49話
黒羽便利屋事務所。
眞は詩音が不在の間、四条から依頼されていた店の管理を行っていた。
とはいっても、数日に1回、店の様子を見に行くだけだが。
(誰も足を踏み入れない状態よりは、こうして出入りしたほうが店にとっても良いだろう)
完全に人の気配を消したくなかった眞は、こうして店にある酒の状態を見たり、軽い掃除など続けていた。
店の管理を終えた眞は事務所に戻る。
詩音から、近日中には退院できそうだと連絡を受けていた。
(詩音さんも無事に退院か‥‥‥本当に‥‥‥良かった)
天城製薬会社から撤退した後、眞も冷泉家の息が掛かった病院へ搬送されていた。
これは詩音と杉沢の繋がりを知った葉月の心遣いであった。
元々杉沢は腕が良いどころか、何十年も前から『天才』とか『伝説』などと呼ばれている医者であったらしい。その逸話を知る病院の医師が、詩音への執刀を許可したそうだ。
手術に向かう直前まで、意識を失った詩音に付き添っていたかったが、病院の医師や杉沢にそれを止められた。
‥‥‥頑丈とはいえ、肩や脇腹などに新しい銃創が出来ていたし、そもそも最初に受けた銃創や詩音のナイフで傷ついた部分も治りきってはいなかった。
普通の人間ならまともに動けないどころか、死ぬ可能性も高かったそうだ。
眞もその話を聞いてからようやく意識を失った。
(‥‥‥まあ、怪我が気にならないくらい必死だったしなあ)
仕方がないよな、と納得する。
翌日。目を覚ました眞は、杉沢に詰め寄るように詩音の容態について尋ねていた。
その時に初めて詩音の手術が成功したことと、眞から受け取った新薬の効果が期待できる事を知った。
その上で、詩音が生きていられるという事実を知った時の眞の喜びは計り知れないものであった。
‥‥‥その場で、杉沢に抱きついてしまうくらいには。
『流石に‥‥‥ここで、こういう事はねぇ‥‥‥』
『‥‥‥先生‥‥‥本当に‥‥‥ありがとうございます‥‥‥詩音さんを、助けてくれて‥‥‥』
冷や汗をかく杉沢は中々見られるものでは無かったが、眞はそんな事は意識していなかった。
喜びと感謝と安堵で胸がいっぱいになり、思わず涙を流してしまう。
そんな眞を見て、杉沢は優しく抱き返してくれていた。
そんな事を思い出していたら、いつの間にか事務所の扉の前に着いていた。
「只今帰りました‥‥‥あれ?」
誰もいないことは分かっていたが、いつもの習慣で声を掛ける。だが、そうでは無かった。
見覚えのあるブーツが脱ぎ捨てられている。
‥‥‥つまり、詩音が帰ってきた。
「詩音さんっ!帰って来ていたんですね!」
喜びの声を上げながら事務所の奥へ進む。
予想通り、そこにはシャワーから出てきたばかりだと思われる半裸の詩音がいた。
「‥‥‥ま、眞?」
当然のことながら詩音は驚いている。
首に掛けていたタオルで前を隠し、眞の名前を呟く。
「‥‥‥ああ、すみません?!シャワー上がりだったんですね‥‥‥外で待っています」
「あ、ああ‥‥‥すまんが‥‥‥そうしてくれ」
「はいっ」
詩音の指示に従い、そのまま事務所の外で待機する。思ったよりも顔色は良く、元気そうで良かったと思っていた。
「‥‥‥‥‥‥あれ?何か違和感が‥‥‥?」
久しぶりに再開した詩音から小さな違和感を感じていた。
しかし、”詩音が何事もなくそこにいる”という事実が眞の頭を占めていたため、違和感の正体には、まだ気が付いてはいなかった。
◇
「それで、詩音さん。身体の方は大丈夫なんですか?」
「ああ、見ての通りだ。前よりも体力が落ちてはいるし、肺活量も低下してはいるが‥‥‥体調自体は病前とほぼ変わらないと言ってもいいくらいだな」
