82話 巨人の王
「お疲れ様です、大変でしたね」
血に塗れた部屋の中、屍の横に立つアキに向かって明るい声が言った。
不釣り合いな大きな三角帽をかぶった男、帽子の下からは切れ長の糸目が覗いている。
「これで協定は達成されたな?」
「もちろんです。それでは巨人の国に送っていただけますかな?」
アキは小さく頷き、糸目の男に触れて跳んだ。
--数ヶ月前
アキは巨人の国にやって来ていた。場所の案内はロキ、そして道連れにはスノリがいる。三人の旅、世界を救うために巨人の王との対話を行うためだ。
「あんまり感じのいい奴じゃないからね。僕は嫌いだなぁ」
「ウトカルザ、それが巨人の王の名前だな?」
「そーそー、なんか、気にくわない奴だよ、バルドルと同じ感じ」
巨人の王と光の神が同じだとは到底思えないが、ロキの苦手な相手というのは引っかかった。
「お待たせしました。それではこちらへどうぞ」
大きな三角帽を被った男が案内した。こいつも霜の巨人らしいが、大きさはアキと変わらない人間大だ。ただ、嫌な圧力があった。圧倒的に人間とは違う感覚だった。
「王よ、神、ロキとその眷属をお連れしました」
両開きの大きな扉を入り、三角帽の男が跪いて言った。王座に腰掛けるのは同じく人間大の男、氷のような白銀の髪を持ち、太陽のような優しい微笑みをしている。
「ご苦労、ベルベット。ロキ、君は度々こちらに来て騒動を持ち込むけれど、今日は一体どんな事件を起こすのかな?」
巨人の王は丁寧に言った。微笑みは崩さず、その上少し嬉しそうにしている。
アキにとってそれは不気味以外の何者でもなかった。巨人は神の敵、魔物を生み出し、人間の国も脅かしている。その王が、こんなにも友好的なはずがなかった。
「心外だなぁ、別にそんなことはしてないさ。今日は僕じゃなくて、僕の眷属が君に用事があるんだ。聞いてやってくれよ」
「あのロキが眷属を作るなんてふざけた話だ。世界をひっくり返すつもりかい?
まぁ、構わないよ、さぁ、言ってごらん?」
巨人の王は上機嫌に言った。それは友人の子供に話しかけるようで、温かみのある声だった。
「…あんた達は神へ復讐の戦いを仕掛けようとしてるだろう。それをなんとか止めたい。戦争になれば神と巨人双方に被害が出る。それに世界が終わってしまうかもしれない」
「ふむ、確かに僕たちは復讐しようとしている。でもそれは止められないんだ。分かってもらえないかな?」
ウトカルザは子供に言い聞かせるように言った。アキはその声色に少し苛立った。
「止められるとも、巨人は巨人の国に、神は神の国に、人は人の国にいればいい。お互いに干渉せず、生きていけばいいじゃないか。今までそうして来たように」
「…うん、少し僕達の話をしなければいけないようだ。巨人が何故、今まで戦争を仕掛けなかったのか、何故、今、戦争を仕掛けようとしているかをね」
そうして巨人の王は昔話を始めた。それは世界の始まりの時まで遡る。神話の物語だった。
「巨人と神の違いを知っているかい?どちらも『原初の巨人』ユミルから生まれた。オーディンは親を殺し、残った兄弟を追いやった。
つまり、神と巨人の違いは住んでいた場所の違いなんだ。東方で国を作ったのが神、西方に追いやられたのが巨人だ。
そして巨人の血には強い記憶が残った。親を殺され、生まれた場所から追い出された憎しみの記憶が。巨人はその生を受けた時から、神を憎み、殺そうとする本能があった。
しかし、言っだだろう?巨人と神を分かつものはただの住んでいる場所だけ。復讐の記憶はそれを判断できなかった。巨人は生まれながらにして、巨人を殺そうとする同族殺しの呪いを受けたんだよ」
ここでウトカルザは一度言葉を切った。哀しい顔をしており、それは同族への憐れみだった。
「数千年の間、巨人はお互いを憎み、殺しあって来た。それを嫌い、人間の国へに赴くものもいたが、人とは相いれない。
