表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
32/80

極寒の大氷原と、ジュール熱の外套

王都を出発してから二週間。

ハヤトたち『エレキ・ストライド』と、セレスティア率いるアルバーン家の精鋭部隊は、王国最北端に位置する『大氷原』へと足を踏み入れていた。




「……っ、寒ぃな。鎧の下まで風が突き刺さってきやがる」




分厚い毛皮のコートを着込んだガルドが、身震いしながら白い息を吐いた。

見渡す限りの銀世界。空は分厚い鉛色の雲に覆われ、絶え間なく吹き付ける吹雪が、容赦なく体温を奪っていく。

過酷な環境の中、先頭を進む馬車の中で、セレスティアは杖の先に「炎の球」を浮かべ、懸命に周囲を温めようとしていた。




「はぁっ、はぁっ……。みんな、もう少しよ。私の炎の近くから離れないで」




「セレスティア様、魔力の消費が激しすぎます! これ以上は危険です!」




護衛の騎士が悲痛な声を上げる。

高位の火術士であるセレスティアの炎は強力だ。しかし、この氷点下の猛吹雪の中では、生み出した熱のほとんどが瞬時に冷たい風(対流)によって奪い去られてしまう。

空間そのものを温め続けるという行為は、底の抜けたバケツに水を注ぐようなものであり、彼女の莫大な魔力をもってしても限界が近づいていた。




「セレスティア様、一旦その魔法を消してください。魔力の無駄遣い(ロス)が大きすぎます」




見かねたハヤトが馬車の扉を開け、セレスティアに声をかけた。

彼の背中には、大きな麻袋が担がれている。




「無駄遣いって……炎を消したら、騎士たちが凍え死んでしまうわ! いくらあなたでも、この寒さに対して物理で対抗するなんて……」




「できますよ。熱の移動には法則がある。空気を温めるんじゃなく、『密着して温める』のが一番効率がいいんです」




ハヤトは麻袋の中から、幾つもの『分厚い外套マント』を取り出し、セレスティアや騎士たちに配り始めた。




「この外套の裏地には、王都の工房で特別に打ってもらった細い『抵抗線(電気を通しにくい金属の糸)』が、網の目のように縫い込まれています」




ハヤトは自分の着ている外套の裾をめくり、そこから伸びている短い銅線を、自身の右腕のガントレットに接続した。




「全員、外套の端にある金具同士を繋ぎ合わせてください。……ミナさん、出力の調整をお願いします」




「はいっ。ハヤト君の魔力を、ゆっくり、じんわりと流しますね」




全員の外套が金属の留め具で一つに繋がったのを確認すると、ハヤトは体内の生体バッテリーから、微弱な静電気を持続的に流し始めた。




『うむ! 導体に電流を流すと、金属の抵抗によって“ジュール熱”が発生する。発生する熱量 Q は、電流 I の二乗と、抵抗 R 、そして時間 t に比例するのじゃ!』




視界の端で、教授が熱力学と電磁気学を組み合わせた公式を展開する。




Q=I

2

Rt



電流が細い抵抗線を通り抜ける時、電子が金属の原子と衝突して摩擦を起こし、熱が生まれる。

ハヤトの流した微弱な電流は、外套の裏地に縫い込まれた金属線をじんわりと加熱し始めた。




「な、何これ……! 外套の内側が、まるで暖炉のそばにいるみたいにポカポカしてきたわ……!」




セレスティアが目を丸くして、外套の胸元をかき合わせる。

騎士たちからも、凍えていた身体が芯から温まっていくことに驚きの声が上がった。




「毛皮は立派な『断熱材』です。金属線から発生したジュール熱を、毛皮が外に逃がさず、内側にだけ閉じ込めてくれる。外の空気をいくら温めても風で吹き飛ばされるだけですが、服の内側で直接肌を温めれば、熱のロスは限りなくゼロに近づくんです」




「空気を温めるのではなく、断熱材の中で発熱させる……。なんて合理的で、無駄のない仕組みなの」




「それに、全員の外套は『並列回路』で繋いであります。誰か一人が列から離れて接続が切れても、他の人の外套の熱が消えることはありません」




高校物理の基礎である、直列と並列の使い分け。ハヤトの回路設計は、実戦のあらゆる状況を想定して完璧に組み上げられていた。

炎の魔法を解除したセレスティアは、温かい外套に包まれながら、安堵の息を長く吐き出した。











ハヤトの『ジュール熱の外套』のおかげで、パーティは誰一人として体力を消耗することなく、吹雪の氷原を順調に進んでいた。

だが、この過酷な環境を縄張りとする者たちが、温かな獲物の気配を見逃すはずがなかった。




「――止まれ! 前方に魔物の群れだ!」




吹雪の向こう側から、無数の青白い眼光が浮かび上がった。

大氷原の捕食者『フロスト・ウルフ』の群れだ。

牛ほどもある巨大な狼たちは、口からマイナス数十度に達する絶対的な「吹雪のブレス」を吐き出しながら、猛然と襲いかかってきた。




「くっ、私の魔法で焼き払うわ!」




セレスティアが杖を構え、炎の魔法陣を展開しようとする。

しかし、狼たちが吐き出す極寒のブレスと猛吹雪の前に、放たれた炎は目標に届く前に急速に熱を奪われ、かき消されてしまった。




「駄目だわ! この寒さと風の中じゃ、炎がすぐに冷やされてしまう!」




「なら、俺たちの出番だ。……行くぞ、リアナ!」




「了解!」




ガルドとリアナが、馬車から吹雪の只中へと飛び出していく。

通常であれば、これほどの極寒の中では人間の筋肉は硬直し、本来の動きの半分も発揮できない。冷気が体温を奪い、関節の動きを致命的に鈍らせるからだ。




だが、彼らは違った。

ハヤトの流す電流によって、彼らの着ている外套は内側から常に最適な温度に保たれている。筋肉はほぐれ、血流は完璧な状態を維持していた。




「うおおおおッ!」




ガルドの大盾が、飛びかかってきたフロスト・ウルフの巨体を空中で弾き飛ばす。

一切の硬直のない、万全のシールドバッシュ。

体勢を崩した狼の首筋を、リアナの双刃が滑らかな動きで瞬時に切り裂いた。




「ギャンッ!?」




「動きが鈍いよ、氷のワンちゃん!」




リアナが外套をなびかせながら、次々と狼たちを翻弄していく。

環境によるデバフ(身体能力の低下)を完全に無効化された狼たちは、常に最高のパフォーマンスを発揮するガルドとリアナの敵ではなかった。




(……信じられない。この大氷原で、魔法も使わずに魔物を圧倒している)




馬車の中からその光景を見ていたセレスティアと騎士たちは、ただただ圧倒されていた。

魔法使いの常識であれば、氷の魔物には炎で対抗するのがセオリーだ。しかしハヤトたちは、「熱を逃がさない」という物理的なアプローチだけで、環境の脅威を根底から無力化してしまったのだ。




「よし、片付いたな」




最後の一匹が逃げ去っていくのを確認し、ハヤトは鎖を巻き取った。




「みんな、怪我はないですか? 外套の断線もないですね」




「ああ、お前の電気のおかげで、春の野原を散歩してるみたいに体が軽かったぜ!」




ガルドが豪快に笑い、剣の血を振り払う。

自然の脅威すらも、物理法則と論理的なシステム設計の前に屈服する。

ハヤトの力に守られた一行は、猛吹雪の向こうに微かに見え始めた「巨大な古代の遺跡」のシルエットに向けて、確かな足取りで進み続けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