極寒の大氷原と、ジュール熱の外套
王都を出発してから二週間。
ハヤトたち『エレキ・ストライド』と、セレスティア率いるアルバーン家の精鋭部隊は、王国最北端に位置する『大氷原』へと足を踏み入れていた。
「……っ、寒ぃな。鎧の下まで風が突き刺さってきやがる」
分厚い毛皮のコートを着込んだガルドが、身震いしながら白い息を吐いた。
見渡す限りの銀世界。空は分厚い鉛色の雲に覆われ、絶え間なく吹き付ける吹雪が、容赦なく体温を奪っていく。
過酷な環境の中、先頭を進む馬車の中で、セレスティアは杖の先に「炎の球」を浮かべ、懸命に周囲を温めようとしていた。
「はぁっ、はぁっ……。みんな、もう少しよ。私の炎の近くから離れないで」
「セレスティア様、魔力の消費が激しすぎます! これ以上は危険です!」
護衛の騎士が悲痛な声を上げる。
高位の火術士であるセレスティアの炎は強力だ。しかし、この氷点下の猛吹雪の中では、生み出した熱のほとんどが瞬時に冷たい風(対流)によって奪い去られてしまう。
空間そのものを温め続けるという行為は、底の抜けたバケツに水を注ぐようなものであり、彼女の莫大な魔力をもってしても限界が近づいていた。
「セレスティア様、一旦その魔法を消してください。魔力の無駄遣い(ロス)が大きすぎます」
見かねたハヤトが馬車の扉を開け、セレスティアに声をかけた。
彼の背中には、大きな麻袋が担がれている。
「無駄遣いって……炎を消したら、騎士たちが凍え死んでしまうわ! いくらあなたでも、この寒さに対して物理で対抗するなんて……」
「できますよ。熱の移動には法則がある。空気を温めるんじゃなく、『密着して温める』のが一番効率がいいんです」
ハヤトは麻袋の中から、幾つもの『分厚い外套』を取り出し、セレスティアや騎士たちに配り始めた。
「この外套の裏地には、王都の工房で特別に打ってもらった細い『抵抗線(電気を通しにくい金属の糸)』が、網の目のように縫い込まれています」
ハヤトは自分の着ている外套の裾をめくり、そこから伸びている短い銅線を、自身の右腕のガントレットに接続した。
「全員、外套の端にある金具同士を繋ぎ合わせてください。……ミナさん、出力の調整をお願いします」
「はいっ。ハヤト君の魔力を、ゆっくり、じんわりと流しますね」
全員の外套が金属の留め具で一つに繋がったのを確認すると、ハヤトは体内の生体バッテリーから、微弱な静電気を持続的に流し始めた。
『うむ! 導体に電流を流すと、金属の抵抗によって“ジュール熱”が発生する。発生する熱量 Q は、電流 I の二乗と、抵抗 R 、そして時間 t に比例するのじゃ!』
視界の端で、教授が熱力学と電磁気学を組み合わせた公式を展開する。
Q=I
2
Rt
電流が細い抵抗線を通り抜ける時、電子が金属の原子と衝突して摩擦を起こし、熱が生まれる。
ハヤトの流した微弱な電流は、外套の裏地に縫い込まれた金属線をじんわりと加熱し始めた。
「な、何これ……! 外套の内側が、まるで暖炉のそばにいるみたいにポカポカしてきたわ……!」
セレスティアが目を丸くして、外套の胸元をかき合わせる。
騎士たちからも、凍えていた身体が芯から温まっていくことに驚きの声が上がった。
「毛皮は立派な『断熱材』です。金属線から発生したジュール熱を、毛皮が外に逃がさず、内側にだけ閉じ込めてくれる。外の空気をいくら温めても風で吹き飛ばされるだけですが、服の内側で直接肌を温めれば、熱のロスは限りなくゼロに近づくんです」
「空気を温めるのではなく、断熱材の中で発熱させる……。なんて合理的で、無駄のない仕組みなの」
「それに、全員の外套は『並列回路』で繋いであります。誰か一人が列から離れて接続が切れても、他の人の外套の熱が消えることはありません」
高校物理の基礎である、直列と並列の使い分け。ハヤトの回路設計は、実戦のあらゆる状況を想定して完璧に組み上げられていた。
炎の魔法を解除したセレスティアは、温かい外套に包まれながら、安堵の息を長く吐き出した。
◇
ハヤトの『ジュール熱の外套』のおかげで、パーティは誰一人として体力を消耗することなく、吹雪の氷原を順調に進んでいた。
だが、この過酷な環境を縄張りとする者たちが、温かな獲物の気配を見逃すはずがなかった。
「――止まれ! 前方に魔物の群れだ!」
吹雪の向こう側から、無数の青白い眼光が浮かび上がった。
大氷原の捕食者『フロスト・ウルフ』の群れだ。
牛ほどもある巨大な狼たちは、口からマイナス数十度に達する絶対的な「吹雪のブレス」を吐き出しながら、猛然と襲いかかってきた。
「くっ、私の魔法で焼き払うわ!」
セレスティアが杖を構え、炎の魔法陣を展開しようとする。
しかし、狼たちが吐き出す極寒のブレスと猛吹雪の前に、放たれた炎は目標に届く前に急速に熱を奪われ、かき消されてしまった。
「駄目だわ! この寒さと風の中じゃ、炎がすぐに冷やされてしまう!」
「なら、俺たちの出番だ。……行くぞ、リアナ!」
「了解!」
ガルドとリアナが、馬車から吹雪の只中へと飛び出していく。
通常であれば、これほどの極寒の中では人間の筋肉は硬直し、本来の動きの半分も発揮できない。冷気が体温を奪い、関節の動きを致命的に鈍らせるからだ。
だが、彼らは違った。
ハヤトの流す電流によって、彼らの着ている外套は内側から常に最適な温度に保たれている。筋肉はほぐれ、血流は完璧な状態を維持していた。
「うおおおおッ!」
ガルドの大盾が、飛びかかってきたフロスト・ウルフの巨体を空中で弾き飛ばす。
一切の硬直のない、万全のシールドバッシュ。
体勢を崩した狼の首筋を、リアナの双刃が滑らかな動きで瞬時に切り裂いた。
「ギャンッ!?」
「動きが鈍いよ、氷のワンちゃん!」
リアナが外套をなびかせながら、次々と狼たちを翻弄していく。
環境によるデバフ(身体能力の低下)を完全に無効化された狼たちは、常に最高のパフォーマンスを発揮するガルドとリアナの敵ではなかった。
(……信じられない。この大氷原で、魔法も使わずに魔物を圧倒している)
馬車の中からその光景を見ていたセレスティアと騎士たちは、ただただ圧倒されていた。
魔法使いの常識であれば、氷の魔物には炎で対抗するのがセオリーだ。しかしハヤトたちは、「熱を逃がさない」という物理的なアプローチだけで、環境の脅威を根底から無力化してしまったのだ。
「よし、片付いたな」
最後の一匹が逃げ去っていくのを確認し、ハヤトは鎖を巻き取った。
「みんな、怪我はないですか? 外套の断線もないですね」
「ああ、お前の電気のおかげで、春の野原を散歩してるみたいに体が軽かったぜ!」
ガルドが豪快に笑い、剣の血を振り払う。
自然の脅威すらも、物理法則と論理的なシステム設計の前に屈服する。
ハヤトの力に守られた一行は、猛吹雪の向こうに微かに見え始めた「巨大な古代の遺跡」のシルエットに向けて、確かな足取りで進み続けるのだった。




