第13話 善処します
『ヴェルナー公爵家令息、三年ぶり留学から帰国』
『帰国の貴公子、第四王女を抱擁 王位継承権第四位の存在感』
『貴族院にも波紋 第四王女にはふさわしい結婚相手を』
『王女と英雄の恋に暗雲か ヴェルナー家令息がライバル宣言』
エリアスが新聞から顔を上げて、大きく笑った。
「なにこれ。最高だね!」
よく笑う青年である。
ゼファーは壁際に控えながら、そっと彼を観察した。
エリアスは腹を抱えて、涙を浮かべながらソファに身を倒していた。
はしたないと眉をひそめられそうな行動だが、幸いこの場には身内であるルーファスと、護衛騎士のゼファーしかいない。
黒髪と菫色の瞳。ルーファスやリリエルと同じ、王族の血を示す色。顔つきは少しルーファスに似ているが、雰囲気は正反対。明るく屈託のない笑顔は、自然と場の空気を緩めるものがある。
昔、式典や儀式で何度か顔を合わせたことはあるが、三年以上前のこと。エリアスが自分のことを覚えているとは思えないが、万が一にも覚えられていて、声をかけられたら困る。ゼファーはいつも以上に壁と同化することに意識を注いだ。
「王国で新聞というものが発明されたっていうのは聞いていたけど、こんなに楽しいものだなんて」
ルーファスの執務室で、彼は感心した様子でテーブルに広げられた新聞の束を見下ろした。
そこには、リリエルが求婚した翌日の朝刊から、本日に至るまでの新聞が積まれていた。
内容はひどいものだ。
真実と虚構を混ぜる胡散臭い新聞社は、リリエルが求婚した翌日から『姫と騎士のラブストーリー』などと称して、毎日まるで見てきたかのように二人の恋物語を連載していた。
今朝の話は特にひどかった。
公爵家令息であるエリアスが「ずっとリリエルが好きだった」と姫に告白し、騎士ゼファーに結婚を賭けて決闘を申し込むのである。
ふざけている。どんな阿呆が書いたのか。
しかし、エリアスにはそれが娯楽に映るらしい。
彼は、まるで劇場で大作を見た後のような満足した表情を浮かべて、手元の新聞を山の一番上に置いた。
「兄上。これってどこで売っているんです? 頼めば、ぼくの元にも届けてくれますかね?」
「街の書店や雑貨店でも買えるが、確実なのは新聞社と定期購読の契約を結ぶことだろうな。公爵邸に届けてもらったらどうだ」
ルーファスは執務机で書類に目を落としたまま、淡々と言った。
「なるほど。では、そうします」
「気に入ったのか」
「面白かったです。庶民にとっては真実でも嘘でも、楽しければいいんでしょうね」
ルーファスは答えずに、口角を上げた。
「それにしても、リリが結婚か」
エリアスが天井を見上げる。
「リリと結婚するのは、ぼくだと思っていたなあ」
ゼファーは思わずエリアスを見た。
ルーファスが引き出しを開ける音がする。視線を戻すと、彼は決済印を取り出していた。エリアスの呟きを気にした様子もない。
「新聞と同じように、決闘を申し込んでみるか?」
「ルーファス兄上。ぼくの剣の腕前、知っているでしょう?」
「なら、剣を抜く前にリリを口説き落とせばいい」
「先日、玉砕しました」
口説いたのか。そして玉砕したのか。
ゼファーは少しだけエリアスに同情した。
しかし、エリアスは軽い調子で続けた。
「家族としては愛してるけど、女性としては愛していないって言ったのが悪かったのかなあ」
それは振られて当然である。
ゼファーは同情を取り消した。
ルーファスは何も言わず、書類にペンを走らせている。
エリアスはひとつ息をついてソファに背中を預けると、視線を流した。
こちらを見た。
「――カッセル卿。ダスターの英雄。君はリリをどう思う?」
わずかに重くなった声の主に、ゆっくり視線を合わせる。
今の今まで、エリアスからの視線や気配を微塵も感じなかった。
実はきちんと覚えられていたわけだ。忘れていてくれればよかったのに。
ゼファーは一度、ルーファスを見た。彼が軽く頷いたのを確かめてから、エリアスに向き合う。
「王女殿下として、敬愛し慈しむべきお方だと思っております」
