85部 黄昏の終わり
「やはり神もまた、運命からは逃れられない」
ウトガルザは静かに言った。オーディンは片腕を失い、血を流していた。狼が満足げに吠える。
「ここまでか…だが、ただでは死ねんな!」
オーディンは最後の力を振り絞り、巨人の王に迫った。魔力の嵐は大いなる力に阻まれた。
「さようなら神々の主柱、その運命を呪え」
「…くたばれ」
主神は背後の狼に噛み砕かれた。ウトガルザは満足そうな笑みを浮かべた。
次の瞬間に現れたのはオーディン息子、ヴィーザルだった。父の最期を目にした息子は、激しい怒りを持ってフェンリルに飛びかかった。
「隙だらけだよ」
ウトガルザの後ろに棺が地面よりせり出した。『墓場起こし』アイリーンが現れ、背中に剣を捩じ込んだ。
「狩人は獲物を狩った時に一番無防備になるんだよね」
「主神を囮にするなんて、人間の風上にも置けないね」
巨人の王は貫かれた剣を掴みへし折った。そのまま振り返ると、手に持った破片を襲撃者に突き刺した。
「僕をこの程度で殺せると?」
「…言ったでしょう、一番無防備になるんだって」
アイリーンは自らの首に伸びたウトガルザの腕を掴んだ。光り輝く鎖が二人を縛り付ける。鎖は鎖を生み出し、身体を縫い付けるように貫いた。
「これは…!」
鎖の先には大鎌があった。それを持つ少女の足は片方が動かなかった。
「これで私も、みんなの役に立てたかな…」
大鎌の一撃は縫い合わされた二人の首を瞬時に飛ばした。
アイリーンの死に顔はどこか安心しているようだった。
--世界蛇と雷神はともに血を流していた。ヨルムンガンドの牙は砕かれ、トールの肩には大きな咬み傷があった。
「ククク、これだから戦いは面白い」
「黙れトールよ、お前はもう長くない、その傷から入った毒は確実に命を奪う」
「蛇め!お主の命も長くはないぞ、なにせ儂の前におるんだからな!」
トールが飛び込んだ。ヨルムンガンドは避けようとするが、海水に雷が走り、動きを妨げる。大鎚が世界蛇の頭蓋を叩き潰した。
凄まじい破壊音が響き、ヨルムンガンドは海とともに倒れた。
「ふん!儂を誰じゃと思っとる!儂は無敵じゃ!」
トールはふらついた足で下がった。足取りは重く、歩くたびに力が抜けた。そしてついに九歩目で崩れ落ちた。世界蛇の毒は、最強の神の命をも奪うほど強力だった。
--死者の船の甲板には巨人が倒れていた。双生の神は武器を下ろした。
「終わったね」
「ええ、船を止めないと…」
船が大きく揺れた。フレイルは慌てて舵をとろうとしたが、そこで顔をしかめた。
舵輪は砂のようにバラバラと崩れ落ちた。砂は爪だった。死者の船は主人をなくし、材料である死者の爪に戻ろうとしていた。
「脱出しましょう」
「そうだね、早く逃げ--」
船は完全に崩壊し、全ては海に投げ出された。
--アキは暗闇の戦場を走っていた。
「クソ!ヘルのやつ途中で逃げやがって!」
先程から太陽の光が消えた。星や月の明かりも失われ、見えるのは松明の明かり、そして南の空は燃えるように赤い。
戦場から大きな力が次々と失われているのを感じる。
「アキさん!」
「…ウィズか?」
「大変です!スルト…炎の巨人スルトが止まりません!お姉ちゃんたちもみんなやられました」
少女が走りよって言った。息を切らし、体は傷ついている。
ウィズは『七色の種』の末妹、スルトを監視する担当だった。最も血を流す場所だ。
「簡単に説明してくれ、すぐにそこに跳ぶ」
「はい…スルトの前に立った神は全て全滅、今は『赫眼』フェルトさんが指揮をとって、残った人員と戦ってます。スノリさんも…」
