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これは取材結婚です ~物語を書きたい姫と、英雄になりたくない近衛騎士~  作者: 梨千子


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第12話 だめです

 リリエルの部屋は、王宮の四階、南側に張り出したテラスに面していた。白いガラス扉から差し込む午後の光が、淡い橙色のカーテンを透かし、象牙色の絨毯の上に落ちている。

 壁際には、本棚と書き物机が並んでいた。本棚は天井まで届かず、リリエルでも上段に手が届く高さだった。英雄譚や旅行記、戦記や古い伝承集が隙間なく収まっていた。

 白木の書き物机は、脚に細かな彫刻が入った上品な逸品だ。けれど、その上は雑然としている。羽根ペン、インク壺、封蝋、紙束、手帳、開きっぱなしの本。リリエルは普段、ここで原稿を書いていた。


「変わってないなあ。本はずいぶん増えたけど」

 

 エリアスはそう言うと、リリエルが薦める前に窓際の低いソファに腰を下ろし、二つ並んだクッションの片方を抱えた。

 ソファの前のテーブルにも、冊子が積まれていた。エリアスは何とはなしに、上にある一冊を手に取る。


「ダスター平原における戦時報告書? 騎士団の内部資料じゃないか。……リリ、なんてもの調べてるの?」

「エリアス。勝手に部屋のものを触らないでください。それは資料庫から特別に借りてきたものです。汚したら困ります」

「特別にって……騎士団でも指揮官クラスか、国王もしくは王太子以外閲覧禁止の重要資料じゃないか。本当にどうやって持ってきたの」

「アネットに、資料庫からこっそり借りてきてもらいました。大丈夫です、明日には返します」


 エリアスはしばらく無言でリリエルを見たあと、静かに冊子を元の位置に戻した。

 

「ダスター戦か。リリが英雄にご執心っていうのは本当だったんだね」

「エリアスは、ダスター戦について何かご存知ですか?」


 リリエルはエリアスの隣に座った。残されたクッションを、彼と同じように腹の前に抱える。


「まさか。九年前だよ? 劇的な勝利で国が沸いた、くらいしか記憶にないよ」

「そうですわよね……」


 リリエルは息をついた。

 アネットがワゴンを押して入室してくる。紅茶と焼き菓子の匂いが漂ってきた。


「その様子じゃ、この内部資料は役に立たなかったみたいだね」

「はい。二か月も続いた大きな戦なのに、資料庫に残っていたのは一部だけだったのです」

「一部?」

兵站(へいたん)の記録や作戦立案書、報告書の写しはあったのです。でも、参戦者や戦死者の名簿だけがありませんでした。アネットが言うには、ごっそりと抜かれていたそうです」

「……へえ」


 アネットが冊子を脇へ寄せ、テーブルの上にお茶と菓子を並べていく。

 今日のお茶は、南方産の果皮を合わせた香り茶。さすがはアネット、エリアスのお茶の好みまで完璧に押さえている。


 部屋に満ちる柑橘の香りを吸い込んで、彼はうっとりと目を閉じた。

 そうしていると、兄のルーファスによく似ている。従兄弟なのだから当然だけれど、エリアスは髪型までルーファスに似せているから、余計にそう見えた。


 お互いに紅茶を一口飲んで、一息つく。

 

「そういえば、リリはいつ結婚するの? 成人の儀が終わったらすぐ?」


 エリアスが、一口で食べられる大きさの焼き菓子を摘まみ、それを口に放り込む。

 リリエルは首をかしげて考えた。

 

「……どうでしょう。お兄様とカッセル卿のご予定次第だと思うのですが」

「が?」

「……少々わからなくなってきました」

「わからない?」

 

 リリエルは、壁際の書き物机に目を向けた。積み上がった紙束は真っ白で、午後の光を受けて妙に眩しく見えた。

 カッセル卿を主人公にした英雄譚の第一章は、遅々として進んでいない。予定では今頃、第一章はとっくに書き終えて、第二章に入っているはずだったのに。

 知れば知るほど、ゼファー・カッセルという人物は、リリエルの中で知らない男に変わっていく。

 書いても書いても、違和感ばかりが先に立つ。結局、何度も原稿をボツにしてしまっていた。


 材料が足りないのだ。もっと彼のことを知らなければならない。

 けれど、大会が近づくにつれ、ゼファーはさらに忙しい日々を送っている。簡単に取材ができる時期ではなかった。

 

