30話
空港から出た2人。
本土はまだ寒い時期ではあるが、この島は比較的軽装でも快適に過ごすことの出来る気温であった。寧ろ、今日の様に快晴の日はその傾向が強い。
それを事前に予測していた2人の服装はいつもと違うものであった。
「今の時期でも、ここは過ごしやすい気候ですね」
「そうだな‥‥‥」
眞は薄いジャケットにシャツ。スラックスのカジュアルなファッションに身を包んでいる。
‥‥‥後は大きなリュックサックとキャリーケースくらいか。
詩音も、眞と同じ様な格好をしているが、その趣は普段とは違っていた。
ラフなシャツに丈の短いベージュ色のパンツ。
黒のサコッシュ。
いつものコートは着ておらず、手に持っている。
温暖な島に行くと決めた詩音の為に、朱鷺が準備したものだ。
‥‥‥無論、写真は撮影したが。
「やはり、楽だな‥‥‥」
詩音は少し戸惑いつつも、普段の格好よりリラックスしているようだ。身体を動かしてるとより実感するらしい。
それもそうだろう。オーバーサイズのシャツなので締め付けがなく、呼吸もしやすい。
「普段はこういった格好はしませんよね」
「ああ、昔から仕事着を着る機会が多かったからな。それに慣れた‥‥‥寧ろ、着ていないと落ち着かん」
「なら、この機会に他の服装も着てみたらどうでしょうか。似合うと思いますよ」
眞は何気なく提案する。
「‥‥‥‥‥‥よく分からん」
「えっ?」
「‥‥‥ずっとこの仕事に就いていたからな‥‥‥仕事で使う服装以外のことはよく分からないし、興味がない‥‥‥」
「‥‥‥そう‥‥‥なんですね」
‥‥‥いつもの表情を浮かべながら呟く。
そんな詩音を見て、何もそれ以上の事は言えなくなってしまった。
(確かに‥‥‥仕事着の姿以外はあまり見たことが無いな)
いつから裏の仕事に就いているのかは分からないが、それが長いことには気が付いていた。
‥‥‥詩音の過去を振り返ると、それこそ人生の大半を費やしていたことが窺える。
(‥‥‥普通の人生を、送ることが出来ていないから‥‥‥)
本当に自分の境遇に似ていると思う。
親を失い、人生の楽しみを知らずに生きてきた。
成人してからも復讐を考える日々。
‥‥‥違う所は、それを諦めていたか、いないかの違い。
(‥‥‥復讐を遂げることが出来たら‥‥‥詩音さんは、どうするんだろうか)
尋ねてみたい気持ちはある。
しかし、それは今では無いと思う。
‥‥‥余計な世話になるだけだ。
(余計な事は聞かないほうが良い‥‥‥でも‥‥‥)
悲願である復讐の成就に向けて、着実に歩みを進めている。
そんな実感の中、詩音の行く末を心配することしか出来なかった。
◇
「‥‥‥」
「どうした?」
「‥‥‥‥‥‥部屋、一緒なんですね」
「‥‥‥おかしいか?」
眞が気にしている事‥‥‥
それは現在の部屋割とそれをホテル側に伝える際の遣り取りの事であった。
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥
‥‥
‥
「ご予約の黒羽様ですね‥‥‥お部屋は1部屋で宜しいでしょうか?」
「はい‥‥‥?1部屋‥‥‥」
1部屋しか予約していない事実に驚きを隠せない。
「ああ、間違いない」
「詩音さん‥‥‥?」
それが間違いではなく、意図的にそうしていたことにも驚いていた。
「‥‥‥お2人はご家族様では?」
スタッフは不思議そうな表情で伺ってくる。
「いや、同りょ‥‥‥」
「‥‥‥旦那だ」
「!?」
「そうでしたか。では鍵をどうぞ」
詩音の発言に動揺する眞を制止しながら、フロントから鍵を受け取り、部屋へ向かう。
眞は戸惑いながらも、その背中を追うことにした。
‥
‥‥
‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
「‥‥‥部屋、分けなくて良かったんですか?」
「打ち合わせの度に、いちいち出入りするのも面倒だ。‥‥‥金があるとはいえ、無駄金は使いたくない」
「でも‥‥‥」
眞であれば2部屋で予約していただろう。
しかし、詩音はその考えを先回りしていた。
「‥‥‥眞に予約を任せたらそうなることは予想がつく。だから私が予約した‥‥‥それに、いつも同じ部屋で寝ているだろう?‥‥‥慣れているはずだ」
「まあ、そうですけど‥‥‥」
詩音が宿の手配をすると申し出た時から不思議ではあったが、こんな思惑があったとは思っていなかった。だが、それよりも‥‥‥
「‥‥‥何が言いたいんだ?」
「いえ、その、さっきの‥‥‥」
「さっきの‥‥‥ああ、私達の事か‥‥‥別に深い意味は無い。そう伝えた方がやりやすいだろう?」
なんてことの無いように話す。
