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『豊臣秀吉、異世界で商人になる ~天下を取った男、今度は銭一枚から成り上がる~』  作者: あちゅ和尚


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第5話 九十枚を断る

 翌朝、バルガス商店の戸を開けると、見覚えのない大男が待っていた。


 胸板が厚く、右腕には荷役人夫が使う革当てを巻いている。


「ユアンってのはお前か?」


「そうじゃが」


「俺はラダン。河港の第五荷役組をまとめてる」


 秀吉は掃除の手を止めた。


 帳場では、朝の仕入れを書きつけていたリゼも顔を上げている。


「ガルドとバルトから聞いた。昼飯を運んでくれるんだってな」


「今のところ、あの二組だけじゃ」


「うちも頼みたい。十八人いる」


 秀吉はすぐには返事をしなかった。


 ガルドの組が十人。


 バルトの組が十四人。


 二組からは今日も頼みたいと言われているが、正式にはまだ受けていない。


 理由は単純だった。


 オルドが今日出せる干し肉は十二本。


 二十四人分ですら半分足りない。


「いつから欲しい?」


「今日だ」


「今日は受けられん」


 ラダンが目を丸くした。


「……十八人分だぞ」


「聞こえとる」


「一人四枚なら七十二枚になる」


「計算もできる」


「だったら何で断る?」


「品がない」


 秀吉は店内の干し肉の棚を指した。


「先に話のある二組だけでも二十四人じゃ。今ここから出せる干し肉は十二本しかない」


「市場で買い集めればいいだろ」


「買えるかもしれん。じゃが、昼までに四十二人分を揃えられる保証がない」


「一人五枚出す」


 十八人なら九十枚。


 リゼの筆が止まった。


 オルドも店の奥から顔を出す。


 それでも秀吉は首を振った。


「受けん」


「九十枚だぞ?」


「銭を増やされても、品は増えん」


「パンだけでもいい。何かあるだろ」


「今日だけなら無理をすれば作れるかもしれんな。じゃが、明日も同じ条件で出せるかは別じゃ」


「今日の分だけでいい」


「それはこちらに都合が悪い」


「商売なのに?」


「商売じゃからじゃ」


 ラダンが怪訝そうに秀吉を見る。


「今日だけ九十枚を取って、明日になれば無理でしたでは、おぬしも次から当てにできんじゃろ」


「注文が来てるのに断る奴なんて初めて見たぞ」


「守れん約束まで売る気はない」


 秀吉は店の外へ視線をやった。


「夕方まで待て。どこまで増やせるか、それまでに確かめる」


「今日のうちは?」


「今まで通り自分たちで用意してくれ」


 ラダンは不満そうだったが、やがて頭を掻いた。


「分かった。夕方にまた来る」


「そうしてくれ」


 大男が去る。


 リゼが秀吉を見る。


「本当に九十枚を断った」


「聞いとったじゃろ」


「惜しくなかった?」


「惜しいぞ」


「そう見えない」


「惜しいからといって、肉が空から降ってくるわけでもあるまい」


 オルドが苦笑した。


「そっちはいいとして、ガルドとバルトの分はどうする」


「そのためにベルクへ行く」


「一人で行かせるのは嫌な予感がするな」


「何じゃそれは」


「俺も行く」


「店は?」


「朝の荷下ろしは終わった。リゼ、しばらく帳場を頼めるか」


「できます」


 リゼは即答した。


「客が来たら普通に売って、仕入れが来たら数を確認しておきます」


「頼んだ」


 オルドは上着を取りに戻る。


 秀吉がその背中を見ながら言った。


「信用がないのう」


「逆だ」


 オルドは振り返った。


「お前一人で行ったら、話を聞くだけで帰ってくるとは思えん」


 リゼが小さく頷いた。


「私もそう思う」


「二人とも随分な評価じゃな」


 秀吉は苦笑しながら西門へ向かった。


     ◇


 ローデンの西門を出ると、家並みはすぐに途切れた。


 畑と牧草地の向こうから、数本の煙が上がっている。


 そのうち一番大きな燻製小屋へ近づくと、肩幅の広い男が木枠に吊るされた肉を確認していた。


 五十前後。


 捲った袖から覗く腕には、細かな火傷の跡がある。


 男はオルドに気づいた。


「珍しいな。店を放ってお前が来るなんて」


