第6話 その商い、誰のものだ
翌朝、バルガス商店の裏口には、パン二十三個と干し肉二十三本が揃っていた。
ガルドの組が十人。
バルトの組が十三人。
前日の夕方に人数を確定し、リゼがヘルムパン店へ二十三個を注文した。秀吉もベルクの燻製小屋へ行き、通常分十二本とは別に十一本を頼んである。
「パン、二十三」
リゼが一つずつ数える。
「干し肉も二十三。注文通り」
「では分けるか」
秀吉が籠を引き寄せた、その時だった。
「バルガス商店の主人はいるか」
店先から男の声がした。
オルドが振り向く。
「朝から何だ」
入口に立っていたのは、三十代半ばほどの痩せた男だった。
濃灰色の上着をきっちり着込み、胸元には商人ギルドの印が入った銀色の留め具がある。
男は小さな木札を取り出した。
「商人ギルドの書記官、セランだ。少し確認したい」
オルドの表情が変わった。
「うちに何か?」
「河港管理所から問い合わせが来た」
セランの視線が、裏口に並んだ二つの籠へ向く。
「荷役組へ昼食を届ける商いについてだ」
店内が静かになった。
オルドが秀吉を見る。
「お前だな」
「わしじゃな」
セランも秀吉へ顔を向けた。
「名前は?」
「ユアン・ロッツ」
「この店で働いている?」
「住み込みじゃ」
「河港の昼食配達は、バルガス商店が始めた商いか?」
「いや。始めたのはわしじゃ」
セランは続けて尋ねた。
「仕入れは?」
「パンは自分で買っとる。干し肉はオルドから仕入れとる」
「現金だけか?」
「掛けでも出してもろうた」
「河港側には、バルガス商店の者だと伝えている?」
「最初の取引ではな」
セランが頷いた。
「管理所からも、バルガス商店の信用を使って注文を取っていると聞いている」
「何かまずいか?」
「今すぐ違反だと言いに来たわけではない」
セランは淡々としていた。
「最初のように、河港で一日だけ梨を売る。その場で代金を受け取り、河港の場所代も払う。それなら河港側の決まりでほぼ済む」
秀吉は黙って聞く。
「だが今は違う。前日に注文を受け、店の名を信用に使い、掛けで品を仕入れ、翌日に届ける。しかも継続している」
「それで?」
「誰の商いなのかを決めておけ、という話だ」
オルドが腕を組んだ。
「こいつ個人の商いじゃ駄目なのか?」
「個人としてギルドへ届け出ることもできる。ただし、まだ自分の店もなく、仕入れ信用もバルガス商店に頼っている」
セランは秀吉へ視線を戻した。
「代金が払えなくなったら、仕入れ先は誰のところへ来る?」
「オルドじゃろうな」
「食べ物で問題が起きたら?」
「それも店へ来るか」
「客と代金でもめても同じだ。店の名前を使っている以上、周囲はバルガス商店を無関係とは見ない」
秀吉は籠の中の干し肉を一本見た。
仕入れ先を紹介したのはオルド。
掛けを認めたのもオルド。
ベルクとの取引も、バルガス商店を通している。
「分かった」
「何が?」
オルドが聞く。
「わしは自分の商いのつもりじゃったが、失敗した時だけおぬしへ火の粉が飛ぶ形になっとる」
「今さら気づいたか」
「今まで失敗しとらんからの」
「そういうところだぞ」
オルドが眉間を押さえた。
リゼが帳面を抱えたまま口を挟む。
「今の注文はどうするんですか? もう二十三人分、受けています」
「それは先に届けろ」
セランが答えた。
「すでに受けた注文を、この話のせいで遅らせる方が問題になる」
「話は帰ってからじゃな」
「ああ。俺は待つ」
秀吉は籠を持ち上げた。
「ではリゼ、行くぞ」
「うん」
二人は店を出た。
◇
朝の河港は、すでに荷車の音で満ちていた。
セラ河には二隻の船が並び、船腹から麻袋や木箱が次々と下ろされている。水気を含んだ風に、縄と木材の匂いが混じっていた。
途中でリゼと別れる。
「ガルドさんの十人は私」
「バルトの十三人はわしじゃな」
「受け取る残金、間違えないでよ」
「そこまで危なっかしく見えるか?」
「前よりは見えない」
「褒められた気がせんの」
「一応褒めてる」
リゼは籠を抱え直し、人混みへ入っていった。
秀吉もバルトの組へ向かう。
受け渡し自体はもう慣れたものだった。
数を確認させ、残金を受け取る。
「十三人分、間違いない」
バルトが頷いた。
「今日は忙しそうだな」
