、息をするだけで肌がビリビリしやがる」
ガルドが大盾を構え、顔を引きつらせた。
リアナは双刃を抜き、セレスティアは杖の先に極大の炎を圧縮し始める。ミナも後方から治癒の魔力を高め、いつでも回復を飛ばせるように備えた。
「ハヤト! あいつの雷撃はワイバーンの比じゃねえぞ! まともに受ければ盾の容量ごと吹き飛ばされかねん。俺と二人で交互に攻撃を逸らしながら……」
「必要ありません、ガルドさん」
連携の指示を出そうとしたガルドの言葉を、ハヤトは冷たく遮った。
彼は一人、パーティの最前線へと歩み出る。左腕のキャパシタシールドは、これまでの道中で吸収した魔力ノイズによって、すでに限界に近いエネルギーを蓄え、不気味な黒い光を放っていた。
「あいつの攻撃は、俺が全部一人で受け止めます。皆さんはそこから動かないでください」
「ハヤト、お前ッ……!」
「容量はまだ10%残っている。キマイラの最初の一撃を吸収すれば、盾のメーターはちょうど100%になる。……最大の攻撃を叩き込むための、これが一番の『最適解』です」
ハヤトは両足の筋肉に強烈な電気信号(EMS)を叩き込み、地面の岩盤を砕くほどの力で踏み込んだ。
痛覚を麻痺させ、筋繊維が引き裂かれる音すらも脳からシャットアウトする。
キマイラが侵入者に向けて、天地を揺るがすような咆哮を上げた。
次の瞬間、上空の分厚い雲から、大木ほどの太さを持つ極太の落雷がハヤトめがけて真っ直ぐに落ちてきた。回避不能の絶対的な一撃。
『マスター! 盾の容量は足りても、お前の肉体の“限界応力”を超えるぞ!』
視界の端で、教授が警告のウィンドウを真っ赤に点滅させる。
物理的な衝撃は盾で吸収できない。そのすべては、盾を支えるハヤトの左腕と足腰が負担しなければならないのだ。
「耐えろ……俺の土台(筋肉)ッ!」
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
谷全体が白く染まるほどの閃光と、鼓膜を破るような轟音。
落雷の直撃を受けたハヤトの足元の岩盤が、クレーターのようにすり鉢状に陥没した。
強大な雷のエネルギーは、黒い大盾の表面を這い回り、すべてコンデンサの内部へと暴食の獣のように吸い込まれていく。
「ぐ、がぁぁぁぁッ……!!」
ハヤトの口から、血まみれの呻き声が漏れた。
痛覚は麻痺させているはずなのに、それを貫通してくる絶対的な衝撃。左腕の筋肉が限界を超えて悲鳴を上げ、皮膚の下で毛細血管が次々と弾け飛ぶのが分かる。
それでもハヤトは、決して膝をつかなかった。
「……充電、完了」
土煙が晴れた後。
ボロボロになりながらも立ち続けるハヤトの左腕で、キャパシタシールドが「限界容量(100%)」を知らせる青白いプラズマを吹き出していた。
「嘘でしょ……あんな規格外の雷を、一人で受け止めきったっていうの……!?」
セレスティアが震える声で呟く。
ハヤトは口から流れる血を拭いもせず、右腕のガントレットをキマイラへと向けた。
「全部、返してやる。……レールガン、最大出力ッ!!」
盾に蓄積された莫大なエネルギー。敵の雷撃、道中の魔力ノイズ、そのすべてが圧縮された純度100%の電気エネルギーが、ハヤトの右腕に直結した二本の導線へと一気に流れ込んだ。
バチィィィィィィィィィィンッ!!!!
放たれたのは、もはや雷というよりも「光の柱」だった。
超大電流によって発生した強烈な磁場が、ハヤトの放った金属の分銅を音速すら超える速度で射出する。
キマイラが回避行動をとる暇すらなかった。
極太の光の柱が、キマイラの強靭な肉体を真正面から一撃で貫き、谷の奥の岩壁ごと消し飛ばしたのである。
凄まじい爆発が起こり、ストーム・キマイラは断末魔の叫びを上げる間もなく、跡形もなく消滅した。
「……目標の沈黙を確認。ミッション、コンプリートです」
静まり返った谷底で、ハヤトは焦げ臭い煙を吐き出す大盾を下ろし、振り返った。
「見ましたか? 誰一人怪我することなく、最適かつ最速でボスを倒しました。これが、完成した俺のシステムです」
痛覚を麻痺させているハヤトは、自分がどれほど酷い顔をしているかに気づいていなかった。左腕は内出血でどす黒く腫れ上がり、呼吸は浅く、足は小刻みに震えている。
それでも彼は、自分の構築した理論が完璧に機能したことに酔いしれ、傲慢な笑みを浮かべていた。
だが、彼を出迎えたのは、歓喜の声でも称賛の拍手でもなかった。
「……バカじゃないの」
リアナが、心底冷めきった、氷のような声で吐き捨てた。
ハヤトはハッとして目を見開く。
「ハヤト君……ひどい、そんなボロボロになって……どうして、私たちを頼ってくれないんですか……っ」
ミナは両手で顔を覆い、ポロポロと涙を流して泣き崩れていた。
セレスティアも、軽蔑と悲しみが入り混じったような目でハヤトを睨みつけている。
「効率? 最適解? ……ふざけないで。自分一人で勝手に傷ついて、勝手に完結して。そんなの、パーティでもなんでもないじゃない! 私たちは、あなたの後ろでただ見ているだけの『お荷物』だったって言うの!?」
「え……いや、俺は皆さんの安全を最優先に……」
ハヤトが戸惑って言い訳をしようとした瞬間。
ガツンッ!!
「ぐあッ!?」
ガルドの重い拳が、ハヤトの頬に容赦なく叩き込まれた。
痛覚の麻痺が強制的に解け、全身の激痛がフラッシュバックしてハヤトは地面に崩れ落ちた。
「ガ、ガルドさん……?」
「……お前が作った盾の理屈は完璧だ。だがな、ハヤト。自分の体を壊すことを前提にした戦術なんてのは、戦術とは呼ばねえ。ただの『自殺志願者』だ」
ガルドは、今まで見たこともないほど恐ろしい、静かな怒りを湛えた目でハヤトを見下ろしていた。
「俺たちがなぜパーティを組んでいるか、もう一度よく考えろ。……この大バカ野郎が」
Bランク昇格という輝かしい功績を手にしたはずの瞬間。
しかし、エレキ・ストライドというパーティの絆は、ハヤトの身勝手な傲慢さによって、修復不可能なほどに冷たくひび割れてしまっていた。




