42話
数年後。天城悠生は天城製薬の社長の座に就いていた。
天城家の婿としての役職であったため、天城家本家の親族が更に上の役職に就いてはいた。
だが、天城悠生はその親族すらも利用出来る程の手腕を発揮していた。
天城製薬の実質の支配者。それが天城悠生。
‥‥‥全てはこの時の為。
ありとあらゆる人脈を使い、情報を収集。それを元に計画を立て、手段を講じた。
その一歩として、黒羽製薬の研究者にコンタクトを取ることにした。
「安西譲二さん、だったかな?」
「はい、そうですが‥‥‥貴方は?」
「私は、天城悠生。天城製薬の社長をさせてもらっているものです」
この時、安西譲二は新薬の開発の責任者であった。
研究者としての能力も十分。黒羽幹久からの信頼も篤いようだ。
‥‥‥しかし、人間性については、その限りでは無かった。
「私に、何か御用でしょうか?」
「‥‥‥‥‥‥単刀直入に言おう。君の会社で開発している新薬と君を‥‥‥売る気はないかい?」
「‥‥‥そんな事‥‥‥」
「‥‥‥金は出す。新薬については2億出そう。‥‥‥そして、その新薬とともに、君を天城製薬の開発責任者として迎え入れる準備をしている」
「‥‥‥‥‥‥それは、本当ですか?」
「ああ、本当だ。君も金は必要だろう?それに‥‥‥新薬にも、気になる部分があるのではないかな?」
「何故、それを‥‥‥」
「‥‥‥調べさせて貰ったよ。新薬には副作用があるそうだね‥‥‥しかし、黒羽製薬では、その改善に時間がかかる。改善できる保証も無い‥‥‥」
「‥‥‥確かに、おっしゃるとおりです。新薬には、副作用があります。改善はできると思いますが、それには時間と金が‥‥‥」
「天城製薬であれば、その時間と金を用意できるが?」
「‥‥‥‥‥‥それは」
「3億出そう。それと開発責任者としての権限も、君に委ねるつもりだ」
「‥‥‥‥‥‥すぐに、準備してもらえますか?」
「勿論だ。‥‥‥1つ約束してほしい。金も地位も、権力も与える。研究も存分に進めるといい。だが‥‥‥裏切る様な真似はしないことだ。‥‥‥それだけを、君に望む」
「‥‥‥分かりました。その話、受けます。‥‥‥では、私はどうしたら?」
「ありがとう‥‥‥まずは、新薬のデータを、改竄してほしい」
「改竄‥‥‥?」
「そうだ、改竄し‥‥‥捏造するんだ。臨床データを‥‥‥」
そこから具体的な話を進める。
天城悠生も安西譲二も優秀な人間だ。
意思の疎通には時間はかからなかった。
これが、黒羽製薬の終わりの始まりであった。
◇
ある日の朝。
新聞を眺めながら朝食を摂る。
起床時に見たテレビでも報道されていた内容であったが、その詳細が書かれていた。
『黒羽製薬が新薬の臨床データを捏造』
『捏造した臨床データをもとに、人体への使用を決行』
『新薬を使用された患者に重篤な被害。使用後に急変し、死亡した患者も確認』
など。大々的に黒羽製薬を批難する記事が一面を飾っていた。
数日後、黒羽製薬の社長が正式に会見を開く予定と。
『‥‥‥‥‥‥ふふっ』
新聞を持つ手が震える。
その震えは次第に大きくなり、果てはくぐもった笑いへと変化していた。
長年の夢が成就した。その結果を祝う、笑み。
狂気をはらんだ、醜悪な笑顔が。
新聞の向こう側、天城悠生の顔に浮かんでいた。
‥‥‥夢は叶った。
あとは、その夢から醒めるだけ。
そう考えた悠生は、最後の仕事に取り掛かることにした。
『‥‥‥幹久か?‥‥‥ニュースを見たよ‥‥‥‥‥‥2人だけで話がしたい』
◇
社長室へ足を踏み入れた時から、幹久は悠生を警戒していた。
‥‥‥正確には、何年も連絡を取り合っていなかった悠生の電話がきっかけだろう。
『まさか君の仕業か‥‥‥悠生。今回の新薬の、捏造は‥‥‥』
『ああ、その通り。君のところの開発責任者である、安西譲二も。‥‥‥こちらに寝返ったよ』
『まさか、安西くんが、今回の捏造を‥‥‥?』
『そうさ‥‥‥後は真実を知る君を、始末するだけさ‥‥‥幹久』
胸元に手を入れながら、社長室のデスクに座る黒羽幹久に近づく。
逃げる素振りも、抵抗する気も無い。
ただ、これから起こることを受け入れているようだ。
『それで私を殺す気か?‥‥‥そうすると悠生。君は逃げられないぞ?』
『構わないさ、悠生。私の幸せを奪った貴様に復讐するため、ここまで来たのだから‥‥‥』
怨みの籠もった言葉。それを聞いた瞬間、幹久は悟る。
天城悠生とは、もはや相容れない関係になっていた事を。
『そうか君の好きにするといいさ。だがいずれ、君の悪事が暴かれる時が必ず来る。覚悟しておくんだな、天城悠生‥‥‥俺の、友人であった男よ』
『そうはならないさ。それに、もはや友人ではない。‥‥‥邪魔な、人間だ』
幹久の頭に銃を突きつける。
あとは引き金を引くだけで、全てが終わる。
『そうか‥‥‥残念だよ‥‥‥琴音、それに詩音。最後まで一緒にいることの出来ない、不甲斐ない男で‥‥‥済まない』
―――銃声。
かつて友人であった男が、物言わぬ物体に変わった。
『‥‥‥‥‥‥こんなものか』
特に感慨は無い。