ソファに座りながら手足を動かす。見た目では分からないが、自覚はあるらしい。
そうであったとしても眞は気にならない。それよりも詩音の元気そうな姿を見られるだけでも奇跡であると思っていた。
「体力と肺活量については仕方が無いですよ‥‥‥それよりも、こうして生きているだけでも嬉しいですよ‥‥‥」
「そうだな‥‥‥これも、眞のおかげだ‥‥‥世話になったな‥‥‥」
「いえ、詩音さんのご両親のおかげですよ‥‥‥きっと‥‥‥」
「それも、あるかもしれないが‥‥‥」
新薬開発の経緯について、心当たりのある詩音は眞の言葉に同意する。
一方、眞は“ご両親のおかげ”という自分の言葉に、大事な事を思い出す。
「詩音さん。‥‥‥体調と生活が落ち着いたら、今回お世話になった人達にもお礼を言いに行きませんか?」
「ああ、そうするか‥‥‥体調が良くなったことも伝えてやりたいしな」
「では、決まりですね」
詩音の体調と生活が第一だが、近い内に詩音の状態を、今回の関係者に伝えておきたかった。
眞がそんな事を考えている間、詩音は小さな声で告げる。
「‥‥‥それとな、今日から私はベッドで寝ることにする‥‥‥病み上がりだしな‥‥‥」
「ええ、身体は大事にしてください。寧ろ、そうして頂けると安心します」
「‥‥‥‥‥‥そ、そうか」
ベッドがあるのに、そこで寝ようとはしない詩音が気になっていた。
扉を修理した時から、鍵を閉める事が出来るようになっていた。そのおかげで、侵入者の訪問を以前より警戒しなくても済むようになっている。
つまり、ソファで寝る必要も薄い筈である。
「ええ、ゆっくり休んで、養生してください」
「‥‥‥ああ」
自分で言ったことながら、僅かに戸惑いを見せる詩音には気づくことなく、眞は退院祝いの献立を考え始めていた。
◇
後日、冷泉家にて。
「黒羽さん。退院おめでとうございます。その後は、お変わりありませんか?」
「ああ、このとおりだ。冷泉家の協力が無かったら、ここに来ることはなかったろうな」
「ふふ‥‥‥そう言って貰えると嬉しいですね」
「‥‥‥‥‥‥礼を言う」
葉月の心遣いに感謝を示す。詩音の言葉数は少ないが、深い気持ちが込められていることは葉月にも十分伝わっていた。
そんな詩音を見て、葉月が1つの提案をする。
「黒羽さん‥‥‥実は私の方からもお願いがあります」
「‥‥‥何だ、言ってみろ」
「‥‥‥私達、お友達になりませんか?」
「‥‥‥‥‥‥へ?‥‥‥友達?」
葉月からの予想外の言葉に、詩音は理解が追いついていない。
これまた珍しい顔だなあ、と隣で見ていた眞は思っていた。
「ええ、お友達です。‥‥‥冷泉家当主として、社交上のお友達は沢山おりますが、冷泉葉月としてのお友達は‥‥‥この子くらいですから‥‥‥勿論、使用人の方々には良くしてもらっておりますよ?」
葉月の隣で丸くなっている三毛猫を優しく撫でながら、静かに言葉を続ける。
「ですが、本当に‥‥‥対等な関係を築くとしたら‥‥‥貴女が良いのです」
「‥‥‥‥‥‥本当に‥‥‥私で良いのか?‥‥‥割と、禄でも無い人間だが‥‥‥」
今迄、きちんとした友達というものを持ったことのない詩音は、戸惑いながらも葉月に確認する。
「貴女自身が卑下しないで下さい‥‥‥私の、お友達なのですから」
詩音の不安を汲んだ上で、友人になりたい、と断言する。
その気持ちを受け取った詩音は、少しだけ気恥しそうに顔を逸しながら、葉月だけに聞こえるくらいの声量で返答する。
「‥‥‥‥‥‥詩音でいい」
「‥‥‥ありがとうございます。では、私の事も葉月、とお呼び下さい」
「‥‥‥‥‥‥ああ、今後も宜しく頼む‥‥‥葉月」
「‥‥‥ふふ、こちらこそ」
