煙幕の暗殺者と、電気集塵(しゅうじん)
激しい衝突音が宿屋の一室に響き渡った直後、バタン!と勢いよく扉が開いた。
ガルド、リアナ、ミナの三人、そして背後には護衛の騎士を従えたセレスティアが飛び込んでくる。
「ハヤト、無事か!?」
ガルドが大盾を構えて部屋を鋭く見回す。
彼らの目に飛び込んできたのは、ひび割れた石壁のふもとで、血を吐いてうめいている黒装束の暗殺者──ザイードの姿だった。
「お、おいおい……裏社会で有名な『疾風のザイード』が、なんで壁にめり込んで倒れてるんだ?」
リアナが呆気にとられたように双刃を下ろす。
ハヤトは鎖分銅を軽く引き戻しながら、冷ややかに答えた。
「風の魔術で自分で加速しすぎたせいで、急にブレーキがかかった時の衝撃を全部自分で食らったんです。自滅ですよ」
「ク、クソが……。平民のガキが、舐めた真似を……!」
ザイードは折れた肋骨を抑えながら、執念深くハヤトを睨みつけた。一流の暗殺者としてのプライドが、このまま無様に捕まることを許さない。
ザイードは残った最後の魔力を振り絞り、懐から小さな球体の魔導具を取り出すと、床へと力任せに叩きつけた。
パリンッ!
ガラスが割れるような音と共に、一瞬にして部屋の中へ、目の前すら見えなくなるほどの濃密な黒い煙が噴き出した。
ルーベン派の暗殺部隊が退避用に使う、特殊な『遮光煙幕』だ。
「しまっ……! 視界が完全に潰された!」
ガルドが叫び、リアナも手探りでハヤトの位置を探そうとする。セレスティアが杖を掲げて明かりを灯そうとするが、黒い煙はその光さえも不自然に吸収し、部屋全体を完全な闇へと変えていた。
(……この隙に、窓から逃げる!)
ザイードは床を這い、風の気配を消しながら窓枠へと手をかけた。
だが、暗闇の中で、ハヤトの《荷電感知》だけは、ザイードの動きを正確に捉えていた。しかし、このままではガルドたちに敵の位置を伝えることができず、逃げられてしまう。
(煙を消さなきゃダメだ。……いや、消すんじゃない。物理的に『集める』んだ)
ハヤトの脳裏に、高校物理の教科書に載っていた、とある工場の仕組みが浮かび上がった。
視界の端で、教授がその理屈を肯定するように青い図解を示す。
『流石じゃマスター。煙の実体は、空気中に浮遊する炭素などの微小な固体粒子。そして微粒子というものは、空間の電界によって容易に誘導できる性質を持つ!』
ハヤトはガントレットのコネクタに繋がった鎖を、部屋の反対側にある無傷の石壁へと投げつけた。重りが壁の隙間にガチリと固定される。
「ミナさん、俺の手元から電荷を吸い上げてください! 急ぎで!」
「えっ? あ、はいっ!」
暗闇の中、ハヤトの声を頼りにミナがその背中に触れ、大地の術式を展開する。
ハヤトは体内の静電気を最大出力で練り上げ、右手の鎖を通じて、正面の石壁に強烈なプラスの電荷を帯びさせた。
同時に、ハヤト自身の体と手前の空間には、ミナの協力を得て大量のマイナスの電荷を蓄える。
部屋の右側の壁が「プラス」、左側の空間が「マイナス」。
部屋のなかに、凄まじい電位差による【強烈な電界(電気的な力の働く空間)】が形成された。
「集まれッ!!」
ハヤトが叫んだ瞬間、部屋を満たしていた黒い煙に劇的な変化が起きた。
空気中に漂っていた無数の煙の微粒子が、ハヤトの作った強烈な電界によってマイナスに帯電し、電気的な引力(クーロン力)によって、プラスに帯電している右側の石壁へと一斉に引き寄せられたのだ。
冬の日に、テレビの画面や下敷きに部屋のホコリが吸い付く現象──その規模を数万倍に跳ね上げた『電気集塵』である。
ズズズズズッ……!
まるで目に見えない巨大な掃除機で吸引されたかのように、部屋を覆っていた黒煙が、わずか一秒足らずで右側の壁一面へと綺麗に吸着し、べったりと黒い煤の帯となって張り付いた。
一瞬にして、部屋の空気は元のクリアな状態へと戻る。
「な、何が起きたの……!? 煙が壁に張り付いて……」
セレスティアが驚愕の声を上げる。
そして、月明かりが戻った窓枠のところで、まさに外へと飛び降りようと足をかけていたザイードの姿が、完全に浮き彫りになっていた。
「バ、馬鹿な……! 俺の風の術でも吹き飛ばせない特殊な煙幕が、一瞬で消されるなんて……!」
ザイードが絶望の表情で振り返る。
「そこまでだ、暗殺者」
すでに視界を取り戻していたガルドが、逃げ道を塞ぐように大盾を構えて肉薄し、リアナの短剣がザイードの喉元へと突きつけられた。
自慢の隠密も、完全絶縁のゴム装備も、煙幕による目くらましも、すべてハヤトの物理法則の前に破られた暗殺者は、今度こそ完全に力尽きてその場にへたり込んだ。




