37話
翌日。
事務所に戻ってきた眞が詩音に声を掛ける。出掛ける準備は万端だ。
「では、案内を頼む」
「はい、最初は水族館でも行きましょうか」
「水族館‥‥‥あの魚のやつか?」
「‥‥‥そうです。少し遠くなりますが、この街にもあるみたいですね。詩音さんは苦手でしたか?」
「いや。そもそも行ったことが無い」
「なら、行ってみましょうか」
「ああ」
眞は詩音を引き連れて目的地に向かう。
移動は主に車。車は眞が前職で通勤に使っていたものだ。
バッテリー上がりもなく、正常にエンジンがかかる。
「‥‥‥眞も運転が出来たんだな」
滑らかに車を運転しながら詩音の問に答える。
「ええ、今は詩音さんの事務所で生活させてもらっていますから必要は無いんですけれども‥‥‥前のアパートから持ってきました」
「アパート?‥‥‥引き払っていなかったのか?」
「はい、おかげさまでお金には困ってはいませんし、何かあった時に使えるかな、と思いまして」
「ふぅん‥‥‥」
何かを考えている様な仕草をする詩音。
「どうかしましたか?」
「‥‥‥いや、セーフハウスみたいだな」
「‥‥‥」
詩音も眞と同じ思考に行き着いた様だ。眞は変なところで気が合うのかもしれないと思った。
◇
水族館に着き、入場券を購入しようとした所、大人1枚と子ども1枚で購入を確認された。
受付から少し離れた所にいたため、体格だけで判断されてしまったようだ。
眞は思わず詩音を見たが、特に気にしてはいなかった。子ども扱いには慣れてはいるらしい。
眞はとりあえず大人2枚で購入することにした。
「いっそのこと、子ども料金で入ってやれば良かった」
「いや、大人としてそれは‥‥‥」
それもそうか、とすんなり納得する。
既に興味は水槽の方へ移っているようだ。
「それにしても‥‥‥悪くないな」
詩音はガラス越しの水とその中を泳ぐ魚を見ながらそう呟く。
気怠げな表情には変わりはないが、少しだけ瞳が生き生きとしている。
「そう言ってもらえて良かったです」
眞も詩音と同じ様に魚を観察する。
海中を模した水槽に、色とりどりの魚や大きな魚も泳いでいる。小魚の魚群や、海底を這う甲殻類もたくさんいるようだ。
「イワシにアジ‥‥‥あれはマグロか?‥‥‥食べごたえがありそうだな••••••」
「‥‥‥」
詩音は少し違う楽しみ方をしているようであった。
◇
「中々楽しめたぞ」
「ええ、あの大きなトンネルみたいな水槽が特に」
「確かにな。普段はああして見ることは無い。だから余計新鮮に見えるんだろうな」
思いの外、受けが良かったようで、車の中でもその話題で盛り上がった。
(‥‥‥いつもと少し違う気が‥‥‥まあ、楽しんでくれているようなら)
‥‥‥眞は思う。
いつもより、詩音の口数が多いと。本人は楽しんでいるようなので深くは考えないようにした。
◇
「ここは‥‥‥」
「少し早いですが、昼食にしましょうか」
水族館を出た後。少し早めの昼食を取ることにした2人は、カフェの様な店先にいた。
「イタリア料理か‥‥‥?」
「はい、ですがそこまで堅苦しいところでは無いみたいです。トラットリア、なんて言うらしいですね」
眞は気兼ねなく料理を楽しむ事を念頭に、大衆的なイタリア料理店を選んでいた。
「普段はあまり食べないな‥‥‥」
「ええ、ですのでたまには良いかと思いまして」
詩音の食事のリクエスト中には洋食も含まれてはいるが、本格的なものは作った事がない。事務所にはそういった料理を作る為の設備が無いからだ。
「興味は、あるな‥‥‥」
「それなら早速入りましょう」
