第4話 これはデートです
快晴だった。
馬車は、王都東区のマルタン通りで停まった。
道幅の広い石畳の通りには、辻馬車や荷馬車が絶えず行き交っている。両脇には、カフェ、雑貨店、食料品店、書店、仕立屋、武具商が軒を連ね、店先のガラス窓には朝の光がきらきらと反射していた。王宮の正門と繋がる中央通りほど厳めしくはなく、下町ほど騒がしくもない。
リリエルは、婚約者――少なくともリリエルの中ではそう決まっている男――の導きに従って、馬車のタラップを踏んだ。
普段は王女らしく格式あるドレスを着ているけれど、今日ばかりは、王都で流行している貴族令嬢向けの外出着に袖を通していた。黒曜石のような髪はそのままだったが、さすがに王族を示す菫色の瞳は目立つので、大きめのつばがついた帽子で、なるべく目元に影を落としている。
「それで、本日はどちらへお供すればよろしいですか」
ゼファーの声は丁寧だったが、灰青の目には明らかに不本意そうな色が浮かんでいた。
近衛騎士団の制服ではなかった。もっとも、濃い灰色の上着に装飾の少ない剣帯、磨き上げられた革靴といった、どう見ても休日を楽しむ紳士というよりは、非番の騎士を思わせる格好であったけれど。
「お供ではありません。これはデートです」
「……では、どちらへお付き合いすれば?」
「まずは書店へ参りましょう」
「……書店?」
「はい。新刊は毎月アネットに確認してもらっていますが、今月はまだです。それに、実際に行けば素敵な物語が見つかるかもしれません」
ゼファーは微妙な顔をした。
「一般的には、まずお茶をしたり、庭園を散策したりするのでは」
「それらは必要になればいたします」
「必要」
「書店は必要です」
行き先が決まった。
ゼファーは小さく息を吐くと、リリエルに腕を差し出した。侍女のアネットは、後ろを静かについてくるようだ。
歩き出したゼファーは、明らかに目的地が定まった動きだった。
「カッセル卿は、書店の場所をご存知なのですか?」
「王都の巡回は、騎士団の仕事です」
「近衛の職務ではないように思いますが」
「忠実に職務を遂行するために、地理を含めて徹底的に覚えます」
目的地へ向かいながら、あら、とリリエルはそっとゼファーの様子をうかがった。
馬車を降りる際の手の差し出し方も、今こうして歩く足取りも、どこか義務的ではある。けれど、リリエルが歩幅を緩めれば、彼も自然に足を緩める。通りを行き交う馬車や人波から、さりげなくリリエルを遠ざける位置取りも、ひどく滑らかだった。
まるで、高位貴族の子息と歩いているかのような、自然で隙のないエスコート。
今や男爵とはいえ、騎士爵家の息子に生まれた彼が、ここまでの所作を身につけるのは、きっと相応の苦労があったのではないだろうか。
そう思うと、隣を歩く男の横顔が、先ほどまでとは少し違って見えた。
書店に着くと、紙とインクの乾いた匂いが鼻孔をくすぐった。
棚いっぱいに詰まった本。平積みにされた本。ぽつぽつと見える客たちが、各々本を手に取って、中身を確かめたり、真剣に頁を繰ったりしている。
これが書店。
「まあ、バナワーズ先生の新刊だわ!」
リリエルは、平積みにされた本の一冊を手に取った。買おう。
「こちらはクライバー先生の、マクリントン戦記の三巻だわ! ああ、アナイア物語の二巻もあるわ、どうしましょう」
買おう。全部買おう。
リリエルは、次々と本を手に取った。いつの間にか傍らに控えていたアネットが、それらを当然のように受け取っていく。
書店の棚を隅から隅まで確認し、達成感に胸を震わせたとき、リリエルは出入口に立つゼファーの姿を目にした。
彼が見ているのは、リリエルでも本棚でもなかった。
扉や窓、店主の位置、店内の客の手元。
それらを順に見ている。
わずかに開いた両足。力が抜けているように見える肩。
一見ただ立っているようで、何かあればすぐに飛び出せる姿勢。
兄の執務室でよく見る立ち姿。
「カッセル卿」
「はい」
「本は、ご覧にならないのですか」
「見ています」
「今、扉をご覧になっていました」
「扉も見ています」
「……本は?」
「必要があれば」
必要。
先ほどの自分の言葉を返されたようで、リリエルは少しだけ唇を尖らせた。
これでは、デートではなく、外出する王女とその護衛騎士だ。
「カッセル卿。デートをしましょう」
「……今、していますが」
「護衛騎士として、でしょう」
「私は騎士ですので」
「ですから、もっとデートらしいことをいたしましょう」
「……デートらしいこと、ですか」
「先ほど仰ったでしょう。一般的には、お茶をしたり、庭園を散策したりすると。それをいたしましょう」
ゼファーの口角がほんの少し上がって、すぐに消えた。
「仰せのままに」
リリエルは瞬いた。
舞踏会で、姫の手を取る騎士の姿はとても絵になった。
今の一言もまた、姫に付き従う騎士が言いそうな台詞だ。
経歴も、立ち姿も、言葉も、リリエルの想像する「英雄」そのもののはずなのに。
カッセル卿。
――この人は、何を考えているのだろう。