「少し話がある」


 オルドが秀吉を示す。


「こいつがユアンだ。うちで住み込みをしてる」


 ベルクが初めて秀吉を見る。


「ユアン?」


「最近、河港で昼飯を売り始めた。干し肉をまとめて使ってるのもこいつだ」


「なるほど。そいつの話か」


 ベルクは秀吉を上から下まで見た。


「十八くらいか?」


「そのくらいじゃ」


「何で爺さんみたいな喋り方してるんだ」


「よう言われる」


 秀吉はそれ以上取り合わなかった。


「今日、干し肉を十二本追加で欲しい」


「無理だ」


 返事は早かった。


「理由を聞いても?」


「オルドへ回す分はもう決まってる。他の店の分を削る気もない」


「今日すぐ出せる物は一つもない?」


 ベルクが少し考える。


「店頭で売る分なら十四本ある」


「値は?」


「一本三枚」


 オルドへ卸している値は一本二枚。


 十二本なら、通常二十四枚のところが三十六枚になる。


「十二本買う」


 ベルクが眉を上げた。


「即答か」


「今日だけ必要なんじゃ」


 オルドが横から言った。


「昨日までより利益はかなり薄くなるぞ」


「赤にはならん」


「新しい客の分か?」


「違う。朝来た十八人分は断った」


「なら何で高いのを買う」


 ベルクが聞く。


「先に話をしとる二組がある。品を揃えられるなら今日も受けると待ってもろうとる」


「まだ金も取ってないんだろ?」


「取っとらん」


「そこまでして守るのか」


「品がないなら断る。品が揃えられるなら売る。それだけじゃ」


 ベルクはしばらく秀吉を見ていた。


 やがてオルドへ視線を移す。


「代金は?」


「バルガス商店につけろ。今日中に払う」


「お前まで乗るのか」


「こいつがきっちり売って戻れば、俺は損しない」


「分かった」


 ベルクが作業中の男へ声をかける。


「店頭分から十二本外せ」


「いいのか?」


「一本三枚だ。バルガス商店につける」


 これで干し肉は二十四本揃う。


 秀吉は小屋の中へ目を向けた。


 肉が吊るされていない木枠がいくつかある。


 薪も積まれている。


 働いている者も三人いる。


「ベルク」


「今度は何だ」


「作る場所が足らんわけではないんじゃな」


 ベルクが秀吉の視線を追った。


「ああ」


「薪もある」


「ある」


「人手も、今の量なら足りとる」


「そうだ」


「なら、何が足らん?」


 ベルクが少し黙った。


「肉と、売れる保証だ」


 秀吉は黙って続きを待つ。


「西門の解体場から入る肉は、毎日同じ量じゃない。西や南の村で家畜がまとまれば多く入るし、少ない日は少ない」


「多く入った日に余計に買わんのか」


「買ってどうする。生肉代は先に払うんだぞ」


「燻製にして売れなんだら、おぬしの銭が寝る」


「そういうことだ」


 ベルクが吊るされた肉を指した。


「干し肉だからすぐ腐るわけじゃないが、いつまでも置けるわけでもない。俺はオルドたち、長く取引してる店の注文を基準に作ってる」


「前の日に、翌日の追加数が分かれば?」


「どれくらいだ」


「十二本まで」


「毎日?」


「客の数次第じゃ。五本かもしれんし、十一本かもしれん。ただし前の日に頼んだ分は全部買う」


「翌朝、客が減っても?」


「こちらで引き取る」


「余ったらどうする」


「わしが売り先を探す」


「誰との取引にする?」


「今まで通り、ベルクからオルドへ卸してもらう」


 ベルクがオルドを見る。


「直接買った方が話が早いんじゃないか?」


 秀吉が答えた。


「オルドに仕入れ先まで教えてもろうて、その横を抜くような真似をしたら、次から何も教えてもらえん」


 オルドが鼻で笑った。


「そこまで馬鹿じゃなくて安心した」


「わしへの評価が低すぎんか」


「数日前まで果物運びしかしてなかった奴への評価なら高い方だ」


 ベルクは二人を見比べ、それから頷いた。


「分かった。追加十二本までなら試してもいい」


「値は?」


「一本二枚。オルドへの卸しにまとめる」


「注文の締切は?」


「前日の夕方。頼んだ分は必ず引き取れ」


「それでええ」


「十二本を超える分は約束できんぞ」


「肉が足らんからじゃな」


「ああ。俺が欲しいと言ったところで、家畜が増えるわけじゃない」


