第3話 十人分を、先に売る
翌日の昼前、秀吉はリゼと中央市場を歩いていた。
今日は梨を持っていない。
腰の小袋に入っているのは、二日間の商いで残した銅貨四枚だけだ。
「それで、何を仕入れるの?」
「まだ決めとらん」
隣を歩くリゼが足を緩めた。
「昨日、相場を見たいって言ったでしょう」
「言うたぞ」
「商品を決めるためじゃなかったの?」
「先に品を決めたら、そればかり見ることになる。今日は売れそうな物ではなく、誰が何に困っとるかを見る」
リゼは納得したような、していないような顔をした。
「また変なこと言ってる」
「普通にやって銭持ちになれるなら、皆とっくになっとるじゃろ」
「そういうところ、本当に十八歳に見えないのよね」
それ以上は追及せず、リゼは市場へ視線を戻した。
秀吉も店先を順に見ていく。
小麦、豆、干し肉、野菜、果物。昼を前にして、朝より客足の落ちた店もあれば、食事時を控えて忙しくなっている店もある。
「小さいパンはいくらじゃ」
「一個一枚。十個まとめて買うなら九枚にしてくれる店があるわ」
「干し肉は?」
「バルガス商店なら一本三枚。十本まとめて確実に出るなら、オルドさんは一本二枚でも出せると思う」
「ずいぶん違うの」
「まとめ買いなら売る手間が減るし、在庫も一度に減るから」
リゼは歩きながら、店先の品を指した。
「この辺のパンは夕方まで残すと値を下げることがある。逆に干し肉は急いで売る必要がないから、ばら売りならほとんど下がらない。それと今日は河港の方で食べ物が動くと思う」
「なぜじゃ」
「朝、船が三隻入ったって聞いたから。普段より二隻多いの」
秀吉は西へ続く通りを見た。
「船が増えれば、荷を運ぶ者も増える」
「臨時の荷役人も呼ばれるわ。そういう日はパンや干し肉がよく出るって、帳面を見てると分かる」
「なるほど」
秀吉はそこで河港へ向きを変えた。
「行くぞ」
「もう市場はいいの?」
「十分じゃ。続きは客に聞く」
「誰に?」
「まだ知らん」
「……そこからなのね」
リゼは呆れながらもついてきた。
◇
河港は前日より明らかに混んでいた。
セラ河の岸に三隻の船が並び、倉庫前では荷車がひっきりなしに動いている。普段は別の仕事をしているのか、慣れない手つきで麻袋を運ぶ若者の姿もあった。
秀吉は監督所の前で足を止めた。
「今日は札を取らないの?」
「まだ売る物がない」
「でも商売を探しに来たんでしょう」
「探すだけで銅貨三枚取られてはたまらん。一応、聞いとこう」
窓口には、顔馴染みになった監督人がいた。
「今日は箱がないな」
「客だけ見に来た。一つ聞きたい」
「またか」
「注文を受けるだけなら場所代は要るか?」
監督人は秀吉とリゼを見比べた。
「ここに台を出して客を集めるなら要る。だが荷役組や倉庫の責任者と話すだけなら商売場所を使うわけじゃない。勝手に通路を塞がなきゃ構わん」
「注文した品を、その組の休憩所まで持っていく場合は?」
「責任者が許可してるなら河港の露店札はいらん。ただし共用区画で勝手に売り始めたら三枚だ」
「分かった」
「今度は配達か?」
「まだ何も決まっとらん」
「決まってから聞きに来いよ」
「決めてから駄目と言われるよりええじゃろ」
監督人が苦笑した。
秀吉は礼を言って荷役場へ向かった。
◇
昼の鐘が近づいた頃、荷役場から二人の男が抜けた。
どちらも空の籠を提げている。
しばらくすると、二人は中央市場の方角から戻ってきた。
一人の籠には小さなパン。
もう一人の籠には干し肉が入っている。
往復だけで半刻近くかかっていた。
二人が入った休憩所では、十人ほどの男たちが荷を運ぶ手を止めて待っていた。
