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融解熱の絶壁と、状態変化の爆破

猛吹雪の大氷原をさらに北へと進むこと数時間。

灰色の雲の下、白い大地に突如として現れたのは、巨大な岩山をくり抜いて作られたような、威容を誇る『古代遺跡』だった。


「……ついに見つけたわ。間違いない、地図に記されていた古代の遺物への入り口よ」


セレスティアが馬車の窓から身を乗り出し、興奮した声を上げる。

ハヤトたちエレキ・ストライドの面々も馬車から降り、目の前にそびえ立つ建造物を見上げた。

しかし、彼らの行く手を阻むように、遺跡の巨大な正門は『分厚い氷の壁』によって完全に封鎖されていた。ただの氷ではない。数百年、あるいは数千年という長い歳月をかけて圧縮され、青黒く変色した氷河のような代物だった。


「入り口が完全に凍り付いてやがる。厚さはざっと五メートルってところか……こいつは俺の盾で叩いても、傷一つ付きそうにないな」

「下がっていて、ガルド。氷なら、私の炎で溶かし尽くすまでよ」


ガルドの言葉に、セレスティアが自信満々に前に出た。

彼女は杖を構え、膨大な魔力を練り上げる。


「極大の熱よ、道を切り拓きなさい! 《爆炎の息吹フレア・ブレス》!」


杖の先端から、うねりを上げる巨大な火炎放射が放たれ、青黒い氷の絶壁へと直撃した。

ジュゥゥゥゥゥッ!!

凄まじい水蒸気が立ち上り、周囲の吹雪を一瞬でかき消す。セレスティアの放つ炎は、鋼鉄のゴーレムの装甲すらドロドロに溶かすほどの絶対的な熱量を持っている。誰もが、氷の壁など数秒で溶け落ちると思っていた。


しかし。


「はぁっ、はぁっ……! え……? 嘘でしょ……?」


数分間にも及ぶ全力の魔法放射を終え、セレスティアが膝をついて息を切らす。

蒸気が晴れた後に現れたのは、表面がわずかに溶けて滑らかになっただけの、依然として分厚い氷の壁だった。五メートルの厚さのうち、削れたのはせいぜい数十センチ。圧倒的に魔力が足りていなかった。


「私の最大火力をこれだけ当てて、まだこれしか溶けないなんて……! この氷、何か特別な魔法で守られているの!?」

「いや、ただの氷ですよ。魔法のせいじゃない。物理法則が相手だっただけです」


落胆するセレスティアの肩を叩き、ハヤトが氷の壁の前へと歩み出た。


「セレスティア様の炎が弱いわけじゃありません。ただ、氷を『水』に変えるという行為は、物質の温度を上げるよりも遥かに莫大なエネルギーを消費するんです」


ハヤトの言葉に呼応するように、視界の端で教授が高校物理の『熱力学』の図解を展開した。


『うむ。物質が固体から液体へ、あるいは液体から気体へと“状態変化”する時、温度は一切上がらないのに、とてつもない熱量を吸収する。これを“潜熱せんねつ”と呼ぶのじゃ』


「氷が水に変わる時に必要な熱を『融解熱ゆうかいねつ』と言います。零度の氷を、零度の水にする。ただ状態を変えるだけなのに、とんでもない量の熱がそこに吸い取られてしまう。こんな巨大な氷の塊を外側から全部溶かそうとしたら、セレスティア様の魔力がいくらあっても足りませんよ」