どうして良いのか分からない詩音は、葉月に向けて手を差し出す。葉月はその手を取り、優しく握手を交わす。
何だかビジネス上の交渉が上手くいった時の様だなぁ、と思いながらも、2人の微笑ましい遣り取りを静かに見つめていた。
「それと赤城さん‥‥‥貴方のことも眞さん、とお呼びしても?‥‥‥私も葉月、で良いので」
「それは、構いませんが‥‥‥私も、良いんですか?」
眞自身は一向に構わないが、その逆は何だか畏れ多い気がしていた。
だが、変に遠慮することも失礼だろうと、直ぐに考えを改める。そんな風に考えていた眞をよそに、葉月は小さく呟く。
「ええ‥‥‥‥‥‥いずれ、そう呼ぶことなるかと思いますので‥‥‥」
「‥‥‥眞、次行くぞ」
「‥‥‥は、はい‥‥‥?」
ぴくっ、と反応した詩音が、眞に次の場所へ向かうように促す。
頬を僅かに赤らめながら、恨めしそうな目で見つめてくる詩音を、葉月は微笑みで受け流す。
「‥‥‥じゃあな、葉月‥‥‥気が向いたら、また来る」
「ええ、いつでも遊びに来て下さい‥‥‥詩音さん」
眞を引きずるように、部屋を後にする。
••••••2人がいなくなった室内。
葉月は傍に控えていた片桐に向かって言葉を掛ける。
一瞥した瞳には、ほんの僅かに何かを期待しているような色が見える。
「‥‥‥‥‥‥お2人とも、随分と仲が良さそうでしたね?」
「‥‥‥はい、仰るとおりで」
「‥‥‥‥‥‥‥はぁ‥‥‥」
「葉月様?」
‥‥‥小さく溜息をつく。
普段は気が利くのに、こういったことにはまるで気が付かない、と言いたげな雰囲気であった。
「‥‥‥‥‥‥先は長そうね‥‥‥」
「‥‥‥?」
手元に置かれていた紅茶を一口。
軽やかなマスカットの香りに、爽やかな酸味と甘み。程よい渋みが全体を引き締めている。
‥‥‥舌は幸せだが、何だか物足りない気持ちを自覚する。
葉月は足りない部分を早く埋めてくれないかな、とぼんやりと考えていた。
◇
「生きていたか」
「おかげさまでな‥‥‥今回も助かった」
「ああ、別に構わないよ」
「‥‥‥」
「‥‥‥何か言いたいの?」
喫茶店で顔を合わせた2人。
ありふれた挨拶の応酬だが、その遣り取りがあまりにも自然なものに見えた。
知り合ったのは数ヶ月前であった筈だが、10年来の友人といっても過言ではないような雰囲気がある。
そのため、眞は2人に素直な気持ちで尋ねてみた。
「いえ‥‥‥ただ、お2人とも、随分仲が良いんですね」
「そう見えるか?」
「同じ世界に生きる人間‥‥‥といったくらいだろ?」
「まったくだ」
「だろう?」
「‥‥‥‥‥‥」
気が合うんだろうな、と自分で納得し、そのまま押黙ることにした。
「それにしても‥‥‥」
「‥‥‥何でしょうか?」
「いや、貴方‥‥‥随分と傷が増えたんじゃない?」
「‥‥‥分かるんですか?」
眞の身体を眺めていた比奈から、傷について指摘を受ける。眞自身は痛みは感じておらず、ジャケットとシャツの姿なので、外からは見えない筈であった。
「当然よ‥‥‥肩、腕、腹‥‥‥軽重あれど、良く生きてこれたわね?」
「まあ、丈夫なのが唯一のとりえ‥‥‥みたいですから」
正確に負傷部位を言い当てられる。驚きはするが、相手も詩音と同じくプロだ。それも当然かと思い、素直に言葉を返す。
「‥‥‥‥‥‥その傷さ‥‥‥‥‥‥ねぇ、詩音?」
眞から視線をずらし、その隣に座る詩音へ声を掛ける。
「‥‥‥‥‥‥何が言いたい」
「‥‥‥‥‥‥随分大事にされているじゃない」
「‥‥‥‥‥‥」
揶揄うような比奈の言葉。
詩音は何も言えず、そのまま目を逸らす。
少しずつ赤みを増す詩音に対し、追い打ちを掛けるように言葉を続けた。
「傷物にした責任‥‥‥取りなさいよ?」