「遅いぞ。三番船がまだ半分も終わってない」
五十ほどのがっしりした男が、戻ってきた二人へ声を飛ばした。
「市場が混んでたんですよ、ガルドさん」
「分かってる。食ったらすぐ戻れ」
買ってきたパンと干し肉が配られていく。
秀吉は少し離れたところから、その様子を見ていた。
「リゼ」
「何?」
「あの二人が飯を買いに行く間、荷は運べんの」
「そりゃそうでしょう」
「毎日やっとるんじゃろうか」
「聞くの?」
「そのために来た」
男たちへ食事が渡り終わるのを待ち、秀吉はガルドへ近づいた。
「少しええか」
ガルドが振り向く。
「誰だ?」
「ユアンじゃ。昨日まで向こうで傷梨を売っとった」
「ああ。荷役の連中が話してた若いのか。今日は梨はないのか?」
「今日は別の話じゃ。昼飯を買いに行く者は、毎日二人抜いとるのか?」
ガルドが怪訝そうに秀吉を見る。
「人数次第だが、大体一人か二人だ。それがどうした」
「戻るまで半刻ほどかかっとった」
「市場まで行くんだから仕方ねえだろ」
「なら明日から、その半刻をなくさんか」
ガルドの目つきが変わった。
「どうやって?」
「昼の鐘までに、人数分の飯をここへ届ける」
ガルドはすぐには答えなかった。
食事中の仲間を見てから、秀吉へ視線を戻す。
「何を届ける」
「今と同じでええ。パンと干し肉。今日は一人いくら払った?」
「四枚だ」
「十人なら四十枚か」
「ああ」
秀吉はリゼを見る。
リゼはすでに帳面を開いていた。
「小さいパン十個なら九枚。バルガス商店の干し肉を十本まとめて仕入れられれば二十枚くらい」
「合わせて二十九枚じゃな」
「そのくらい。届けるだけなら河港の場所代もかからない」
ガルドが二人を見る。
「おい。俺の前で仕入れ値まで計算するのか」
「知られて困る話でもない」
秀吉は答えた。
「おぬしは今までと同じ四十枚払う。わしは二十九枚ほどで揃えて運ぶ。差はわしらの取り分じゃ」
「値段は安くならねえのか?」
「ならん」
秀吉が即答したので、ガルドが少し驚いた顔になる。
「ずいぶん堂々としてるな」
「その代わり、明日は飯を買いに二人出さんでええ。十人全員、昼の鐘まで荷を運べる」
ガルドの視線が、先ほど買い出しへ行った二人に向いた。
二人とも食事を始めたばかりだ。
「……確かに今日は、あいつら二人が抜けた分だけ三番船が遅れてる」
「飯の値を一枚下げても、荷が残ればおぬしは得せんじゃろ」
「そこを見てたのか」
「暇じゃったからな」
「暇な奴は普通、そんなところ見ねえよ」
ガルドが笑う。
だが、表情はもう先ほどとは違った。
「明日、十人分。本当に昼までに届けられるのか?」
「届ける。ただし、初めての取引じゃ。注文の証に十枚だけ先に預かりたい」
「一人一枚か」
「残り三十枚は品を渡してからでええ」
「前金を持って逃げたらどうする」
「中央市場のバルガス商店に住み込みじゃ。ユアン・ロッツを探せばすぐ見つかる」
リゼが小声で言った。
「そこは本当だからいいけど、勝手に店の信用まで使わないでよ」
「信用は使える時に使うもんじゃ」
「オルドさんに聞かれたら怒られるわよ」
そのやり取りを見て、ガルドが笑った。
「分かった。十人分頼む」
腰の袋から銅貨を取り出し、一枚ずつ秀吉へ渡す。
十枚。
秀吉は受け取ると、そのままリゼへ差し出した。
「数えてくれ」
「最初からそのつもり」
リゼは十枚を確認し、帳面に書き込む。
「預かり金、銅貨十枚」
「預かり金?」
ガルドが聞く。
「まだ私たちの売上じゃないから。明日ちゃんと渡すまでは、ガルドさんのお金として分けておきます」