 秀吉はそこで話を切った。


 今すぐ四十人、六十人へ増やす必要はない。


 今日の二十四人分を確実に揃えられた。


 明日からも、二十四本までは前日に数を決めれば用意できる。


 それで十分だった。


     ◇


 バルガス商店へ戻ると、リゼが真っ先に聞いた。


「揃った?」


「二十四本な」


「値段は?」


「オルドの十二本が一本二枚。追加十二本は、今日はベルクの店頭分じゃから一本三枚」


 リゼが帳面へ数字を書き込む。


「二十四枚と三十六枚で、干し肉は六十枚」


「パンが二十四枚」


「売上九十六枚なら、残るのは十二枚」


「今日はそれでええ」


「今日は?」


「明日からは、追加十二本までなら前日の夕方に頼めば一本二枚で出してもらえる」


 リゼの手が止まった。


「じゃあ二十四本までは、一本二枚で揃えられるの?」


「今のところはな。ただし頼んだ分は全部こちらで引き取る」


「客が減っても?」


「そうじゃ」


「今度はこっちが余る危険を持つのね」


「売れる人数が見えてから頼めば、そう大きく外さんじゃろ」


 リゼは帳面の端に大きく書いた。


 ――夕方までに翌日の人数確定。


「これ、忘れないで」


「おぬしが持っとる帳面に書いたなら安心じゃ」


「最初から私に任せる気でしょう」


「できる者に任せた方が早い」


「そういうところだけ迷わないのね」


「迷う理由がないからの」


 秀吉は空の籠を取った。


「まず今日の二十四人を正式に受けるぞ」


     ◇


 河港へ着くと、最初にガルドのところへ向かった。


「十人分、用意できる」


「間に合ったか」


「昼の鐘までに届ける。注文の証に十枚預かる」


「分かった」


 前金十枚。


 次はバルト。


「十四人分も受けられる」


「待ってたぞ」


 こちらから十四枚。


 合わせて二十四枚を預かった。


 ここで初めて、今日の二十四人分が正式な注文になった。


 二人は中央市場へ戻り、ヘルムパン店でパン二十四個を銅貨二十四枚で買う。


 さらにバルガス商店で干し肉二十四本を受け取り、二つの籠へ分けた。


 ガルドの組へ十人分。


 バルトの組へ十四人分。


「ガルドさんの方は私が行く」


 リゼが十人分の籠を持つ。


「残り三十枚じゃ」


「分かってる。受け取ったらその場で数える」


「任せた」


「ユアンも四十二枚、ちゃんと数えてよ」


「承知した」


 二人が河港へ戻ったのは、昼の鐘より少し前だった。


     ◇


 受け渡しは滞りなく終わった。


 ガルドの組から残り三十枚。


 バルトの組から四十二枚。


 合わせて七十二枚。


 リゼが帳面へ二件を書き終えたところで、昼の鐘が鳴った。


 今日も買い出しのために人が抜けることなく、二つの組は揃って休憩へ入る。


「やっぱり、こっちは届けるんだな」


 声をかけてきたのは、朝に店まで来たラダンだった。


「先に話をしとったからの」


「俺は一人五枚出すって言ったぞ」


「値の問題ではない」


 ラダンはガルドを見る。


「お前ら、本当にこいつを信用してるのか?」


「今のところな」


 ガルドが答える。


「できると言った分はちゃんと来る」


 バルトも休憩所から顔を出した。


「うちも同じだ。買い出しに二人抜かなくていいだけで助かってる」


「それで俺のところはいつからだ?」


「今夜、明日の仕入れを決めてからじゃ」


 秀吉が答えたところで、別の声がした。


「その話、俺にも聞かせろ」


 五十代半ばほどの男が歩いてくる。


 荷役人夫とは服装が違う。


 濃紺の上着の胸元には、河港管理所と同じ紋章が縫いつけられていた。


 ガルドとバルトが少し姿勢を正す。


「ゼックさん」


 秀吉は男を見る。


「誰じゃ?」


「荷役組の取りまとめ役だ」


 ガルドが答える。


 ゼックは秀吉を一度見てから、周囲の荷役組へ視線を向けた。


「この数日、昼前に人が抜けなくなった組があるから確認してた」


「飯を運んどるだけじゃが」


「その飯を買いに、今までは各組から一人か二人市場へ出てた」


 ゼックは河港に並ぶ船を指した。


「船が重なる日は、一人二人抜けるだけでも荷下ろしが遅れる」


「それで?」


「今、確実に何人分なら届けられる」


「二十四人前後じゃ」