「‥‥‥‥‥‥」
カップの珈琲を飲み始める。
少しでも、比奈の視線から逃れるように。ゆっくりと。
「責任?••••••いえ、これは私が勝手に負ったものなので、詩音さんは別に‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥別に?」
‥‥‥詩音へ責任を問う。
元よりそんな事を考えていない眞は、言葉の通りに受け取り、抗議の声を上げる。
だが、その抗議に詩音が異を唱える。
‥‥‥‥‥‥どこか機嫌が悪い。
眞はそう感じた。
「え‥‥‥詩音さん?‥‥‥‥‥‥どうかしましたか?」
「‥‥‥‥‥‥次だ」
「え、ええっ‥‥‥?」
珈琲を一気に飲み干した詩音が席を立つ。
眞の首根っこを掴み、外へ出るように促していた。
「良いよ、先に行きな。私は勝手に飲んで帰るから‥‥‥‥‥‥またね」
「‥‥‥‥‥‥」
眞を引き連れながら喫茶店の扉へ向かう。
振り返ることなく無言で手を挙げ、その言葉に返答していた。
◇
朱鷺の工房。
返事は無かったが、鍵が開いていたため、詩音は勝手に入っていた。
2人は、部屋の隅で丸くなっている金色の何かを見つける。
「‥‥‥泥棒猫」
「えぇっ?!」
「おい、いきなり何だ‥‥‥」
金色の何か‥‥‥朱鷺が先手を打ってきた。
戸惑う眞に、呆れる詩音。
そんな2人を見て、更に言葉を重ねる。
「‥‥‥だ、だって‥‥‥詩音ちゃん!、そこの男の人に絆さ‥‥‥んっ‥‥‥」
「••••••っふぅ••••••今日は礼を言いに来ただけだ‥‥‥ありがとう、朱鷺」
朱鷺の言葉を遮るように抱きしめ、その唇を奪う。
少しの間、朱鷺を味わい、全身でその身体の柔らかさを確かめる。
••••••繋がっていた唇を離し、礼の言葉を囁く。
「‥‥‥あへぇ‥‥‥詩音ちゃん、しゅきぃ‥‥‥」
詩音の手管によって陶酔に浸る朱鷺。
頬の紅みは、端整な顔と繊細な金髪にとても良く映えていた。
「‥‥‥あの、もう良いですか?」
「ああ、礼は言った‥‥••帰るぞ」
2人の遣り取りを横目で見ていた眞は、颯爽とした足取りで帰路に着こうとしている詩音の後を追う。
「‥‥‥‥‥‥また来てねぇ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥近いうちにな」
意味深な言葉に、同じく意味深な言葉で返す、詩音。
••••••その言葉の真意に、眞は気が付いていなかった。
◇
事務所に戻ってきた後、詩音は直ぐにソファへ身体を預ける。額に薄っすらと汗が滲んでいるが、以前のように具合の悪い様子は見られない。
「‥‥‥結構疲れる」
「詩音さんの場合は仕方がないですよ。病み上がりですから」
「そうだな‥‥‥奴の話では、次第に慣れるそうだが‥‥‥」
「それまではゆっくりしましょうよ」
「だが‥‥‥仕事をしないことにはな‥‥‥」
生活の事はもとより、眞への報酬をずっと気にかけていた。詩音の顔には焦りの色が見える。
「いつでも再開できるようにはしておきましたから‥‥‥あれ?」
そんな詩音を安心させようとした所、スマートフォンに電話が入る。
「はい、黒羽便利屋です。申し訳ありませんが、今は‥‥‥え?」
「‥‥‥どうした?」
「はい‥‥‥ええ‥‥‥そうです‥‥‥間違いありません‥‥‥はい、分かりました」
電話口の相手に何かを感じる所があったのか、通話途中から眞の声のトーンが落ちる。
「誰からだ?」
「‥‥‥‥‥‥詩音さん、俺、少し出てきます」
「‥‥‥そうか」
真剣な表情で外出の準備を始める。
詳細を聞こうとしたが、眞の慌ただしい雰囲気に押され、そのまま見送ることしか出来なかった。
◇
数日後、眞からとある誘いを受ける。