興味ありげな詩音に声を掛け、その店に入ることにした。
◇
「‥‥‥美味いな」
「ええ、プロの作る料理は違いますねぇ」
向かい合わせの席に座り、お互いに注文した料理を食べている。
眞は牛のすね肉をトマトとワインで煮込んだ料理を。詩音はペコリーノチーズをふんだんに使ったシンプルなパスタを注文し、それぞれ食べ進めていた。
他にもマルゲリータやアクアパッツァなどが並んでいる。
「勢いで頼んだが‥‥‥結構な量だな‥‥‥食い切れるだろうか‥‥‥」
「そこはまあ、私が頑張りますよ」
「そうか、なら安心だ」
そう言いながら、近くにあったマルゲリータにも手を伸ばす。トマトやバジル、チーズの香りが強く、食欲をそそる。
「詩音さんって、今迄どんな食生活を送っていたんですか?」
眞が勤め始める前。元々の食生活について尋ねる。
「ああ、適当に買って、食っていたな。後はバリオスのマスターからの差し入れ。それと飲みに行った時に、何かつまむか‥‥‥だったな」
「‥‥‥」
あんまりな食生活だ、と眞は思った。
「他の事は‥‥‥」
「マスターがやってくれていたな‥‥‥だが、あまり任せすぎているとバーを出禁にされる。その時は自分でやらざるを得なかったが‥‥‥」
「‥‥‥」
(通りで、雇われた時に四条さんが喜んでいた訳だ‥‥‥)
四条の苦労が偲ばれる。
「まあ、今は眞が殆どやってくれているからな。気にしなくて良くなったのは大きい」
「‥‥‥」
気にしましょうよ‥‥‥と、言葉が口元まで出ていたが、何とか飲み込む。
せっかくおいしい料理に舌鼓を打っている最中だ。無粋な真似は出来なかった。
◇
「イタリア料理も良いものだな‥‥‥」
「詩音さん、デザートまで食べてましたね」
結局2人で注文した食事は全て食べた。
それどころか、食後のジェラートとエスプレッソも追加で注文し、甘さと苦さのマリアージュを楽しんでいた。
「ああ、ジェラートとエスプレッソの組み合わせが良いんだ‥‥‥おかげで腹一杯だ」
「そうは見えませんが‥‥‥?」
見た目にはあまり変わらない腹をさすりながら歩く。眞は先程の食事が、詩音の何処に消えたのか不思議であった。
「そうか?‥‥‥‥‥‥まあ、昔から食べても目立たない方ではあるか‥‥‥」
「‥‥‥目立たない?」
妙な言い方に眞は聞き返す。
「昔から食べても体重が増えない体質でな‥‥‥仕舞いには、こればっかり育つ始末だ‥‥‥不要だ、とは言わんが‥‥‥その分、背丈に欲しかったな‥‥‥」
こればっかり、といったところで腕で胸を押し上げる。
勝負下着とやらに包まれているものがシャツの下で形を変えていた。
詩音も自身の体つきに思うところがあるのだろう。眞は視線を逸しながら呟く。
「その言葉、他の女性の前では言わないほうが‥‥‥」
「そうか?‥‥‥体質だから仕方がないだろうに‥‥‥」
体質のせいだからどうしようもない、と本気で思っているようだ。
本気で刺されかねませんよ?という言葉を飲み込みながら、思う。
今迄、指摘してくれる人はいなかったのだろうな、と。
(気軽に指摘してくれる友人がいたのなら‥‥‥もう少し生き方が変わったんじゃないか)
今迄に複数の女性と関係を持っていたとはいえ、知り合いと呼べる人間は、人間不信の朱鷺や様子のおかしい杉沢くらいだろう。だが、友人と呼べる人間がいない眞も、とやかく言うことはできなかった。
◇
「なんだ‥‥‥ここ?」
「レジャー施設ですね。施設内に様々なレジャーがあるんですよ。カラオケやボーリング、各種スポーツやゲームセンターなど••••••」
「随分と、騒々しいな‥‥‥」