「ねえリリ」


 エリアスは、抱えたクッションを胸で押しつぶすように前かがみになると、リリエルを見上げてきた。


「その結婚、考え直さない?」

「……エリアス?」

「リリのことだから、ダスターの英雄って肩書に憧れて求婚したんでしょう?」

「はい。その通りです」


 エリアスが「やっぱり」と笑った。


「リリは昔から、英雄に弱かったもんなあ」

「それだけが理由ではありません。カッセル卿であれば、私の作家活動を邪魔しないと思ったからです」

「待って。作家活動? なにそれ?」


 リリエルはにっこり笑うと、抱えていたクッションを置いて書き物机へ向かった。そこから一冊の本を取り、エリアスの前に戻る。


「ちょうど本が出来上がってきたところです。特別にエリアスに見せてあげます」

「もしかしてリリが書いたの?」

「はい。わたくしの、一冊目の本です」

「確かにきみは昔から英雄譚が好きだったけど、まさか自分で書くところまで行くなんて」


 エリアスは渡された本の表紙を眺めて、微妙な顔をした。

 彼はそのまま、リリエルを見た。


「それで、カッセル卿なら作家活動を邪魔しないって?」

「はい。結婚相手を厳選した結果、カッセル卿がもっとも条件に合致しました」

「……その理由で王女に求婚されたのか。カッセル卿にちょっと同情するよ」


 リリエルは唇を尖らせた。

 おかしい。エリアスなら、この完璧な人選に同意してくれると思ったのに。


「でも、だったら結婚相手はぼくでもよかったよね」


 エリアスは表紙をめくり、紙の質感を確かめるように手でなぞった。


「ぼくだって、リリの作家活動を邪魔したりしないよ。従兄弟で身分の釣り合いもとれているし、きみのことは大体知ってる。リリのお眼鏡にかなうと思うけどなあ」

「……確かに条件だけなら、エリアスの方がふさわしいかもしれません」

「でしょう?」


 リリエルは再び、ソファに座り直した。クッションを胸に抱えて、顎を乗せる。


「けれど、エリアスはわたくしを愛していません」

「愛しているよ。家族としてだけど」

「それではだめです」

「わからないな。だってそのカッセル卿も、きみのことを愛していないでしょう? それとも、きみがカッセル卿を愛している?」


 リリエルは答えられなかった。

 

 エリアスがページを繰る。

 けれど、彼は物語を追っているわけではない。印刷された文字の形や挿絵を見て、楽しんでいるようだった。


「……それでも、エリアスはだめです」

「だめか」

「はい。だめです」


 エリアスは天井を仰ぐと、あーあ、と息をついた。


「リリと結婚したら、ルーファス兄上が本当の兄になったのになあ」

「そういうところがだめです」

 

 エリアスと目が合った。

 ふふ。どちらからともなく、笑い合う。


「それにしても、カッセル卿か。一度話してみたいな」

「あら」

 

 リリエルはクッションを抱えたまま、前のめりになった。

 

「エリアスも英雄の魅力に気づいたのですか?」

「いや、違うけど」


 がっかりした。

 昔からあれだけ英雄譚のすばらしさを刷り込んできたというのに、エリアスはまったくつれない。


「物語の英雄に興味はないよ。でも、カッセル卿は生きている人間だ。ルーファス兄上が信頼していて、リリが結婚相手に選んだ男。気にならない方がおかしいでしょ?」

 

 エリアスが天井を見ながら、ぶつぶつと口の中で呟き始めた。

 どうやら、ゼファーに会うための算段をつけているらしい。

 

 もしゼファーとの面会が叶ったら、ぜひ自分も呼んでほしい。

 リリエルは、そうお願いをしようと口を開いた。

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