第11話:報告書
「――実験主任・斎藤蓮一、行方不明。」
軍本部の報告書の冒頭には、それだけが冷たく打たれていた。
研究棟は閉鎖。
全資料の押収が命じられ、久保補佐官の所在も確認できず。
黒瀬顧問の署名入りで提出されたその報告書を、軍司令部の一室で読み上げる声があった。
しかし、読み上げる本人――黒瀬宗一郎の姿を、誰も直接見てはいない。
映像越し、電話越し、ただ声だけが届く。
> 「……研究は完了した。境界は、開いた。」
通信が途切れたあと、司令官はただ無言で書類を閉じた。
誰も“境界”が何を意味するのかを問わなかった。
同じ頃。
封鎖された帝国大学・心理観察研究棟の地下。
誰もいないはずの実験室で、ひとつの端末が自動起動した。
白いノイズの海の中に、文字列が浮かぶ。
LOG RECORD: 00:00:12
SUBJECT: UNKNOWN
STATUS: RECORDING...
――ぴちゃん。
微かな水音が響く。
その音に合わせて、モニターの画面がゆっくりと明るくなっていく。
映し出されたのは、研究室の内部。
だがそこには、誰もいなかった。
空の椅子。
倒れたコーヒーカップ。
水槽だけが淡く光を放っている。
その奥――ガラスの反射の中で、影が揺れた。
黒い軍服の裾。
男の肩越しに、無数の“瞳”が覗いている。
> 「……報告書に書かれていない。」
低い声。
黒瀬の声だった。
> 「“彼ら”はまだこちらを見ている。
> 鏡の中の世界ではなく、“記録”そのものの中からだ。」
モニターの映像がざらつく。
黒瀬の姿が薄れ、ノイズの中で、別の人影が現れた。
白衣を着た男。
彼は画面の向こうからこちらを見て、静かに微笑む。
――斎藤。
黒瀬の声が低く笑う。
> 「……やはり、“観察”は完了していなかったか。」
その瞬間、画面の中の斎藤が口を開いた。
声はノイズの隙間から、ゆっくりと溢れ出す。
> 「完了していないのは、観察じゃない……。
> “君たち”だ。」
照明が一斉に点滅する。
実験室全体が一瞬、青白い光に包まれた。
――ぴちゃん。
水面の音が再び響いた。
黒瀬が振り返る。
水槽の中、揺らめく光の中で、無数の瞳がこちらを見ていた。
その瞳は、かつて実験に関わった人々――伊庭、久保、そして彼自身のもの。
> 「報告書の続きを書くんだ。……“内側”から。」
画面が真白に焼き付く。
翌朝。
軍施設の通信端末に、ひとつのファイルが届いた。
発信元は不明。
タイトルだけが、淡く点滅している。
> “FROM INSIDE_11.rpt”
開いた瞬間、スピーカーからあの音が流れた。
――ぴちゃん。
そして、報告書の冒頭には新たな一行が追加されていた。
観察対象:あなた。
観察者:不明。
時刻:00:00:12。
その光が消えると同時に、全ての端末が沈黙した。