その言葉通り、詩音にとって深い意味は無いのだろうが、それでも眞は気になってしまう。
(なんとも思われていないのも‥‥‥物悲しいものがあるなぁ‥‥‥)
詩音に悟られないように肩を落とす。
完全に切り替えるには、少しだけ時間が掛かった。
◇
「朱鷺さんが調べた書類には、ここだと書かれていたのですが‥‥‥」
「誰もいないな‥‥‥」
この島特有の石垣に囲まれた一軒家。
質素ながら趣のある家だ。
海を一望できる庭があり、周囲には穏やかな時間が流れている。
「黒羽製薬を解雇される前から妻を早くに亡くし、男手1つで息子を育てていたようです‥‥‥その息子も今は本土へ移住しており、本人は1人でここに住んでいるとか」
「それなりに、悠々自適な生活をしていた訳か‥‥‥」
詩音は複雑な顔をする。
敵であると決まったわけでは無いが、その可能性が高い以上、思う所はある。
「‥‥‥」
どうしようもない感情を抱く詩音に、眞はどのように声を掛けたら良いのか思考する。
‥‥‥そして1つ、考えが浮かぶ。
「‥‥‥詩音さん。ここにいても仕方がありません。とりあえず時間をおいてからまた来ませんか?」
「‥‥‥‥‥‥そうだな」
詩音の反応を見て、今が好機だと確信する。
「では、詩音さん‥‥‥このままホテルに戻るのももったいないですし、少し寄り道しませんか?‥‥‥行ってみたいところがあるんです」
「寄り道‥‥‥まあ、構わんが」
「よし、じゃあ早速行きましょう」
詩音の言質を取り、内心で小躍りする眞。
詩音の先を歩き、目的の場所に向かう。詩音が何を考えているのかは分からないが、素直について来ていることは分かった。
(‥‥‥ここまで来たんだから、少しは気晴らしをしないとな)
そう考えると足に活力が湧く。
‥‥‥早く見せてあげたい。
それを悟られないように、詩音にペースを合わせてゆっくりと歩くことにした。
◇
時間は過ぎ、日没に近い時間になっていた。
「何処へ連れて行くつもりなんだ?」
「‥‥‥あと、もう少しです」
海辺近くの道路から道を外れる。砂で足元が汚れることも気にせず、詩音を目的の場所へ連れていく。
「ここは‥‥‥砂浜か?」
「ええ、あまり知られていない穴場だそうですよ」
「眞が知っている時点で違うと思うが‥‥‥」
「まあまあ、気にしないで下さい‥‥‥それよりもほら、着きましたよ」
「ここは‥‥‥」
そこは海辺の砂浜。
海の向こう側に、陽が沈む時間帯であった。
青と赤が混じる穏やかな海と、橙色に染まる白い砂浜。
何処までも遠く、透き通る海。
夕日で海面がきらきら光っている。
白い砂浜には眞と詩音の2人しかいない。
喧騒から隔絶された静かな空間。
‥‥‥これが絶景であることは、誰の目にも明らかであった。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥綺麗」
詩音はその光景を見て、ぽつりと呟く。
「‥‥‥‥‥‥こんな場所が、あったんだな‥‥‥」
暫く立ち尽くしていた詩音が、ぽつりと零した言葉。
「‥‥‥詩音、さん‥‥‥‥‥‥」
その言葉と横顔に、眞も言葉を失う。
ただただ、純粋に。目の前の光景が綺麗だと思いながら見つめる瞳。
風にさらわれ、緩やかにたなびく黒と白の髪。
嬉しいような悲しいような、言葉に出来ない感情が溢れている表情。
‥‥‥夕日に優しく包まれている詩音が。
眞の目には‥‥‥今にも消えてしまいそうなほど儚く、綺麗なものに見えていた。
◇
「詩音さん‥‥‥?」
日が沈み掛けた頃合い。
辺りが暗くなり始める前に声を掛ける。
「‥‥‥‥‥‥ああ、行こう」
詩音がいつもの表情で眞の元へ近づく。
‥‥‥その時。
「君は‥‥‥まさか‥‥‥?」
「?!」
眞と詩音は声の方向を見る。
そこには眼鏡を掛けた壮年の男性がいた。
年は40〜50歳位。安西よりも若い雰囲気があった。
‥‥‥一目見て、穏やかで優しい印象を受ける。
「貴方は‥‥‥?」
「失礼しました‥‥‥私は‥‥‥梶原、と言います」
見知らぬ男の口から探し人の名前が出る。
眞と詩音はその事実に驚きつつ、言葉を返す。
「貴方が‥‥‥梶原さん?」
「梶原‥‥‥」
「‥‥‥貴女は‥‥‥黒羽詩音さん、ですよね?‥‥‥‥‥‥大きくなりましたね」
詩音の過去を知っている。そんな梶原の言葉に詩音が尋ねる。‥‥‥その瞳は険しいものであった。
「‥‥‥私を知っているのなら、ここに来た目的も分かるだろう」
「‥‥‥ええ、存じております。お時間があるようでしたら、私の家でお話しましょうか‥‥‥」
梶原の背中を追うように、一度来た道を戻る。
その道のりは詩音の過去を辿るようでもあった。




