48話
―――――夢を見た。
そこで詩音は、大切な2人と一緒に歩いている。
‥‥‥穏やかで、楽しい日々。
ふと、後ろを振り返る。
ずっと一緒にいたかった人達がいた。
微笑みながら、優しい瞳でこちらを見ている。
―――何故か、泣きたくなってしまった。
悲しみからではなく、ありがとうという感謝の気持ちから。
何かを伝えた、詩音にはその言葉が分からない。
けれども、その人達にはしっかりと伝わっていた。
『いってらっしゃい、幸せになってね』
そんな言葉が聞こえた気がした。
その言葉に背中を押され、少し先で待つ2人の元へと歩いていった。
◇
「‥‥‥‥‥‥生きてる‥‥‥?」
目を覚ます。
白い天井に、白い部屋だ。
明るく、ほのかに暖かい。
そして穏やかな風が頬を撫でている。
「ここは‥‥‥?‥‥‥っ?!」
「ここは病院さぁ‥‥‥おっと、動くなよぉ?」
詩音は身体‥‥‥腋の下から脇腹にかけて痛みが走る。同時に聞き覚えのある声が、詩音の行動を制していた。
「私は‥‥‥‥‥‥ああ、手術を‥‥‥?」
「そうさ、天城製薬会社から退散した後、即入院、即手術‥‥‥結果は‥‥‥成功したよ」
わざわざ私が執刀したんだよ、と呟く杉沢をよそに、詩音はここにいる理由を思い出す。
天城悠生に復讐を果たした後、手術をすると言われ、何処かへ運ばれていた。
その時に意識を失ってしまったのか、そこから先は覚えていない。
「成功‥‥‥?」
「私でもないとこれ程の会心の手術は‥‥‥いや、そうじゃないかぁ」
腕に自信はあるが、それだけで手術が成功した訳ではないと思い、言い直す。
「見立て通り、肺の部分に腫瘍があったよぉ‥‥‥大分大きくなっていたから、切除もしたんだけどねぇ‥‥‥」
「奇跡的にそこだけで済んだ‥‥‥転移もしていない」
「だが、大本が‥‥‥」
それは以前に聞いていたことだ。
肺の病巣を摘出しても、大本を除去しないことには同じことの繰り返しだ。
だが、その事についても杉沢から話しがあるようだ。
「ああ、それなんだけどねぇ‥‥‥新薬とやらのお陰で、そこも解決できそうなんだよぉ」
「‥‥‥‥‥‥あれが?」
眞に飲まされた薬を思い出す。
朦朧とした意識の中にいたが、そのことについては、はっきりと思い出せる。
「詩音の相棒から受け取った新薬‥‥‥あれの効果で、大本の根治も可能な範囲に入っているんだよ」
「‥‥‥つまり、私は‥‥‥」
「再発の可能性はある‥‥‥けどね‥‥‥これからも生きていられるのさ」
「‥‥‥‥‥‥」
「新薬の存在も、転移が無かった事も、治療が間に合ったことも‥‥‥奇跡としか言いようがないねぇ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥そうか、私。生きていられるんだ‥‥‥」
死ぬ運命にあった自分が、これからも生きていられる。
‥‥‥その事実が、詩音の心に沁み入る。
「‥‥‥言ってなかったけどね、新薬の開発って、詩音の母親がいたからこそ、始まったのさぁ‥‥‥」
「えっ‥‥‥?」
思わぬ方向から母親の話しが出る。
驚きを隠せない詩音に向けて、言葉を続ける。
「宗次郎の奴からの話‥‥‥そこから推測したものでしかないけどねぇ‥‥‥元々詩音の母親は癌に罹りやすい体質だったみたいでね‥‥‥それをどうにかしようと、詩音の父親が開発を決めたんじゃないかと思う‥‥‥宗次郎の奴も、最期は癌で死んじまったしねぇ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥そうだったのか‥‥‥」
母親の死の理由について、当時の詩音には分からなかった。それに加え、祖父の死についても杉沢から聞くことも無かった。
今になって、その理由が繋がりを見せる。
「ま、想像の域でしかないけどね‥‥‥でも、父親と母親に命を救ってもらった、と考えたほうがドラマチックだろ?」
「‥‥‥‥‥‥そう、信じておくか」
何事にしろ、良い方向に考えることは悪くは無い。‥‥‥詩音にも思うところはあった。
「それにね、詩音の気力が保ったというのも大きい。‥‥‥あんたに余命を告知した時と同じ精神状態であったら‥‥‥間違いなく死んでいたよぉ‥‥‥」
「‥‥‥それは、そうかもしれんな」
「だから、今ここにいられるのも、詩音の相棒のおかげでもあるかもしれないねぇ‥‥‥ずっと、傍にいてくれたんだろ?」