「細かいな」
「この人に全部持たせる方が心配なので」
リゼが秀吉を指す。
「ひどい言われようじゃ」
「二日前まで帳面すらつけてなかったでしょう」
ガルドは声を上げて笑った。
◇
バルガス商店へ戻るまでに、リゼは何度も帳面を確認していた。
「パン九枚。干し肉二十枚。合計二十九枚」
「売上四十枚」
「利益は十一枚。ただし、パンは先に九枚必要」
「今あるのは、わしの四枚と預かり金十枚で十四枚」
「干し肉まで現金で払うなら足りない」
「そこはオルドと話す」
「やっぱり借りるのね」
「十本の売り先はもう決まっとる。何も決まってないのに貸せと言うよりは話しやすいじゃろ」
「断られたら?」
「別の仕入れ先を探す」
リゼが秀吉を見る。
「簡単に言うわね」
「断られた時の次を考えずに交渉へ行く方が怖い」
秀吉は前を向いたまま答えた。
リゼは少し黙り、それから帳面を閉じた。
◇
「二十枚を明日返す?」
事情を聞いたオルドは、店の奥で腕を組んだ。
「そうじゃ。干し肉を十本、一本二枚で出してほしい」
「もう売り先は決まってるんだな」
「十人分の注文を受けた。前金も十枚預かっとる」
リゼが帳面を開く。
「ガルドさんという荷役組の責任者です。明日の昼の鐘までにパン十個と干し肉十本。代金は四十枚。十枚は預かり済みです」
オルドはリゼの帳面を確認した。
「場所代は?」
「荷役組の休憩所まで届けるなら不要だと監督所で確認した」
「そこまで聞いてきたか」
「銅貨三枚は大きいからの」
オルドはしばらく考え、棚に並ぶ干し肉へ目を向けた。
「分かった。十本出す。ただし明日の夕方までに二十枚返せ」
「助かる」
「礼は返してから言え。それと、うちの品を持っていく以上、傷んだ物を混ぜるな。お前が食って問題ない物だけ持っていけ」
「承知した」
「リゼ」
「はい」
「お前が数を確認しろ」
「最初からそのつもりです」
秀吉は二人を見比べた。
「わしの信用が随分低いの」
「信用してないんじゃない」
リゼが答える。
「帳面と数は、信用してる相手でも確認するものよ」
秀吉は一瞬黙ってから笑った。
「そりゃ正しい」
オルドも小さく笑った。
◇
翌朝、リゼはバルガス商店の帳場仕事を先に終えた。
秀吉は中央市場のパン屋で、小さなパンを十個まとめて銅貨九枚で買う。
干し肉十本はオルドから預かった。
店の籠へ品物を入れ、リゼが数を二度確認する。
「パン十、干し肉十」
「一度で分かるじゃろ」
「分かっても二度見るの」
「帳場というのも大変じゃな」
「ユアンみたいな人がいるからね」
秀吉は聞かなかったことにした。
二人が河港へ着いたのは、昼の鐘より少し前だった。
ガルドは荷役場にいた。
「来たか」
「約束通りじゃ」
休憩所まで籠を運ぶ。
リゼが中身を広げた。
「パン十個、干し肉十本です。確認してください」
ガルドが仲間の一人と数える。
「間違いない」
腰の袋から、残りの銅貨三十枚が出された。
リゼが受け取り、その場で確認して帳面へ書く。
「残金三十枚、受け取りました」
「堅いなあ、お嬢ちゃん」
「銭の話なので」
「その通りだ」
ガルドは笑って頷いた。
食事が配られ始める。
今日は市場へ走る者はいない。
十人全員が荷を運び続け、昼の鐘が鳴ってから揃って休憩所へ戻ってきた。
ガルドがその様子を見ながら言った。
「思ったよりでかいな」
「何がじゃ」
「二人抜けないだけで、三番船の荷が昼前に全部倉庫へ入った」
「ならよかった」
「明日も頼めるか?」
秀吉はすぐには返事をしなかった。
「人数が同じならな。ただし仕入れ先には確認する」