ただ、邪魔なものがいなくなったという感想が浮かぶ。
復讐を決めた時から、既に壊れていた。
幹久の失墜を確認した時点で、溜飲も下がっている。
その場を速やかに去る。
会社に潜り込ませた人間にも、人払いの出来る時間に限りはある。
しかし、どうしても自分の手で。黒羽幹久に引導を渡してやりたかった。
金はかかったが、実に有意義な時間であった。
例え、その結果が予想以上につまらないものであったとしても。
天城悠生は長い時間を掛けて、復讐を達成した。
自分の幸せを奪った人間から、幸せを奪うことが出来た。
それに、自分は妻も子どももいて、仕事も順風満帆。
これから天城悠生の人生が新たに始まる。
‥‥‥それと同時に、小さな復讐の芽が芽吹いていた事には、気が付いてはいなかった。
◇
水瀬宗次郎がその生涯で得た教訓‥‥‥『人を殺せば復讐の輪廻に囚われる』
‥‥‥天城悠生が、その言葉の体現者となる。
「‥‥‥何?安西が?」
最初は天城製薬で開発していた新薬の開発責任者の失踪。
新薬の発表を終えてからのことであった。
「‥‥‥‥‥‥他の研究者で開発を進めろ」
開発責任者である安西譲二の不在は痛手ではあったが、既に新薬の開発は殆ど完了している。
それに、安西以外にも優秀な研究者は数多くいた。その人員に任せても支障は無いだろう。
加えて、国内でも有数の名家でもある、冷泉家の支援を受けられる事になった。その恩恵は非常に大きい。
優秀な人員と潤沢な資金。それがあるため、その後も順調に開発が進んでいた。
◇
「‥‥‥‥‥‥」
悪いことは重なるものなのか。
安西譲二が失踪したあと、子飼いの部下から新たな情報を得ていた。
部下、といっても会社の人間ではない。天城悠生、独自の人脈で繋がった裏の人間。
金を払えば、希望の通り動くプロの集団。天城悠生を支える柱の1つでもあった。
そんな部下からもたらされた情報。
黒羽幹久の娘が、当時の情報を集めている。
「‥‥‥どこまでも‥‥‥しつこい奴だ」
苦虫を髪潰したかのような表情。
(静かに墓の中で眠っていればいいものを‥‥‥)
そう考えた悠生は、1人の男を呼ぶ。
「‥‥‥なんだ、親父」
天城製薬、統括部長‥‥‥天城蓮。
若輩者ではあるが、父親譲りの辣腕を振るい、この地位まで上り詰めていた。
悠生の力が、彼の助けになっていた事も事実だが‥‥‥
「‥‥‥仕事を頼みたい」
「‥‥‥構わないが‥‥‥それに見合ったものは、貰えるんだろうな?」
表向きは悠生に従順な息子であり、部下である。
しかし、悠生を香蓮の力で成り上がった人間であると見下している節があった。
‥‥‥蓮自身もその1人だと、悠生は指摘しない。
言ったところで逆上するだけであることも分かっていた。
「当然だ‥‥‥お前には実力もある。ゆくゆくは私の座も譲るつもりだが‥‥‥それには少し邪魔な者がいてな?」
「‥‥‥それは親父に任せる。で、俺はどうしたら良いんだ?」
「‥‥‥‥‥‥今から話すことは他言無用だ。必要なら私の部下も貸しだそう‥‥‥」
悠生は蓮に黒羽製薬の事について話す。
その後、事情を把握した蓮は、新たな自分の仕事に取り掛かることにした。
◇
「‥‥‥‥‥‥黒羽詩音と、その部下を始末しろ」
会員制のバーで悠生は指示を下す。
相手はカウンター横に座る男。カクテルを1杯だけ飲み、何も言わずにその場を立ち去る。
‥‥‥依頼は完了した。あとは結果を待つのみ。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥絶対に、許すものか‥‥‥」
グラスを握る手に力が入る。
息子‥‥‥天城蓮は失敗したようだ。先に開放された部下からそのような報告を受けた。
‥‥‥行方は分からない。ただ、話によると連れ去られた場所は、裏社会で生きる人間にとっても、踏み入れてはならない場所のようであった。
‥‥‥天城蓮は、帰ってこない。
「‥‥‥‥‥‥」
不甲斐ない部下は処分した。金に糸目はつけない。
新たに現れた過去の亡霊を祓うため、天城悠生は再び、自らの手を汚すことを決めた。
◇
「‥‥‥‥‥‥これは一体どういうことだっ!!!」
社長室に怒号が響き渡る。
部下から受け取った緊急の連絡。
―――黒羽製薬の捏造の証拠。
―――黒羽幹久を殺害した人物の証拠。
その情報であった。
「早く止めろっ!!!」
部下に言い放つが、時既に遅い。
表には出てはいないが、リーク先は冷泉家。
「‥‥‥あの小娘が‥‥‥」
資金提供契約の場にいた、冷泉家の当主を思い出す。
突然の資金提供を受け入れた自分の不覚を悟る。
あれから全てがおかしくなった。
「‥‥‥一体、何が?」
天城悠生はこの時まで黒羽詩音を侮っていた。
過去の亡霊が襲ってきたところで、今の世を謳歌している生者には何も出来ないと。
‥‥‥しかし、2つの誤算があった。
黒羽詩音の、人生を掛けた執念を過小評価していたこと。
そして、自分の息子‥‥‥赤城眞も、復讐の炎を絶やしていなかった事。
ここから、天城悠生の転落が始まる。
復讐の輪廻に囚われた男には。
『因果応報』その言葉が、一番相応しい。




