ようこそ、桜庭探偵事務所へ。 ⑮
「あのさ……ちょっと、聞いても良い?」
「はい。」
呼びかけた声に、柊野君が作業の手を止めて顔を上げた。
場所は今日のうちに出ていく予定の僕の部屋。
大物は後日業者に任せることにして、必需品だけでも取りに行こうぜと桜庭さんが車を出してくれたのだ。
分かってたことではあるんだけど、迷う素振りもなく到着するのをみると改めてすごいと実感する。
その桜庭さんは一度部屋に上がってから、外を見張ってくると言って出ていってしまった。
残って荷造りを手伝ってくれている柊野君がどうかされましたか、と首を傾げるのに、少し言い淀む。
「えっと、さ……僕、本当に働かせてもらっても、いいのかな。」
「……もし、椿木さんの気が進まないのであれば、」
「あっいや、そうじゃなくて……。」
桜庭さんと柊野君が、僕を歓迎してくれていることは、その顔を、声を聞けば疑いようもない。
僕の方に不満があるわけもないし。
ただ……なんと言えばいいのか、そう、僕じゃなくてもいいんじゃないかと思うんだ。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、僕が必要な訳ではなくて、行き場を失った僕に同情してくれたんじゃないかと。
実際、桜庭さんが誘ってくれたのは是非もないほど有難いし……。
少し気恥ずかしいけど、僕は桜庭さんのことも、柊野君のことも、好きになってしまったから、一緒に働けるのなら、そんなに嬉しいことはないけど。
だけどそれは、僕が一方的に得をしているだけなんじゃないかとも思ってしまうのだ。
好きな人の負担にしかならないのは、嫌だし。
ただこれを、そのまま言ってしまえばきっと、そんな事ないよと否定してくれて終わりだろう。
だからってこのまま、僕が働きたくないと思われっぱなしなのも絶対嫌だ。
どうにか上手に伝えられないものかと言葉を探す頭に、静かな声が滑り込む。
「俺は。」
反射的にそちらを見れば、淡々と荷物を箱に詰めながら柊野君が口を閉じるところだった。
小さく覗いた舌が唇を湿らせて、ゆっくりとまた話し出す。
「人の感情、というものに、敏い質ではありません。だけど……。」
言葉を切った柊野君が、僕を見る。
桜庭さんとは違う、色素の薄い瞳。映る輪郭も曖昧で。
その代わりのように、語る声は低く、くっきりと。
「椿木さんといるときの先生が、とても楽しそうなことはわかります。」
「そ……っか。」
「はい。なので、椿木さんさえ良ければ一緒に働いていただけると、嬉しいです。」
「皆まで言わなくていいから……。」
じわりと熱くなった頬を隠すように背を向ける。
僕でなければならない理由、とはまた違うのかもしれないけれど、僕を認めてくれる言葉のような気がして。
応えたいな、とひそかに心に刻む背後から、あ、でも、と声が続いた。
「一つ、言っておかなければならないことがあります。」
「え……。」
振り返った僕を迎える真剣みを帯びた声に、背筋が伸びた。
落ち着いた、それでいて奥底に怒りが滲んでいるような声。
「拳銃を持った人の前に出て行くなんて危ないこと、二度としないでください。」
「……それは、」
「今回は、先生がいたから事なきを得ましたが……いつもそう上手くいくわけじゃありません。先生だって万能じゃないし……まして俺には、先生のようにあなたを守ることはできない。」
「……ごめん。」
「約束してください。あんな真似はもうしないと。俺はあなたが傷つくところなんて見たくないし、あなたを守れなかったと後悔するのも嫌です。」
「……わかった。約束する。」
「絶対、ですよ。」
心の奥底まで見通すように見つめられて、しっかりと頷く。
柊野君の言葉は翻せば、僕が危険な真似をすれば僕を助けようとしてくれる柊野君や桜庭さんまで危ない目に合わせるってことだ。
だから、慎重に行動しないといけないんだ。
きっと僕も、できることがなくたって手を伸ばしてしまうだろうから。
それこそ……放たれた弾丸から桜庭さんを遠ざけようとしたように。
……怒りを、抑えられなかったように。
「でも、驚きました。椿木さんはもっと、感情を抑えて立ち回られると思っていたので。」
「あー、うん。正直、自分でもびっくりしてる。」
「どうして……と、聞いても構いませんか。」
「……なんか、我慢できなかったんだ。」
あの時。
銃弾を受け止めてなお平然と立っていた桜庭さんを見た時、社長が零した言葉が。言い放たれた形なき弾丸が。
「……ばけもの……って、そう言ったんだ、あの人……どうしても、許せなくて……。」
思い出しても泣きたくなるほど腹立たしい。
桜庭さんは、確かに僕たちとは違うところもあるかもしれないけど、それでも。
気さくで、明るくて、優しくて……僕たちと同じ、心を持ってる人なのに。
「僕に、手を差し伸べて、助けてくれた人なのに……! ……あの時……桜庭さんにも、聞こえちゃったかなぁ……。」
「……わかりません……でも。」
揺らめく視界に、影が落ちた。
柔らかなぬくもりが背中を撫でる。
何度も、何度も。幼子をあやすように、何度も。
「例え傷ついても、先生は歩みを止めません。あなたのように想ってくれる人がいる限り。だから……強くなりましょう。おいていかれないように。先生が傷ついたときに、歩けなくなったときに……今度は俺たちが、守れるように。」