「分かった。夕方までに返事をくれ」
「そうしよう」
秀吉は安請け合いしなかった。
十人ならできた。
だが、それが二十人になっても同じようにできるとは限らない。
パン屋にも、オルドにも都合がある。
売る前に仕入れを確かめる。
それだけのことだった。
◇
店へ戻ると、秀吉はまずオルドへ銅貨二十枚を渡した。
「確かに」
オルドが受け取り、帳面に記す。
リゼも自分の帳面を開いた。
「売上四十枚。パン九枚、干し肉二十枚。今回は河港の場所代なしだから、利益は十一枚」
秀吉の手元には、元から持っていた四枚を含めて十五枚残っている。
「十一枚か」
「そう。昨日の梨よりずっと大きい」
「では三枚はおぬしじゃ」
秀吉が銅貨を三枚取り、リゼの前へ置いた。
リゼが目を瞬いた。
「私に?」
「昨日、手伝うなら利益を分けると言うたじゃろ」
「金額までは決めてない」
「相場を調べ、仕入れ値を出し、帳面をつけ、品も確認した。三枚なら高くはなかろう」
「でも私はオルドさんから給金を貰ってる」
「店の仕事とは別じゃ」
秀吉はオルドを見る。
「そうじゃろ?」
「俺に振るな」
オルドは苦笑した。
「ただ、今日の仕事を終わらせてから手伝ったなら、俺が口を出すことじゃない」
リゼは掌の三枚を見る。
しばらく迷ってから、小袋へ入れた。
「……貰う」
「そうせい」
「その代わり、これからも帳面は私が見る」
「これからも?」
秀吉が聞くと、リゼは一瞬詰まった。
「今日みたいな商いを続けるなら、って意味」
「そうかそうか」
「その顔やめて」
「何も言うとらん」
「言ってるのと同じ顔してる」
オルドが横で笑った。
秀吉の手元には銅貨十二枚が残った。
二日前の終わりには四枚だったから、八枚増えたことになる。
だが、秀吉が得たのはそれだけではない。
ガルドという継続客ができた。
バルガス商店から掛けで品を出してもらえる実績も作った。
そして、帳面を持って隣に立つ者が一人増えた。
◇
その日の夕方。
秀吉が店先で空になった籠を片づけていると、河港で何度か見た男がやってきた。
「ユアンってのはお前か?」
「そうじゃが」
「ガルドのところへ昼飯を届けたんだって?」
秀吉は手を止めた。
「誰から聞いた」
「荷役場で見てりゃ分かる。俺は隣の組のバルトだ」
男は親指で河港の方角を示した。
「うちは十四人いる」
「十四人」
「明日、うちにも同じ物を持ってこれるか?」
秀吉はその場で答えなかった。
店内へ顔を向ける。
「オルド」
「何だ」
「干し肉、明日二十四本出せるか?」
オルドが棚を確認する。
「二十四本か……今ある分だけじゃ足りん。だが朝の仕入れで追加できる」
「リゼ」
「パン二十四個なら、朝一番で頼めば用意してもらえると思う」
「値は?」
「二十個を超えるなら、今日より少し下げられるかもしれない。聞いてみる」
秀吉はバルトへ向き直った。
「明日の朝まで待ってくれ。仕入れ値と数を確認してから返事する」
「今すぐ受けねえのか?」
「できん約束をして困るのは、おぬしもわしも同じじゃ」
バルトは少し意外そうな顔をしたあと、頷いた。
「分かった。朝、また来る」
男が帰っていく。
秀吉の隣で、リゼが帳面を開いた。
「十人から二十四人ね」
「まだ決まっとらん」
「でも、仕入れられれば受けるでしょう?」
「もちろんじゃ」
リゼはもう数字を書き始めている。
秀吉も止めなかった。
三日前には、傷のある梨を二十四個売るところから始まった。
今は、まだ手元にない二十四人分の昼飯について、仕入れと利益を考えている。
商いの大きさは、もう少しだけ変わり始めていた。