「融解熱……状態を変えるための、見えない熱の壁……」


セレスティアが呆然と呟く。

圧倒的な火力を持っていればすべてを破壊できるわけではない。相手の物質の性質(熱容量と潜熱)を理解していなければ、エネルギーはただ浪費されるだけなのだ。


「じゃあどうするのさ、ハヤト。炎で溶かせないなら、俺たちの武器じゃ到底壊せないぜ?」

「溶かす必要なんてないんです。氷の『性質』を利用して、内側から吹き飛ばせばいい」


ハヤトはガントレットから太い銅線を伸ばすと、ガルドに向かって指示を出した。


「ガルドさん。大盾の縁を使って、この氷の壁の表面に、できるだけ深い『亀裂』を入れてください。一点だけでいいです」

「おう、任せな!」


ガルドが咆哮と共に大盾を振り被り、氷の絶壁の中央に渾身の一撃を叩き込む。

ガァァンッ! という重い音と共に、氷の表面に深さ一メートルほどの鋭い亀裂が走った。


「リアナ、荷物の中から『鉄の杭』を出してくれ。一番長くて太いやつだ」

「わかった! これだね!」


ハヤトはリアナから受け取った鉄の杭の頭に、自分の銅線を何重にも硬く巻き付けた。そして、ガルドが作った深い亀裂の奥底に、その鉄の杭をハンマーでガッチリと打ち込んだ。


「ハヤト君、準備いいですよ!」


背後では、ミナがすでに特注のスパイク靴を氷原の奥深くにある岩盤まで突き立て、完璧な接地アースの態勢を整えていた。


「よし。全員、氷の壁から離れて、ガルドさんの盾の後ろに隠れてください!」


ハヤトの指示で、セレスティアたち護衛の騎士も急いで後方に退避する。


「ハヤト、氷を溶かせないなら、その鉄の杭に電気を流してどうする気なの?」

「氷を水にするだけじゃ意味がないんです。その先の状態変化……『水』を『水蒸気(気体)』に変えるんです」


ハヤトはミナの肩に手を置き、体内の生体バッテリーから限界出力の電流を、銅線を通じて鉄の杭へと一気に流し込んだ。


バチバチバチィィィンッ!!


亀裂の奥底に打ち込まれた鉄の杭が、強烈なジュール熱によって瞬時に赤熱する。

杭の周囲の氷が瞬く間に水へと変わり、そしてその水は、数千度に達する鉄の熱によって一瞬にして沸騰し、『水蒸気』へと姿を変えた。


『状態変化の真骨頂じゃ! 水が気体である水蒸気に変わる時、その体積はおよそ“1700倍”にまで膨張する!』


「狭い亀裂の奥底で、体積が1700倍に膨れ上がった気体の行き場はどうなるか。……圧力は、内側から氷の壁全体を引き裂く『爆弾』になる!」


ゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!!


次の瞬間、氷の絶壁の内側から、地鳴りのような恐ろしい音が響き渡った。

水蒸気の圧倒的な体積膨張によって生み出された数千気圧という物理的な圧力が、硬く冷たい氷の構造を内側から完全に破壊したのだ。


ドガァァァァァァァァァァンッ!!!


大音響と共に、セレスティアの魔法でも表面しか溶けなかった五メートル厚の巨大な氷の壁が、まるで内側から爆薬を仕掛けられたかのように木端微塵に砕け散り、吹雪の中に無数の氷塊となって降り注いだ。

ガルドの大盾がパラパラと降ってくる氷の破片を弾き返す。


「……信じられない。あんな分厚い氷の壁が、たった一本の杭と少しの水で、完全に粉砕されるなんて」


セレスティアが、大きく口を開けたまま遺跡の入り口を見つめていた。

彼女が魔力の限界まで炎を放っても突破できなかった壁。それをハヤトは、物質の「状態変化」と「体積膨張」という物理法則を的確に突くことで、いともたやすく打ち破ってしまったのだ。


「魔力の絶対量より、使い所ですよ。相手の弱い部分に、一番効く形でエネルギーを叩き込む。それが俺たちの戦い方です」


ハヤトは銅線を巻き取りながら、静かに微笑んだ。

ミナも足元のスパイクを引き抜き、「凄かったです、ハヤト君!」と嬉しそうに駆け寄ってくる。


分厚い氷の壁が消え去り、古代遺跡の暗く広大な入り口が完全に開かれた。

極寒の大氷原に隠された、物理法則で駆動する古代の真理。その深淵へ向けて、エレキ・ストライドの面々は堂々たる足取りで踏み込んでいくのだった。

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