「店に商人ギルドの書記官を待たせとる」
「早かったな」
「何がじゃ?」
「ギルドが来るのが」
バルトは干し肉を一本取った。
「これだけ毎日商売してりゃ、そのうち来ると思ってた」
「普通なんか?」
「そりゃそうだろ。商人が商売を見るのと同じで、ギルドは商人を見る」
秀吉は少しだけ笑った。
「なるほどの」
「何だよ」
「まだ、この町では知らんことが多いと思っただけじゃ」
「十八なのに爺臭いな、お前」
「飯を食え。冷めるぞ」
「干し肉は冷めねえよ」
バルトの笑い声を背に、秀吉はその場を離れた。
◇
店へ戻ると、セランはリゼの帳面を見ていた。
少し遅れて戻ってきたリゼが、その横へ座る。
「勝手に見せたんか?」
秀吉がオルドへ聞く。
「リゼに借りた」
「わしには?」
「見られて困る数字があるのか?」
「ない」
「なら座れ」
秀吉は素直に腰を下ろした。
セランが帳面を開く。
「これは誰がつけた?」
「私です」
リゼが答える。
「注文した組ごとに人数を分け、預かり金と残金も別にしてあります。仕入れは現金と掛けを分けました」
「見れば分かる。よく整理されている」
リゼの背筋が少し伸びた。
「ありがとうございます」
秀吉が帳面を覗き込む。
「わしも少しは書いとるぞ」
「字が違うところか?」
「すぐ分かるんか」
「分かる」
セランは帳面を閉じた。
「帳簿の形は問題ない。残るのは、商いの責任と銭の帰属だ」
「銭の帰属?」
オルドが聞く。
「バルガス商店の商いにするなら、売上も基本は店の売上になる。ユアン個人の商いなら、利益はユアンのものだが、店の信用を使う条件を決める必要がある」
「わしの商いにしたい」
秀吉が即答した。
オルドが横を見る。
「早いな」
「おぬしの店を大きくするために始めたわけではないからの」
「本人の前で言うか」
「その代わり、使わせてもらった分は払う」
セランが二人を見る。
「奉公人や住み込みが、主人の保証を受けて小さな商いをする例はある」
「なら、それでいけるか?」
「主人が認めればな。ギルドには、バルガス商店の保証下で行う店外商いとして届ける」
オルドが椅子にもたれた。
「俺が保証人か」
「そうなる」
「こいつが仕入れ代を踏み倒したら?」
「まず店へ請求が来る」
「嫌だな」
「わしも踏み倒すつもりはない」
「つもりの話をしてない」
オルドの返しは早かった。
「なら条件を決めよう」
秀吉は帳面を自分の方へ寄せた。
「勝手にいくらでも掛けられるから怖いんじゃろ?」
「当たり前だ」
「今、安定して受けられるのは二十四人前後。そこまでは今まで通り。増やす時は先におぬしへ相談する」
「二十四人までだな」
「三十くらい――」
「二十四だ」
「分かった」
リゼが無言で帳面に「二十四人まで」と書いた。
秀吉はそれを見て口を閉じた。
「掛けの上限も、今の仕入れ額を超える時は俺に聞け」
「承知した」
「それと、店の信用を使うなら店にも払え」
「いくらじゃ」
「商いをした日は銅貨二枚」
「何の二枚じゃ?」
「籠を使う。帳場を使う。仕入れ先も使う。掛けも俺の信用だ。揉めたら最後は俺の名前が出る」
秀吉はしばらく考えた。
法外ではない。
むしろ、今まで無銭で借りていた物に値がついただけだった。
「売れた日だけ二枚?」
「そうだ」
「それならええ」
オルドが続ける。
「仕入れ代とその二枚を店へ入れた後、残った銭はお前のものにしていい」
「そこは大事じゃな」
「ただし赤字になったから店に払えません、はなしだ」
「当然じゃ」
「リゼへ渡す取り分も、お前の残りから出せ」
「そこも今まで通りじゃ」
リゼが帳面へ新しい欄を書き足した。
仕入れ。
店使用料。
リゼ取り分。
ユアン残金。
「これなら後から全部追える」
「おぬし、楽しそうじゃな」
「数字が揃うのは好き」
セランが木札を取り出した。
「ではこの形で届ける。バルガス商店の保証下、ユアン・ロッツが自己勘定で行う店外商い。店の保証範囲は一日二十四人分まで。超える取引は主人の了承が必要」
「分かりやすい」
「商いの利益はユアンに帰属。ただし仕入れ債務は期日通り払い、店への使用料も払う」
「それで頼む」
オルドが木札を確認し、自分の印を押す。
セランも商人ギルドの印を重ねた。