巨人による血染めの歴史は最近まで続いていた。それも終わった。全ての敵対する巨人を殺し尽くしたからだ。今残っているのは本能を理性で抑えれる稀有な巨人達だけ。
それでも、同族を殺し続けた僕達には、最後にやらなければいけないことがあった。本来の目的、神への復讐だ。それは理性で抑えきれなかった。いや、今まで殺した同族への弔いの念が、復讐を絶対的なものとして血に刻みつけていたんだ」
「だから…だから戦争を起こすと?」
「そう、僕の後ろには屍が積み上がっている。犠牲を無駄にしないためにも、さらなる屍を積み上げなければいけない。そうしなければ、死んで言った同族へ顔向けできない」
アキは会話で説得はできないことを感じた。同じなのだ。血を流しすぎて、後ろに下がらない、前に進むしかないのだ。死者が後退することを許さない。アキとウトカルザの想いは、本質的に同じだった。
「取引したい、あんたを止めることはできないことはわかった。それでも、人を守るために俺にもやらなくてはいけないことがある」
「内容を聞こう、僕も関係ない人間が意味もなく死ぬことは避けたいからね」
「あんた達の進軍ルート、それを教えてくれ。そうすればこちらからは邪魔しないことを約束する」
ウトカルザはじっくりと考え込んだ。真剣に悩んでいるように見えた。
「…それはできないね。先ず第一に君らを信用できない。邪魔しないと言っても、進軍ルートが分かっているなら待ち伏せして奇襲することも考えられる。
それに、人を全て避難されると僕達の食料が確保できない。魔物の軍は数十万を超えるんだ。同族喰いだけでは、戦力を維持できなくなってしまう」
ウトカルザは残念そうに言った。しかし、アキはここで退くわけには行かなかった。どんな犠牲を払ってでも、進まなければならない。
「食料はなんとかしよう。十分な人を残すことを約束する。あんたに信頼されるためならなんでもする。言ってくれ」
「本気で言っているのかい?それは同族を、人間を魔物の餌として犠牲にするということだよ?」
「俺もあんたと同じ、もう後ろは振り返れない」
視線がぶつかった。そして巨人の王は同情の目をして言った。
「…いいよ、君を信用する。その担保は人間の国の四つの国と三つの派閥、そのトップの命だ。ただし、君自身が殺すこと」
「アキ…」
隣でそっとスノリが手を握った。その手の温もりが、アキを不思議と高揚させた。
「条件を飲む、ありがとう」
「構わないよ、お互いの不利益を避けたいだけだからね。
スリュムを監視役に連れていってくれ。そしてその少女はここに置いていってもらう。人質として」
「それは…」
「私は大丈夫、大丈夫だよ、アキ」
スノリは小さな、しかしはっきりとした声で言った。アキは少しだけ迷ってから答えた。
「分かった」
「よろしい、人質には何一つ不自由なく過ごしてもらうことを約束するよ。
これで協定は締結された。君とはいい関係を築きたいね」
ウトカルザが合図すると、案内役の大きな三角帽をかぶった男が前に出た。帽子の下から糸目が微笑んでいる。
「よろしくお願いします。スリュムです」
「ああ、移動のためにあんたに触れる必要がある」
「もちろん構いませんよ」
二人の姿が掻き消えた。残された部屋にクスクスと笑い声が上がった。
「何か用が?」
巨人の王は怪訝な目をして言った。ロキは嬉しそうに答えた。
「物語の終わりは近い、待ち望んだ黄昏の日がやって来る。僕らの努力もやっと報われる」
「…なにを言ってるんだい?」
「世界のことさ、この世界が変わるか、それとも変わらないか。転換の日だ。
そろそろ僕は行く、次に会うのは終末の刻だろうね。あとは君に任せるよ」
ロキは悪戯っぽい笑みを浮かべて一回転し、その場から消えた。
その日から神々の黄昏まで、ロキの姿を見たものはいなかった。世界から失われてしまったようだった。