「スノリもそこにいるのか!?急ごう、場所をイメージしてくれ」
アキはウィズを抱きかかえて跳んだ。そこは熱風が渦巻く灼熱の地だった。『原初の火』のメンバーが散らばって布陣し、攻撃しているのが見える。
「フェルト!」
「やぁアキ、これは凄いことだよ。スルトは炎そのものだ。さらに夜になっただろう?これでこの一帯の明かりはスルトの炎だけだ。黄昏の時にはスノリの魔法で少しはダメージを与えられていたが、今はそれすらも効果がないようだ」
フェルトはペラペラと嬉しそうにまくし立てた。それは未知を見つけた研究者の顔だった。
「どうすれば倒せる!?何か方法があるだろう!?」
「ふむ、先程までは強力な魔法でなんとかなっていたが、今は駄目だ。仮説としては、水や氷などの自然的な属性の攻撃なら効果があると思われるが、スルトの規模は眷属の能力程度ではどうにもならない」
「ならどうする!?」
「落ち着きたまえよ、光が失われてから奴は無敵になった。ならば、再び光を灯せば攻撃が通じると考えられる。
おっと、新たな魔力反応だ。こんな研究対象がいるなんてこの世は素晴らしいね」
スルトの体が大きく膨らみ、力の放出が感じられる。フェルトは炎の巨人に向かって駆け出した。炎が爆発し、アキは身体を守るように這いつくばった。
起き上がった時、スルトの周りは焼き焦げ、饒舌な『赫眼』は物言わぬ消し炭となっていた。
「アキ!」
「スノリ、大丈夫か?」
「うん、でも…!また爆発が来る!」
スルトの体が膨張していく、先ほどより明らかに大きな規模だ。間違いなくここに居たら死ぬ。
「チッ!スノリ!跳ぶぞ!」
アキは少女を抱き寄せ一回転した。場所は最初に陣取っていた小高い丘の上、そこから戦場が、ヴィーグリースの野が炎に包まれるのが見えた。
「クソ!クソ!」
アキは拳を地面に叩きつけた。あの炎では生き残る事は絶望的だ。
その時、クスクスと笑い声が聞こえた。聞きなれたあの声だ。
「…ロキ」
「やぁ、僕の大切な眷属、どうしたんだい?もう打つ手なしって感じだね」
「おまえ!今までどこに--」
「待って、今はそんなことをしている暇はないわ」
目をあげると、ロキの隣に少女がいた。無表情の中に、冷たい怒りが渦巻いている。
「ソプラノ…無事だったのか」
「ロキに助けられたの、それより、時間がないわ」
ソプラノが明るく燃える南を見た。炎の巨人が再び膨れ上がっているのを感じた。戦場を飲み込んだ炎より、遥か大きな規模だ。
「うんうん、次は世界ごと燃やし尽くす気だね」
「どうすればいいんだ…俺はもう…」
アキは頭を抱えて項垂れた。その肩に温かな手が触れた。
「アキ…本当にもう終わりなの?まだきっと、方法はあるでしょう?」
「スノリ…」
「貴方はまだやれるよ、そのためにここまで旅して来たんでしょう?」
「だが…ほんの僅かな可能性だ。ほとんどゼロに近い…それに、俺はしたくない」
ふわりと温もりが身体全体に広がった。背中からスノリが抱きしめている。
「大丈夫だよ、自分を信じて、貴方がここまでやって来た事は、決して無駄じゃない。どんなことがあっても、私は貴方の味方だから」
アキはゆっくりとスノリに向き直った。そして少女を抱きしめた。頰には涙が流れ、手には黒い短剣を握っていた。
「それで…いいんだよ…」
「すまない…本当にすまない…」
少女は血を零しながら言った。胸には短剣が刺さっていた。
「好きだったよ…」
少女は崩れ落ちた。アキの涙は止まることなく流れ続けた。