「それ以上は?」


「品が揃うまでは受けん」


 ゼックは少しだけ笑った。


「大きく言わないんだな」


「大きく言うても、肉は増えん」


「なら話が早い」


 ゼックは懐から紙を出した。


「管理所には元々、各荷役組から翌日の人数が毎夕上がってくる」


「何のためじゃ?」


「船ごとの人員配置を決めるためだ」


 秀吉の目が紙へ向いた。


「毎日、人数が分かっとるのか」


「ああ」


 ゼックは紙を指で叩いた。


「そこへ、翌日の昼飯を頼みたい人数も書かせる」


 ラダンが驚いた。


「管理所でそこまでやるんですか?」


「新しく何か始めるわけじゃない。元々出させてる人数の横に数字を一つ増やすだけだ」


 ゼックは秀吉へ向き直る。


「夕方ここへ来い。五つの組から出た希望人数を見せる」


「全部受ける必要は?」


「ない。お前が確実に届けられる数だけ受けろ」


「ありがたい」


「その代わり、受けた分は必ず昼までに届けろ」


「当然じゃ」


「遅れたら?」


「次から受ける数を減らす」


「理由は聞かれたら説明する。ただ、飯を待っとる者にはまず届ける方が先じゃ」


 ゼックは頷いた。


「それならいい。夕方待ってる」


 男は管理所へ戻っていった。


 ラダンが秀吉を見る。


「俺、朝から頼んでるんだぞ」


「夕方、希望人数を出してもらえ」


「先に頼んだ俺を優先しないのか?」


「ガルドとバルトの組を急に切る理由がない」


「可愛げがないな、お前」


「商売にそれが要るなら考える」


 ガルドが吹き出した。


「やめとけ。そのままでいい」


 バルトも笑っている。


 秀吉は肩をすくめた。


     ◇


 夕方。


 秀吉とリゼは河港管理所の小部屋へ入った。


 机の上には、五つの荷役組から上がってきた人数表が置かれている。


 ガルド組、十人。


 バルト組は一人休みで十三人。


 ラダン組、十八人。


 残る二組が九人と十一人。


 昼食の配達を希望している人数は、合計六十一人だった。


「六十一……」


 リゼが自分の帳面へ数字を写す。


 一人四枚なら、二百四十四枚。


 かなり大きい。


 だが、秀吉はすぐに言った。


「明日は二十三人じゃ」


 ゼックが顔を上げる。


「ガルドの十人と、バルトの十三人か」


「そうじゃ」


「ラダンの十八人は?」


「まだ受けん」


「朝から頼みに来たそうだが」


「先に続けとる二組を切って入れ替える理由がない」


「残り三十八人は今まで通り?」


「ああ」


 ゼックはあっさりと紙へ印をつけた。


「分かった。明日は二十三人」


 リゼが続けて計算する。


「干し肉二十三本。オルドさんの通常分十二本に、ベルクさんへ追加十一本」


「十二本以内じゃな」


「パンも二十三個。今日中に頼めば間に合う」


 秀吉はリゼを見る。


「マルタへの注文、任せてもええか?」


「二十三個。値段と受け取り時間を確認してくればいいんでしょう?」


「そうじゃ」


「分かった」


「では、わしはベルクへ十一本頼みに行く」


 二人が立ち上がる。


 ゼックの紙には、まだ三十八人分の希望が残っていた。


 今日、その三十八人から銭は一枚も取れない。


 それでも、どこに何人の客がいるのかは分かった。


 昨日までは一組ずつ歩いて探していた情報が、夕方になれば一枚の紙へ集まってくる。


 管理所を出ると、リゼが秀吉を見た。


「六十一人って聞いて、もっと食いつくと思った」


「品が二十三人分しかないのに、六十一人分売るとは言えんじゃろ」


「でも残り三十八人も欲しいでしょう?」


「欲しい」


「即答ね」


「客がおるのに欲しくない商人がおるか」


 秀吉は西門へ続く道を見る。


「じゃが、まず明日の二十三人じゃ。それを届けてから次を増やせばええ」


「じゃあ私はパンを頼んでくる」


「頼んだ」


 リゼは中央市場へ向かった。


 秀吉は西門へ歩き出す。


 朝、九十枚になる注文を断った。


 その注文はまだ取れていない。


 だが夕方には、河港で昼飯を欲しがっている者が六十一人いると分かった。


 今夜必要なのは、そのうち二十三人分を揃えることだけだった。



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