「王女としてじゃなく、一人の女性としての話」
「……お美しいお方だと思っております」
「それだけ?」
「……大変、好奇心旺盛な方だと」
「うん。それで?」
これ以上、何を言えというのだ。
つい黙ってしまった。
エリアスがふふ、と笑った。
「ねえ知ってる? リリの初恋は、物語に出てくる英雄なんだよ」
また英雄。ここまで来ると、彼女の一貫した姿勢に敬礼をしたくなってしまう。
ゼファーは表情を動かさず、楽しそうに語るエリアスの顔を見た。
「リリは君のことを英雄視しているみたいだ。でも、カッセル卿は全然それっぽくないね。英雄っていうより、職務に忠実な騎士って感じだ」
「騎士ですので」
「リリと結婚するんでしょう?」
エリアスの瞳が、まっすぐこちらを射抜いてくる。その菫色は、ルーファスよりも明るく、リリエルよりも濃い。
まったく、王族というのはこんなのばかりで嫌になる。過去の自分に助言ができるなら、今すぐ実家に帰って結婚しろと言ってやる。
「——そうですね」
大会には勝つ。だからそれは決定事項。
……実態はどうあれ。
ゼファーは、そう自分に言い聞かせた。
「あ、そうなんだ」
エリアスは、ぱちりとひとつ瞬きを落とす。
「カッセル卿は面白いね。ものすごく嫌なのに、結婚する意思を固めているなんて」
「……表情に出ていましたか」
「いいや? でもなんとなくわかる」
やはり王族は、特殊能力か何かを持っているらしい。
「不思議だな。君は確か平民出身だったよね」
「……はい。父は騎士爵ですが、暮らしぶりは平民と同じようなものでした」
「なのに結婚観だけは、まるで王侯貴族みたいに考えるんだね。たいした覚悟だ」
エリアスは、にこにこ笑ってそう言った。
「カッセル卿。リリはぼくの大事な従姉妹なんだ。どうか、リリをちゃんと見て受け止めてあげてほしい。変わった子だけど、悪い子じゃないから」
「……善処します」
傲慢なお願いだった。
彼とて知らないわけではないだろう。リリエルの求婚の理由を。
まだ一目惚れしたとか、実はずっとあなたを想っておりましたとか、そんなふうに言われた方が救いがあった。
たいした覚悟だって?
王女と結婚する覚悟が、俺にあるとでも?
あるわけないだろ。
ゼファーは胸の内で毒づいた。
まっすぐな彼女の瞳は、取材のたびにきらきら輝いていて居心地が悪い。彼女の求める英雄像は、きっと自身とかけ離れている。
それがわかるからこそ、余計にあの瞳を避けたくなる。
マクリントン戦記。
ふと先日、彼女が語っていた「聖書」なるものを思い出した。
あれを読めば、彼女の言う英雄とやらを知ることができるのだろうか。
「エリアス、あまりゼファーをいじめてやるな」
不意に、ルーファスの声が耳に入った。
エリアスが不満そうに、少しだけ唇を尖らせた。リリエルと同じ仕草だ。
「いじめてません。リリを任せてもいい相手か確認しただけです」
「何の相談もせずに、勝手に求婚したリリが悪い。ゼファーは巻き込まれただけだ」
「それは、そうですが……」
「リリはすべてわかって求婚している。あとは二人の問題だ」
エリアスは大きく息をついた。納得したらしい。
ルーファスの言ったことは正しい。
……彼がゼファーの逃げ道を、率先して潰したという事実がなければ。
半目になって、ルーファスをにらんだ。平然としている。こちらが何も言えないのをわかってやっている。大した面の皮の厚さだ。
ゼファーは顎を引いて、職務に戻った。
なぜか胸の内に、棘が刺さったような不快な気持ちが残る。
方向性はズレているが、リリエルはゼファーを知ろうとしている。
ゼファーはまだ、彼女のことをあまり知らない。
知ろうとしてこなかったので、当然だが。
けれど多分、それではだめなのだろう。
今も逃げたくてたまらないのは変わらないし、嫌で面倒くさいのも変わらない。
しかし結婚するということは、その人の人生ごと引き受けるということなのだ。
やるべきことを整理して、ゼファーはこっそりため息をついた。
大会はもう、すぐそこだった。