「詩音さん、今夜。俺に付き合ってくれませんか」
「‥‥‥‥‥‥どういう意味だ?」
「あ、いや。ご飯でも食べに行きませんか?‥‥‥すみません。分かりづらくて‥‥‥」
「‥‥‥まあ、いいが」
外食の提案をされたと気が付き、了承する詩音。
‥‥‥腑に落ちない部分もあったが、断る理由は無かった。
「ところで、何処へ行くんだ?」
「それは••••••秘密です」
「••••••」
眞から茶化すような提案をされる事は今迄に無かった。だが、不思議と嫌な感じはしない。
詩音は怪しさと期待を抱きながら、夜を待つことにした。
◇
「ここは、まさか••••••」
「••••••そのまさかです」
その日の夜。眞に連れられて向かった先は‥‥‥『バリオス』
店の扉を開け、中に入ると見覚えのある顔が出迎えた。
「数週間ぶりね、詩音ちゃん」
「四条?!」
「あら、そっちの名前で呼ぶのね‥‥‥なんだか久しぶりな感じ」
「詩音さん‥‥‥実は‥‥‥」
眞が困惑している詩音にこれまでの経緯を説明する。
数日前に眞に連絡をしていたのは四条であった。
そして、眞と話しがしたいと、とある場所で落ち合う約束をしていた。
◇
『四条さん‥‥‥ご無事だったんですね!』
『それはこっちのセリフよぉ‥‥‥うん、元気そうね』
街中のカフェ。そこに私服姿の四条がいた。
バーで立っていた時とは違い、カジュアルなスーツを身に纏っている。まるで何処かのベンチャー企業の社長のようだ、と眞は思った。
『この街から離れていたのでは‥‥‥?』
『そうよ、でも、詩音ちゃんの病気が治ったって聞いて、いてもたってもいられなくてねぇ‥‥‥ああ、杉沢先生から聞いたのよ?』
『そうだったんですね‥‥‥』
杉沢も四条も、お互いに知っている様子であった事を思い出す。
『だから、詩音ちゃんの新しい人生のお祝いがしたくてね••••••戻って来ちゃった』
『それは詩音さんも喜びます‥‥‥では鍵を‥‥‥』
財布の中に入れていた『バリオス』の鍵を取り出そうとする。しかし、四条は受け取りを保留する。
『あ、それはそのまま持っていて頂戴。また、直ぐに街を離れるから』
『えっ?••••••どういう事ですか?』
『それはねぇ‥‥‥天城製薬に雇われていた黒服がいたじゃない?あれに顔を見られたってのもあるんだけどね‥‥‥詩音ちゃんの‥‥‥‥‥‥見たくなかったから‥‥‥姿を消したのよ』
『‥‥‥‥‥‥』
四条の表情に陰が差す。詩音が幼い頃からの付き合いだ。四条にも思う所があるのだろうと考え、そのまま静かに言葉を待つ。
『それでね、いっそのこと、また最初から始めようかなあって思ってね••••••身を隠していた先で••••••新しいお店、始めちゃったのよ』
『‥‥‥へ?』
予想外の話しが飛び出してきた。
その突拍子のなさに、別の意味で言葉を失ってしまう。
『その名も【ガウディ】ってバーよ。【バリオス】と違って、今後は珈琲とか紅茶も扱おうかなあ、って考えているのよぉ』
『‥‥‥凄いですね••••••でも、よくそんなお金が‥‥‥』
『まあ?‥‥‥お金には困らないくらいの貯金はあったからね••••••バリオスも殆ど道楽でやっていたのよ?‥‥‥あ、でも経営とかカクテルとかは真面目にしていたからね。本当よ?』
『‥‥‥では、バリオスには、もう‥‥‥』
お金の問題や経営についてはこの際、気にしないことにした。四条であれば、こういった事もあるだろうと納得出来る。
それよりも、詩音と眞が気に入っていた店はどうなるのか、と思わず尋ねてしまった。
『そこなのよ!••••••今回、私は依頼人としてここにいるんだけど‥‥‥赤城さん。バリオスの雇われ店長として、働かない?』
