14話 傷痕
『君たち三人は僕の子供だ
存分に世界を脅して、命あるものを踏みにじって、本能のままに生きるといいよ
ただ、光の神バルドルだけは近づいてはダメだ
彼は僕らが唯一手が出せない存在だからね』
-ロキの言葉-
戦いの後地から少し離れた森の狭間で、アキ達は腰を下ろした。頭がガンガンと痛かった。この手で命を奪った。
命がこんなに重いなんて…アキは頭を抱えこんだ。顔についた血の感触が手のひらに広がる。
「アキ様、大丈夫です。あなたはよくやってくれました。スノリ様も無事です。ゆっくり、そう落ち着いてください」
声がなんだか遠くの方から聞こえる気がした。もう眠ってしまいたい。吐息が聞こえる。アキが顔を上げると目の前に少女の顔があった。涙を浮かべながら微笑んでいる。
「アキさん…もう大丈夫なんです。貴方が守ってくれたから、私は生きています。貴方があの日、鎖を解いてくれた時から、私は生きています」
血に汚れた手に暖かな感触が広がる。アキは目を閉じた。呼吸がゆっくり戻ってくる。年下の少女が自分を慰めが、なんだかアキの心を落ち着かせた。何度か深呼吸しているうちに、現実感を取り戻していく、気分を落ち着け、ゆっくりと目を開けた。
「…ありがとう、もう大丈夫そうだ。殺しは初めてだったから、混乱したんだ。これからやることがある。それに、この先襲われるかもしれない。行こう」
アキは立ち上がった。頭痛は消えていた。気持ちが切り替えられたのか、それとも一時的な興奮状態なのかわからなかったが、頭はスッキリしていた。
「さっきこれを拾っておきました」
スノリは二振りの短剣を差し出した。真っ黒な刃は鈍く光っている。アキは何も言わずに受け取り、腰のベルトにしまいこんだ。
「クロボ、道案内を頼む。さっさと片付けてしまおう」
「アキ様、休まれなくても大丈夫ですか?」
アキは頷いた。そして、一行は森の奥に向かった。
「間も無くトロールの住処です。基本戦術は前回の戦闘と同じですが、先にトロール姿を見つけることができれば、スノリ様のルーン魔法で先制してから、戦闘行為に入りたいと思います」
クロボが戦術について説明している。アキはしっかりと聞きながら、先ほどの小鬼との戦いを思い出していた。アキが短剣を使う時、腕が引っ張られるように動いた。見えない力で動きが補正されている。そうでもなければ、刃物の素人が急所にナイフを突き立てることなど出来ない。これが能力か。動きを脳内で反復していると、強い異臭がした。思わず鼻を覆う。
「なんだ…これ…」
「アキ様、ゆっくりとあの岩の向こう側に回ってもらえますか?スノリ様はこの場で待機してください」
クロボの言う通りに動くと、臭いはだんだんと強まってくる。岩を越えると、血まみれのなにかがそこにあった。
「なんだよ…これ…」
「トロールの残骸のようです。何者かに襲われ、喰われた形跡があります。今すぐここを離れましょう。かなり上位の魔物の仕業のようです」
言われてみれば、なにやら足や腕だと思われる部位がある。しかし、あまりにぐちゃぐちゃでただの肉塊にしか見えない。死の臭いにアキは吐き気を抑えられず、嘔吐した。そして逃げ帰るかのように、口を拭ってスノリの元に戻った。
「スノリ様、トロールは既に何者かに殺されていました。喰われたようです。村に戻りましょう」
クロボの声に緊張感を感じたのか、少女もなにも言わずに歩き出した。戦いにならなかったのは良かったが、あんな食べ方をする化け物が近くにいる。急ぐには十分な理由だった。
その時、うなり声が轟いた。かなり近いようだ。木々が震え、葉が泣いた。
「アキ様、スノリ様、お話があります。歩きながら聞いてください。巨人の眷属である魔物達は一部の種族を除いて共食いはしません。眷属同士で争うことも、下等な部類ではほとんどないでしょう。つまり、トロール喰い殺したのはかなり強力な知性ある魔物の仕業だと考えられます」
「それで…どうする?」
「オーディン様に伝えに行きましょう。もし件の魔物に出会ってしまった場合は、ロキ様か、オーディン様の名前を出して、上手く交渉しましょう。決して戦ってはいけません」
クロボがこんなことを言うとは思ってもみなかった。二人はことの重要性を悟り、歩く速度を上げた。アキは、ロキの神託を思い出していた。『仕事をやりとげるだろうが、他の人間は死ぬ』。
森の出口へ歩き続け、間も無く村というところで、再び唸り声が聞こえた。向かっている方向からだ。スノリは走り出した。
「まて、スノリ!」
少女は止まらない、声に導かれるように。森を抜けた時、村があるべき場所は、瓦礫の山になっていた。土埃が立ち込めている。スノリが棒のように立ち尽くしている。
「なにが…なにがあったの…?」
「不味いです。不味い不味い!上から来ます!」
クロボが震えながら警告を発する。次の瞬間大きな質量が目の前に落ちて来た。粉塵が上がる。その中から現れたのは、天を呑み込むほど大きな狼だった。
「人間よ、まだ生き残りがいたか?いや、今森から出て来たところかね?ん?お前はなんだ、面白い臭いがするな」
狼は鼻先をアキに近づける。大きな口の中に鋭く並ぶ牙が見える。口の周りは血まみれで、ぬらぬらと光っている。村を残骸にしたのは間違いなくこいつの仕業だ。
「フェンリル様!お久しぶりでございます。私、ロキ様の使い魔クロボでございます。こちらの方は、ロキ様の唯一の人間の眷属のアキ様です。お元気そうで何よりでございます」
クロボはキーキー声をだしながら巨大な獣に挨拶をした。こいつが、フェンリル。ロキの三人の子供の一人。獣は大きな口を開けて高らかに笑った。
「ほぉ、ロキが人間の眷属をつくったか!それは面白い。使い魔とか言ったな。覚えておるぞ、お前は最後に会った時、ロキと一緒にわしの背中に剣を刺して乗り回してくれたな。あの傷はまだ癒えておらぬ」
「その節は大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません!」
フェンリルは低く唸り、尾を地面に叩きつけた。爆発するような音が聞こえ、大地が吹き飛んでいくのが見える。アキは圧倒的な力の圧力を感じた。このままだと全員死ぬ。
「くだらない遊びをしてくれたものだ。眷属を殺せばロキは悔しがるかね?ふん、どちらでもいいが、試してみることにしよう」
「どうかお考え直しを!」
狼が邪悪な笑い声をあげ、跳躍するために低く身体をかがめた。クロボが悲鳴をあげる中、アキは素早く動いていた。スノリの腕を掴んで抱き上げ、くるりと一回転した。世界が止まったかのようだった。狼の前から人の姿は消えた。フェンリルの怒りの咆哮が世界を揺らした。




