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冒険者ギルドと、傷だらけの盾

王都の冒険者ギルドは、朝からむせ返るような熱気と酒と汗の匂いに包まれていた。

遺跡から命からがら逃げ帰り、どうにか王都に辿り着いたハヤトは、壁際の丸椅子でぐったりと項垂れていた。

右腕の筋肉痛はひどく、指先を動かすだけで顔が歪む。


『どうしたマスター。腹の虫が盛大に鳴っておるぞ』


視界の端で、半透明の『電気回路入門』がパタパタとページを揺らした。


「……金がないんだよ」


ハヤトは力なく呟いた。

勇者パーティからは当然給料など支払われておらず、持ち物はボロボロの服だけ。

ギルドの受付で確認したところ、勇者たちはまだ遺跡から帰還していないようだった。

(彼らは罠で全滅したか、あるいはひどい目に遭っているはずだ)

だが、そんな感情よりも、今は圧倒的な空腹と疲労が勝っていた。

ハヤトは今年で十八歳の成人だが、極度の栄養失調のせいで体は十四歳程度にしか見えない。

このままでは、新しい雇い主など見つかるはずがなかった。


「おい、そこのチビ。邪魔だ、どけ」


不意に、頭上から乱暴な声が降ってきた。

見上げると、いかにもガラの悪そうな革鎧の剣士が、ハヤトを見下ろして鼻で笑っている。


「ここは俺たち『鉄の牙』の指定席なんだよ。孤児院にでも帰って、ミルクでも飲んでな」


周囲の冒険者たちが下品な笑い声を上げる。

ハヤトは無言で立ち上がり、席を譲ろうとした。

無駄な争いをする気力も体力もないし、静電気を攻撃に使えばまた自分が深刻なダメージを受けるからだ。


『ふむ。相変わらず、この世界の連中は表面的な力しか見ようとせんのう』


教授が呆れたように息を吐く。


『マスター、あの男の足元を見てみい』


言われて、ハヤトは視線を落とす。

網膜に投影されたARの青い光が、剣士の足元をスキャンするようにハイライトした。


「……重心が、右足の爪先に偏りすぎてる」


ハヤトは思わず呟いた。

剣士の立ち方は威圧的だが、力任せに前傾しているせいで、少し横から力を加えられれば簡単にバランスを崩す状態だった。

物理学を持たないこの世界の人間は、魔力による火力ばかりを重視し、こうした「姿勢の力学」や「荷重の分散」を軽視する傾向がある。


「あ? なんだとテメェ、文句あんのか?」


剣士が凄んで、ハヤトの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。

その時だった。


「……やめとけ。そいつの言う通り、お前の立ち方は隙だらけだ」


低く、芯の通った声が割って入った。

剣士の腕を、横から伸びてきた分厚い手がガシリと掴んで止めていた。

声の主は、大柄で肩幅の広い、無精髭を生やした男だった。

背中には、無数の傷が刻まれた大型のカイトシールドを背負っている。


「なんだと……? てめぇ、Cランクのガルドじゃねえか。万年防戦一方の地味な盾野郎が、俺に説教か?」


剣士が忌々しげに舌打ちをする。

だが、ガルドと呼ばれた男は、鋭い目で剣士を見据えたまま全く動じなかった。


「威張る暇があるなら、足場を確認しろと言ってるんだ。ここは酒がこぼれて滑りやすくなってる」


ガルドが掴んでいた手をパッと離すと、力んでいた剣士はバランスを崩し、見事に滑って尻餅をついた。

周囲からドッと笑いが起こる。

顔を真っ赤にした剣士は、逃げるようにギルドの奥へと消えていった。


「……助けてくれて、ありがとうございます」


ハヤトが頭を下げる。

ガルドは無愛想にハヤトを見下ろした。


「勘違いするな。面倒事を起こされて、ギルドの床を汚されたくなかっただけだ。……だが」


ガルドの目が、値踏みするようにハヤトを捉える。


「お前、あいつの重心の偏りが『見えて』いたな。魔力や装備じゃなく、姿勢を観察していた」


「ええと……はい。ただ、気になっただけで……」


ハヤトが言葉を濁すと、視界の端で教授が楽しげに笑った。


『ほう。この男、見かけによらず良い目をしとる。マスター、こやつの装備を解析してみい』


ハヤトはARの光越しに、ガルドの背負う大盾と革鎧を観察した。

板金鎧のような硬さはなく、機動性を重視した革と金属の補強。

そして、盾についた無数の傷は、どれも真っ直ぐなものではなく「斜め」に流れるように刻まれていた。


「……あなたの盾、攻撃を正面から受けてないですよね」


ハヤトは無意識に口を開いていた。


「角度をつけて、衝撃を横に逃がしてる。……力を受け止めるんじゃなくて、『流す』ための戦い方だ」


電気の回路で言えば、抵抗となって熱を持つのではなく、安全なアースへと電流を誘導するような洗練された技術。

ガルドの目が、わずかに見開かれた。


「……お前、名前は?」


「ハヤト、です」


「俺はガルドだ。ハヤト、お前、仕事は探してるか?」


唐突な問いに、ハヤトは頷いた。


「探してます。でも俺、魔力は最弱の静電気しか出せなくて……剣も振れません。ただの雑用係です」


「構わん。俺が欲しいのは、魔力の馬鹿でかさじゃなく、戦場を俯瞰して『判断』できる目だ」


ガルドは懐から銀貨を取り出し、ポンとハヤトに投げ渡した。


「明日から、旧坑道ダンジョンに潜る。俺の専属の荷物持ち兼、後方警戒を頼む。日当は銀貨三枚だ」


「銀貨三枚……!?」


勇者パーティにいた頃の、優に十倍の額だった。


「それと……そのガリガリの体じゃ、荷物持ちも務まらんだろう。ついてこい」


ガルドは踵を返し、ギルド併設の食堂へと向かう。

ハヤトが慌てて後を追うと、ガルドはカウンターで一番ボリュームのあるメニューを注文した。


「ほら、食え。豆と肉の煮込みだ」


目の前に、湯気を立てる山盛りの肉料理がドンと置かれた。


「いいんですか……? まだ、働いてもないのに」


「先行投資だ。盾使いってのは、事前準備を怠らない主義でね」


ハヤトは震える手でスプーンを握り、肉と豆を口に運んだ。

濃厚な肉の脂と、豆の旨味が、空っぽの胃袋に染み渡っていく。

涙が出そうなくらい、美味しかった。


『くくっ。よいスポンサーを見つけたな、マスター』


教授が視界の端で宙返りをする。


『その良質なタンパク質と脂質は、お前の貧弱な生体回路を拡張するための、最高の材料となるぞ』


(回路の拡張……俺の体が、強くなるのか?)


『当然じゃ。電気を流す導線は、太ければ太いほど大電流に耐えられる。食って、寝て、筋肉をつけい。それが最強への第一歩じゃ』


ハヤトは無言で頷き、夢中で肉を掻き込んだ。

最弱と蔑まれ、搾取され続けた少年が、初めて自分を認めてくれる大人と出会い、血肉となる糧を得た。

理系タンクとしての、本当の冒険が今、始まろうとしていた。

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