第十一話:告げ口と慈愛
翌朝、鏡に映った自分の顔は見るに耐えないものだった。真っ赤に充血した目は、昨夜の怒りと涙の証拠だ。
僕は重い足取りで、リナ姉さんのもとへ向かった。昨日、東屋で見た光景――アルベルト殿下の不貞を、彼女に伝えるべきだと思ったからだ。姉さんがどれほど傷つくか想像すると胸が痛んだが、それでも隠しておくことはできなかった。
「……姉さん、昨日、殿下が東屋で別の女性と……」
「あら、シオン。そのことなら知っているわよ?」
リナ姉さんは、テラスで優雅に紅茶を啜りながら、事も無げに言った。
僕は絶句した。怒鳴り散らすか、泣き崩れるか、どちらかを予想していたのに。
「知っていて……それでいいんですか? あんなに『一番だ』なんて言われて、裏ではあんな……」
「いいのよ。あの方は太陽だもの。一つの花だけを照らすなんて無理な話。でもね、最後にその太陽を独り占めして、その熱で焼き尽くされるのは私一人でいいの。……私は、それも含めてあの方を愛しているんだから。でもありがとね」
不敵に、そしてどこか狂気を孕んだ美しい微笑。
僕は呆れて、何も言えなくなった。この姉は、僕が心配するような「かよわい乙女」などではない。すべてを飲み込んだ上で、アルベルトという怪物を飼い慣らそうとする別の怪物なのだ。
どっと疲れが押し寄せ、僕はふらふらとした足取りで生徒会室へと向かった。
誰もいない部屋で椅子に深く沈み込み、ぼんやりと天井を見上げる。姉の愛の重さと、殿下の不誠実。その板挟みになって、僕という「実務屋」の心は摩耗しきっていた。
「……シオン様?」
静かな声に顔を上げると、そこにはエリス様が立っていた。
僕の顔を見るなり、彼女の美しい眉が悲しげに寄せられる。
「そのお顔……一体、何があったのですか? 目がそんなに赤くなって……」
「……いえ、何でもありません。ただの徹夜明けです。予算案の計算が少し難航しまして」
気恥ずかしさから、僕は咄嗟に嘘をついた。実務屋が感情で泣いたなど、口が裂けても言えない。
だが、エリス様は僕の嘘を見抜いているようだった。彼女は何も言わず、ゆっくりと僕に近づくと、その細い腕で僕の頭をそっと抱き寄せた。
「え……っ、エリス様!?」
「……いいのです。お話ししたくないのなら、言わなくて。でも、あなたはいつも誰かのために、自分を削りすぎてしまいます。……今だけは、ただの『シオン様』として、お休みになってください」
柔らかな香りと、確かな体温。
姉の激情とも、殿下の傲慢とも違う、ただただ穏やかな慈愛が僕を包み込む。
張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
僕は彼女の胸の中で、言葉にならない吐息を漏らしながら、しばしの間、深い安らぎに身を委ねた。