「これで誰の銭で、誰が何を保証しているのか分かる」
秀吉は小さな印が二つ並んだ木札を眺めた。
数日前までは、傷のある梨を籠へ入れて河港で売っていただけだった。
今は仕入れ先があり、客があり、帳面があり、店主の保証までついた。
面倒は増えた。
だが、それだけ扱える銭と人も増えていた。
◇
「もう一件ある」
木札をしまいかけたセランが言った。
「まだあるんか」
「むしろ、こちらが管理所から問い合わせを受けた理由だ」
セランはオルドではなく、秀吉を見た。
「昨日、河港では昼食を希望する者が六十一人いたそうだな」
「そのうち受けたのは二十三人じゃ」
「残り三十八人」
「ああ」
「その数字を知った別の商人から、ギルドへ話が来た」
リゼが顔を上げる。
「もう?」
「中央市場は狭い。河港にまとまった買い手がいると分かれば、話は回る」
オルドが鼻を鳴らした。
「そりゃそうだ」
「何を言われた?」
秀吉が聞く。
「なぜユアンだけが、管理所から翌日の需要人数を教えてもらえるのか、と」
「もっともじゃな」
リゼが秀吉を見る。
「いいの?」
「何がじゃ?」
「せっかく見つけた客なのに」
「客を見つけたのはわしでも、河港の人数までわしの物になったわけではない」
セランが続ける。
「管理所とも話した。明日から昼食希望数は掲示することになった。ギルドへ登録のある店や、店の保証下で商う者なら見られる」
「他の商人も注文を取れる?」
「あとは各荷役組が選ぶ」
オルドが秀吉を見る。
「競争相手が増えるぞ」
「そうじゃな」
「嫌じゃないのか?」
「わしが受けられるのは今のところ二十四人ほどじゃ。残りを誰かが取っても困らん」
「お前の二十三人まで安い店に取られたら?」
「その時は、何で取られたか聞けばええ」
セランが少しだけ笑った。
「随分あっさりしている」
「相手が入ってこない方がおかしい。六十人も客がおるんじゃから」
「それだけか?」
秀吉は少し考えてから答えた。
「誰も真似せん商いより、真似する者が出る商いの方が、銭になると証明してくれとる」
オルドが眉を上げた。
「強がりじゃなければ大したもんだ」
「取られてから強がることにする」
それで話は終わった。
◇
夕方、河港管理所の掲示板の前には、昨日までいなかった顔が並んでいた。
前掛け姿の男。
帳面を抱えた女。
中央市場で何度か見かけた商人もいる。
「本当に来たね」
リゼが小声で言う。
「早い方がええ。後から大勢来るより分かりやすい」
「何が?」
「誰が何を売るかじゃ」
管理所の係員が紙を掲示した。
明日の昼食希望人数。
ガルド組、十人。
バルト組、十三人。
ラダン組、十八人。
残る二組を合わせ、合計は今日も六十人を超えている。
すぐに前掛けの男が手を上げた。
「第三組の九人、うちで受けたい。小麦パンと豆の煮込みで一人四枚」
「第五組なら十五人まで出せるよ」
帳面を持った女も続く。
ラダンがそちらを振り向いた。
昨日まで秀吉へ何度頼んでも受けてもらえなかった組だ。
「ユアン」
リゼが横を見る。
「どうする?」
「ガルド十人、バルト十三人」
「昨日と同じ二十三人?」
「ああ」
「ラダンさんを取らなくていいの?」
「まだ供給が追いつかん。先に受けとる二組を捨ててまで替える理由もない」
「他の店へ行くかもしれないよ」
「それでええ」
秀吉は掲示板から一歩離れた。
ラダンは、豆の煮込みを売る商人と話を始めていた。
別の荷役組では、値段だけでなく「肉はつくのか」「何時に来る」と質問が飛んでいる。
昨日まで一人ずつ拾っていた客を、今日は何人もの売り手が取り合っていた。
「オルド」
「何だ」
「明日の朝、少し店の品を見せてもらうぞ」
「何を見る」
「他の連中と同じ物を同じ値で出し続けても、選ぶ理由が薄いじゃろ」
「もう次を考えてるのか」
「競争相手が来たからの」
秀吉は笑った。
「相手がおらん時より、やれることが増えた」
その日、秀吉が受けたのは二十三人分だけだった。
客の数は増やしていない。
だが、自分の商いが誰の責任で、誰の銭として動くのかは決まった。
そして翌日からは、同じ掲示板を見る商人たちと客を取り合うことになる。
秀吉は、ラダンと話す商人を一度だけ見てから中央市場へ戻った。