『••••••私が、ですか?』
『もしくは誰か紹介してもらいたいのよねぇ‥‥‥』
『‥‥‥少し考えさせてもらってもいいですか?‥‥‥正直、想像がつかなくて‥‥‥』
突然の提案に戸惑いを隠せない。
それに、直ぐ決めることの出来る問題では無いので、四条に今の思いを伝えた。
『ゆっくり考えてもらっても構わないわ、それに。私も数年の間は二足の草鞋でやるつもりだから』
『二足‥‥‥では!』
『ええ、新しい店の準備と並行するから、不定期ではあるんだけど••••••また、バリオスを再開しようと思うの••••••だから、それまでは赤城さんに預かっていてもらいたいのよ』
••••••四条には店を続ける意向がある。
それだけでも眞にとっては嬉しい話であった。
『‥‥‥その言葉を聞いて安心しました‥‥‥四条さんと今生の別れにならなくて‥‥‥良かったです』
『こっちの台詞よ。まあ、さっきも話した通り、向こうにもお店は準備しちゃったから‥‥‥新しい従業員の子にも教えないと‥‥‥ね』
『従業員も、雇ったんですか?』
『ええ、とっても良い子よ‥‥‥』
四条は新しく雇った店員を思い出しながら、穏やかな表情を浮かべる。
『では、四条さんの新しいお店が開店したら、私もお邪魔してもいいでしょうか?勿論、詩音さんと』
『そのつもりよ。こっちから呼ぶわ』
『ありがとうございます』
『もう暫く、お付き合いしてもらうからね?』
••••••2人は再会を喜び合う。
せっかくなので詩音が驚くようなお祝いをしたい。そんな四条の気持ちを汲んで、眞も協力することを決めた。
◇
「‥‥‥と、言う訳なんです」
いつものカウンター席に座りながら話を終える。
その話を聞いた詩音はジト目で四条を見る。
「‥‥‥戻ってくるのなら、早く言え」
「だってぇ、詩音ちゃんも大変そうだったしぃ‥‥‥」
言い訳をする四条に対し、ぽつりと呟く。
「‥‥‥‥‥‥まあ、安心したがな」
「あら、詩音ちゃん。寂しかったの?」
詩音の呟きに、四条がからかい半分で言葉を返す。
「‥‥‥‥‥‥少しな」
「‥‥‥‥‥‥ねぇ、赤城さん。この子、詩音ちゃん‥‥‥?」
詩音の素直な返答に、四条は疑いの目を向けていた。
「本人ですよ••••••」
「‥‥‥‥‥‥ごめんなさい、ちょっと泣きそう」
「馬鹿、こんなところで泣くな」
「‥‥‥だってぇ‥‥‥反抗期を抜けた娘から、感謝のプレゼントを貰った親の気分なのよ?‥‥‥こんなの、泣くに決まっているじゃない‥‥‥」
胸元のポケットからハンカチを出して目元を覆う。
四条にとっては、それだけ嬉しい言葉であったのだろう。言葉通り、泣いてもおかしくない雰囲気であった。
「‥‥‥どいつもこいつも‥‥‥人の心配ばかりして‥‥‥」
「それだけ、大事にされていたんですよ••••••詩音さん」
「‥‥‥そう、だな」
「‥‥‥‥‥‥ねぇ、詩音ちゃん。まさか赤城さんと‥‥‥」
眞の言葉に対し、妙な素直さを見せる詩音。
そんな姿を見て、四条には思う所があった。
「そんなことよりも酒だ。酒を出せ。••••••煙草は吸わんから、とにかく酒だ」
「‥‥‥お酒も、控えたほうが良いんですが‥‥‥」
「そこまで無茶な飲み方はしない‥‥‥それに『3人で飲む』‥‥‥そう約束しただろう?」
「詩音さん‥‥‥」
「‥‥‥良くわかんないけど、私••••••本気で泣きそう‥‥‥」
再びハンカチを手に取る四条。
‥‥‥僅かに見えた目元からは、光るものが確かに見えていた。
いつかの夜のように、にぎやかな店内。
それぞれの道を歩もうと決めた3人が、再会を祝う酒を交わす。
この夜のことは、いつまでも忘れられる事のない思い出となった。




