第5話 人選ミスです
マルタン通りに面したカフェは、緑の庇が張り出したテラスと、大きなガラス窓が印象的な店だった。
店先は季節の花で彩られ、テラスでは、おしゃれをした女性たちが楽しげに笑っている。
店内には、それなりの家柄と見える身なりのよい男性や令嬢の姿があった。
テーブルをはさんで談笑している男女のペアも多い。
なるほど、あれがデートというものなのね。
リリエルは、向かいの席に座るゼファーを見た。
ゼファーは、厨房に続く扉と、隣の席に座る男の手元を見ていた。
その椅子は真向かいではなく、斜めにずれている。真正面にしてしまうと、入り口が死角になってしまうからだろう。
「カッセル卿」
「はい」
「今からここを出るまで、騎士のお仕事は忘れましょう」
ゼファーは、近くの席に注文の紅茶を運んでいる給仕に目をやってから、短く答えた。
「無理です」
「……この辺りは治安がいいのでしょう?」
「今日は近衛が俺しかいません。万が一のことがあったら、殿下に殺されます」
リリエルは、自分と同じ黒髪と菫色の瞳を持つ、兄の顔を思い浮かべた。
確かに、兄ならやりかねないが……。
ふと、ゼファーがわずかに腰を浮かせたのがわかった。
給仕服を着た男性が、近づいてくる。
「ご注文のケーキセットと紅茶でございます。ごゆっくりお過ごしください」
「ありがとう」
リリエルは、カットされたケーキを見て、王宮で出るものと遜色ないかわいさだわ、と思った。
アネットが、王都で一、二を争う有名店であると言っていた理由がわかる。
さっそく手を伸ばそうとしたが、目の前に置かれた皿と紅茶を取り上げられるほうが早かった。
ゼファーだ。
上着から、布に包まれた銀製のスプーンを取り出して、紅茶をかきまぜる。
「カッセル卿」
「念のためです」
リリエルは息をついた。
仕方なく、毒見が終わるまで、ゼファーを観察することにする。
ゼファー・カッセル男爵。
灰金の髪と灰青の瞳。顔立ちは、程よく整っている。王国北部は美男美女が多いから、彼もその範疇なのだろう。古風で義理堅い騎士爵家の生まれだと、兄が言っていた。
スプーンを扱う手つきは思いのほか丁寧だ。道中のエスコートも合わせると、騎士というよりは、育ちのよい貴族の男にも思える。
そう見えるのは、彼があまり騎士らしくないからだ。
身長は、兄の方が高い。
体つきは、騎士団長と並ぶと一回りも二回りも違う。
熟練の騎士が漂わせるような、頼もしさや圧を感じない。
普段、兄の執務室で見かける彼は、制服を着崩した楽な格好で、空気のように立っている男だ。ガチガチの騎士というよりは、侍従に近い。
だからこそ、余計にわからない。
どうしてこの人が、ダスター戦の英雄と呼ばれるようになったのか。当時十六歳の、騎士でもなかった少年が、あの戦場をどうやって生き残ったのか。
リリエルは、控えの席に目を向けた。アネットが一人、静かに紅茶を飲んでいる。
目が合うと、彼女はすぐに抱えた鞄の中から、目的のものを取り出して差し出した。
「カッセル卿」
「はい」
「質問してもよろしいですか」
リリエルは、受け取った手帳を開いた。昨夜まとめた質問事項が載っている。
ゼファーは数秒沈黙した。
「……内容によります」
「では、好きな食べ物はありますか?」
「はい?」
「好きな色は? 趣味は何ですか? 休日は何をしてお過ごしに?」
その眉が、わずかに中央に寄った。何かを確かめるような視線が、リリエルの口元をかすめる。
それで気づく。
このデート中、彼とは一度も目が合っていないのだわ、と。
「……それは、重要な質問ですか?」
「もちろんです。デートをする恋人たちの、定番の質問だと聞きました」
「定番ですか」
「はい。アネットがそう言っていました」
隣の席で、アネットが静かに目を伏せた。
ゼファーは銀のスプーンを紅茶から引き上げ、ナプキンで拭くと、皿と紅茶をリリエルの方へ戻した。
「……好きな食べ物は特にありません。食べられるものなら何でも」
「好きな色は?」
「特にありません。識別できればそれで」
「趣味は?」
「持つ必要を感じません」
「……休日は何をしてお過ごしに」
「寝ています」
今度は、リリエルが眉を寄せる番だった。
「定番の質問というものは、もう少し会話が弾むものだと聞いていました」
「人選ミスですね」
ゼファーは、自分の紅茶を口に含んだ。その表情からは、何も読み取れない。
「では質問を変えます」
仕方なく、リリエルは手帳のページをめくった。個人的なことは、結婚してから把握していけばいいだろう。
「初めて剣を握ったのはいつですか?」
「覚えていません。物心ついたときには、そばにありました」
「お父上から教わったのですか?」
「……そうですね」
リリエルは、手帳の空白に回答を埋めた。
なるほど。幼少期から剣。非常に英雄らしい。
「王国剣技大会を史上最年少で優勝して、騎士に叙勲されたのでしたね」
「そうですね」
「それから史上初で三連覇して、男爵に。お兄様の騎士になってからは大会に出場されていませんが、それはなぜです?」
「……出る必要がなくなったので」
「必要?」
リリエルは手帳から顔を上げて、ゼファーを見た。
一瞬だけ、彼は唇の両端を上げた。
「男爵位をいただいて、近衛にも取り立ててもらえた。充分でしょう?」
「――野心がないのですね」
リリエルは思わず口にしていた。
ゼファーがまた軽く笑う。
「安全で堅実な人生設計と言ってください」
王太子である兄が、彼をそばに置く理由にも納得ができた。
「では、わたくしの求婚は、あなたにとって歓迎すべきものではないのですね」
「そうですね。取り消していただけるなら、大変助かります」
まじめな顔で告げられる。
リリエルは、まばたきをする短い間だけ、考えた。
――こんな都合のいい男を、逃す?
手帳のページをめくると、リリエルはにっこり笑いかけた。
「取り消しません」
「でしょうね」
あら、とリリエルは内心、首をかしげた。
紅茶を飲むゼファーは、笑っていた。
お茶の苦みを飲み込んだような笑み。
何を考えているのかは、相変わらずわからない。
目が合うこともない。指摘をすれば合わせてくれるかもしれないが、それでは彼の本心がわからない。
リリエルが書きたいのは、幼い彼女が心沸き立ち、思いに共感し、苦難に泣いた、等身大の英雄なのだ。
今の取材でわかったけれど、彼は案外、難しい男だ。
大抵の場合、リリエルが笑ってお願いすれば、貴族の子息は簡単に心の内を明かしてくれるのに。
ゼファー・カッセルは、笑っていても、真実だとは限らない。
どうしたら、彼の本心を明かしてもらえるかしら。
リリエルは、かわいく彩られたケーキを一切れ、口に運んだ。
――甘い。




