第15話「双方向(前篇)」
「――つまり、“片側”だけが見えていたのが問題なんだ。」
黒瀬は実験室の中央で立ち止まり、新たに持ち込まれた装置を見下ろしていた。
それは円形のモニター群を同心円状に並べ、中心に鏡を据えたもの。
外界の観察装置と、鏡面を介して“内界”を同時に記録する構造だった。
久保が警戒の色を隠さない。
「顧問……主任がいなくなったばかりですよ。これ以上の実験は――」
「主任?」
黒瀬は鼻で笑う。
「彼は“見すぎた”だけだ。理論を完成させられなかった凡人だ。」
その言葉に久保の拳が震える。
だが、黒瀬の目は鏡に釘付けになっていた。
「外と内を同時観測すれば、干渉は理論化できる。恐怖も祈りもすべて、“反射波”にすぎん。」
モニターの一つにノイズが走る。
“外側”のカメラ映像――実験室の天井を映しているはずだった。
だが、画面の端に、何かが“こちらを見ている”影が映った。
「……おい、誰か映り込んでるぞ。」
久保が画面を指差す。
「外部からのノイズです。電源系統の問題では――」
技術員の声が途切れる。
ノイズの向こう、影が動いた。
それはゆっくりと形を持ち始める。
まるで“カメラの向こう”からこちらの背中を覗いているようだった。
黒瀬は口角を上げた。
「来たな。――これが“内側”だ。」
「顧問、後退を!」
久保の声は焦っていた。
「これは観察じゃありません、“接続”です!」
だが黒瀬は手を上げ、制止した。
「黙れ。いま、外と内は同時に存在している。つまり――我々自身が“観測対象”だ。」
その瞬間、すべてのモニターが同時に明滅した。
映し出されたのは、実験室の内部。
しかし、視点が逆だ。
画面の中で“カメラを構える自分たちの背中”が映っている。
「……どうなってる。」
久保がつぶやく。
「これは、反射じゃない。視点が――内側からなんです。」
黒瀬は笑みを深め、指先で画面をなぞった。
「外と内が同位相で共鳴した……! 完璧だ!」
「完璧じゃない!」
久保が叫んだ。
「内側にも“誰か”がいる!」
モニターの中央、背後の暗がりにうっすらと影が立っていた。
輪郭がぼやけ、性別も年齢も分からない。
ただ、そこに“瞳”があった。
無数の、光る瞳。
映像が一瞬にして乱れ、すべてのモニターが自動同期を始めた。
画面上の黒瀬と久保が、外の彼らと同じ動きをする。
だが、数秒遅れて“もう一組”の黒瀬と久保が動き出す。
まるで遅延した反射が、時間差で彼らを模倣しているようだった。
「顧問! 映像、遅延しています!」
「違う、これは“再生”だ!」
黒瀬が吠える。
「内側の我々が、外側を再現しているんだ!」
遅延映像の黒瀬が、画面越しにこちらを振り向く。
そして、声を発した。
> 「理論は完成した。
> 次は――“内”から“外”を観察する番だ。」
部屋の照明が一斉に落ちた。
冷気が流れ込む。
モニターの光だけが、闇の中で脈打っている。
――ぴちゃん。
水音が、どこからともなく響いた。
久保が振り向くと、背後の鏡の表面が水のように揺れている。
中に、伊庭の顔が浮かんでいた。
> 「見ないで。」
彼女の唇が動いた瞬間、モニターの中の黒瀬が叫んだ。
> 「見るな――!」
だが、その声は外の黒瀬の声と入れ替わるように重なった。
どちらがどちらを叫んでいるのか、もう分からない。
ノイズが画面全体を覆う。
その奥で、二つの世界が完全に重なった。
映像の中でも、現実でも、黒瀬が鏡へと一歩、足を踏み入れた。
次の瞬間、全モニターの映像が一斉に停止。
記録データの最後には、ただ一行だけ残っていた。
FROM INSIDE
DIRECTION: BOTH