「‥‥‥ああ、何度も助けられた‥‥‥眞がいなかったら、私は‥‥‥」
諦めかけていた詩音を動かし、復讐の足掛かりを得るきっかけを作ったのは間違いなく眞だ。
身の危険に陥った時も、心が折れそうになった時も、常に傍にいてくれた。
‥‥‥独りでは、復讐を果たすことが出来なかった。
「なら、退院したらきちんと礼でも言ってやりな‥‥‥自分も大怪我しているのに、ずっと心配していたんだからねぇ」
「‥‥‥どのくらいで退院出来るんだ?」
「新薬の効果も観察しないといけないから‥‥‥念のため、1ヶ月くらいは入院さ」
「分かった、大人しくしているさ‥‥‥」
その言葉を最後に、再び目を閉じる。
久し振りに、深い眠りにつくことが出来る予感がある。
それと同時に、今迄一緒にいた男の事が気になった。
「‥‥‥眞は?」
「ああ、あの子ならもうすぐ退院さ‥‥‥相変わらず、頑丈だねぇ‥‥‥」
「そうか‥‥‥一足先に、眞は帰るんだな‥‥‥」
「‥‥‥なら、帰ったら礼の1つでも‥‥‥」
睡魔が詩音を襲う。
まだ本調子では無い事と、眞の無事が確認出来た事が重なり、気が抜けてしまった。
(‥‥‥‥‥‥いつか、この気持ちを)
今はまだその勇気は無いが、いずれははっきりとさせようと決め、そのまま眠りに落ちていった。
◇
1ヶ月後。
最後の検査でも腫瘍の除去と根治が確認出来た。
杉沢は全力を尽くしてくれたのだろう。腋から脇腹にかけての手術創も殆ど見えない。痛みも全く無かった。
「世話になったな」
「ああ、もう来るなよ?」
「同感だ」
軽口を叩き合いながら、杉沢は大事な事を告げる。
「言っておくが、煙草は吸うなよ?病気が病気だからねぇ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥減らすさ」
「‥‥‥辞めろ、と言っているのに‥‥‥はぁ‥‥‥まあ、勝手にしろ」
詩音の意思は堅いと見て、説得を諦める。
ただ、詩音自信も言ったように、以前のようなチェーンスモーキングは控えるであろうことは分かっていた。‥‥‥それだけでも快挙だ。
「あと、これを渡しておくよ。1日2回内服しろ。無くなるまで忘れずに‥‥‥」
「これは、新薬か?それにこの量は‥‥‥」
「そうさ、この世にこれっきりさぁ」
試作品段階であったため、極少量の筈であった。だが、渡された薬剤は明らかに多い。それこそ数ヶ月分はあるだろう。
「冷泉家が天城製薬を傘下に入れてね。その時に得たデータと新薬のサンプルをもとに、量産したものだねぇ」
天城製薬の不正が暴かれたあと、天城悠生は病院に搬送された。
‥‥‥治療後は警察のお世話になると詩音は聞いていた。
その後の天城製薬会社の扱いについて聞かされていなかったが、今の話で得心がいった。
改めて冷泉葉月との繋がりを持っていて良かったと思う。
‥‥‥だが、他にも気になる言葉があった。その理由についても尋ねる。
「‥‥‥この世に、これっきりと言ったな?」
「ああ、正式に認可されるまではまだまだ掛かるだろうよ。‥‥‥何せ、副作用があるからねぇ」
「‥‥‥‥‥‥副作用?」
副作用と聞いて詩音は眉を顰める。
‥‥‥実は入院中から極々軽度ではあるが、気になる症状が出ていた。
体調には影響は無いため、そのままにしていた。
‥‥‥正直、あまり言いたくは無かった。
「安心しろ、致命的なものではないさ‥‥‥だがな、肝心の副作用が分からないんだよ‥‥‥」
「副作用があるのに‥‥‥分からない?」
「副作用が特定出来ないんだ。だが、軽微なものも、重篤なものも‥‥‥データ上では確認されていない。つまり未知のものさ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥まあ、いいさ。効果はあるんだろ?」
”未知“と言われて”まさか“と思う。
だが、そんな事はおくびにも出さず、言葉を続ける。
「それは太鼓判を押してやるよぉ‥‥‥検査上、腫瘍は完全に消えているからな」
「だったら、私の身体で試してやるよ」
「それは助かるねぇ‥‥‥何かあったら、直ぐに連絡するんだよぉ?」
「ああ、分かっている。‥‥‥じゃあな」
「お大事にねぇ‥‥‥」
病院の正門前で手を振る杉沢に片手を上げて返答する。
詩音の治療を終えた杉沢もまた、元の場所へ戻る。
詩音も‥‥‥眞も。
それぞれが生きるべき場所‥‥‥『日常』へと帰って行くのであった。




