面白さ イズ 何?
面白さってなんだ?
物書きなら一度は考えたことがある、と思う。
面白さとは何ぞや。
わからん。なんもわからん。
面白い、という言葉の定義が先だ。
面白いと感じるのはどんな時か。そこを考える。
よく聞くのは「感情の揺れ」だ。
楽しい、悲しい、ワクワクする、怖い、苦しい等々。これを感じる話を読んだときに面白いととらえる。だからこそ「ざまぁ」が必須になってしまっているのだろう。簡単だからね。
必須になって必ず組み込まれると、その先に行けなくなるので必須ととらえない方がよい。あと、腕が鈍る。
個人的には「これを読んで満足できたか」が面白いと感じる境目かなと思ってる。「楽しい」を感じた作品でも読後に満足が得られたかというと、それはわからない。
会話を楽しむ系の話を読んでも、残念なことに満足感は残らない。今回も進んでネーナと感じただけだ。
何かが不足している。
不足しているものはなんであろうか。
新しい知見、と個人的には思ってる。
本を読んで面白かったと満足できた作品の中に、物語ではないものがあった。例を出すと、サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」だ。とても面白かった。
この作品には、論文や研究成果発表のようなもので心を動かされるようなストーリーはない。でも面白いと感じた。なぜか。
この本はサミュエル・ハンチントンの考え方の本である。都合の良いデータを並べたものだ、という批判もある。正しいかはわからないが、面白い考察だと思った。
同様に、ガイドブックや図鑑も面白い本である。これもストーリーはない。あるのは知識である。
「へー」とか「ほー」とか独り言を垂れ流しながら読むとなおいい。
というのが個人的な見解だ。
読んだ後に「なるほどねー」とつぶやける感じ。これが満足感だろう、と。
上記を前提とすれば、お仕事小説なんかはもっと面白いと思われても良いと思うのだが、実際はそうでもない。
これは、読む人が仕事内容だけを知りたいのではなく話を読みたいからだ、と自分は考えてる。
読み手が小説に求めるのはストーリー、つまり人間ドラマだ。お仕事内容だけではない。
なので、割合を考えるべき、と思う。
人間ドラマが7割、お仕事内容が3割。この程度に抑えると、人間ドラマが書けるかな、と。
いま書いている「墓地ダン」も仏教の説法や考え方などを練りこみつつ基本は人間ドラマとして書いてる、つもりである。書けているかは仏さまのみ知る、である。
まぁこれも個人の考えなので、「そんなことはない」と否定されてもしゃーないものではある。