「普段行く機会が無いような場所を選んだので‥‥‥ですが、食後の運動に丁度良いところもあるんです」
「丁度良い所?」
「ええ、こっちみたいですね」
人混みのあるところが得意では無い詩音は、怪訝な表情を浮かべながらも、黙って眞の後を追うことにした。
施設内を案内の通りに進む。
「‥‥‥ここですね」
「さっきのところよりも静かだが‥‥‥ああ、なるほど」
眞達のいるスペースは全体的に照明が絞られており、比較的静かな空間が形成されている。そこには、ビリヤード台とダーツが設置されていた。
平日であることから、人もさほど多くはない。ゆっくりと楽しむ事が出来る状況であった。
「たまにはこういった遊びもいいかと思いますが」
「そうかもしれんな‥‥‥ならダーツからだ」
詩音はダーツのある場所まで、とことこ歩く。こういったシンプルな遊戯は嫌いでは無いのだろう。ポーカー然り。
眞はスタッフに声を掛け、ダーツで遊ぶことにした。
結果。眞は的に当てることすら難しかったが、詩音は高得点を叩き出していた。
「経験があるんですか?」
「いや、初めてだが?」
「私も同じく初めてですが、これ、凄いんじゃないですか?」
「そうか?‥‥‥簡単だぞ。一度良い所に当たったら、同じ動きをするだけだからな」
「それが出来ないんですよ‥‥‥普通」
きょとん、としながら説明する詩音。今迄の事を思い出すと、心当たりがあり過ぎるので、驚くことすら出来なかった。
◇
「簡単だった」
「ビリヤードも上手でしたね」
「ダーツよりも不確定要素があるから、ビリヤードの方が好みだな。‥‥‥やはり、シンプルなのが良い」
レジャーも楽しんでもらえた事に安堵する。
正直な所、詩音には受け入れてもらえないかと思っていた眞にとっては嬉しい誤算である。
「次の場所は少し特殊なんですれども‥‥‥ところで、疲れたりとかはしていませんか?」
「いや、大丈夫だ。••••••なんだ、帰りたくなったか?」
「いえ、私も余裕です。もしよければ、足湯とかはどうでしょう?穴場があるみたいなんですが‥‥‥」
「ふむ‥‥‥行ってみるか。気持ち良さそうだ」
「では、行きましょうか」
車に戻り、次の場所へ向かう。
足湯に入ったあとは良い時間になるだろう。最後の段取りまで考えながら、眞は車を走らせた。
◇
「あぁ‥‥‥このまま一杯飲みたい」
「駄目ですよ?」
「‥‥‥分かっている‥‥‥言ってみただけだ」
その言葉が半ば本気であったことに、眞は気が付いていた。一応、釘を刺す。
「あ、猫‥‥‥」
「猫、だな」
足湯でまったりしていた詩音の傍に、黒猫が近寄ってきた。耳が人為的にカットされていたため、地域猫だろう。
その黒猫が詩音の膝の上に乗り、香箱座りになる。
「‥‥‥可愛いですね」
「‥‥‥それは猫か?‥‥‥私か?」
猫を優しく撫でながら、眞を試すように問いかける。
詩音からの珍しい質問に、眞は戸惑ってしまった。
「‥‥‥それは‥‥‥」
「どっちも、と言える甲斐性はないのか‥‥‥?」
「‥‥‥すみません。気が利かなくて‥‥‥」
はぁ‥‥‥とわざとらしく溜息をつく。
冗談で言っていることが分かっていても動揺してしまう。
「‥‥‥すまん、浮かれすぎていたようだな」
膝の猫をとんとん、と叩く。
それが合図となったのか、にゃあ、と一言鳴いて、何処かへ行ってしまった。
「そろそろ良い時間だな」
「そうですね、次が最後になりますが、この後、向かってもいいでしょうか?」
「一日の締めだ。付き合おうじゃないか」
眞達は湯船からあがり、支度を整えてから車に戻る。
そして、本日最後の目的地に向かうことにした。




