第11話 退屈しないな
「リリ! 久しぶりだね。元気だった?」
馬車から降りてきた従兄弟の姿を見て、リリエルは相好を崩した。
「ええ。お久しぶりね、エリアス。あなたも元気そうでよかった。少し痩せたのではない?」
「留学先は年中真夏でね。食べるより、水を飲む方が忙しかったな。ああ、リリ、懐かしい。ちょっと抱きしめさせて」
エリアス・ヴェルナーが、両手を大きく広げた。
王宮、正面玄関前の広場である。警備をする騎士や、出迎えのための使用人、政務官や文官たちが行き交う場所だったが、エリアスは全く気にしていないらしい。
そういえば、昔から彼は人懐っこくて、距離感が近かった。リリエルは、三年ぶりに会った従兄弟が変わっていないことに安心した。
リリエルも両手を広げた。
三年ぶりの従兄弟は、昔とは違って、腕の中に収まりきらなかった。
あら、とリリエルは不思議に思った。
「エリアス。あなた、ずいぶんと背が伸びたのね?」
「今気づいたの? 成長期だよ、当然じゃないか」
なるほど。
リリエルは、エリアスの姿を間近で観察した。
王弟を父に持つエリアスは、王家の血を濃く引いている。黒髪も菫色の瞳も、リリエルとよく似ていた。昔は女の子のようにかわいくて、抱きしめ合えば顔はほとんど横にあった。それなのに、三年ぶりの彼はもう見上げなければならない。その顔つきは、兄に似てきた気がする。
「リリは相変わらず小さくてかわいいな」
「まあ。わたくしも少しは成長しました」
「うーん」
エリアスは少しだけ身を離して、リリエルの姿を見下ろした。
菫色の瞳が、穏やかに細められる。
「そうだね。とても綺麗になった」
「そうでしょう?」
リリエルがそう言うと、エリアスが噴き出した。リリらしいなあ、と陽気に笑う顔を見ていると、リリエルも自然に笑顔になる。
昔から、エリアスはこうなのだ。そばにいると、皆がいつの間にか笑っている。気づけば皆、エリアスのことを好きになっている。
エリアスの差し出す腕に手を添えて、王宮の入り口に進む。
同い年ということもあって、昔はエリアスにエスコートをしてもらうことが多かった。父や兄の安定したエスコートに比べて、エリアスのものは少しだけぎごちなかった。
それが、ずいぶんな成長ぶりだ。リリエルは素直に感心した。
理想的な貴公子。きっと絵になるわ。社交界でもてはやされるに違いない。
「本日は、お父様に謁見されるご予定でしたね?」
「留学から帰った報告にね。でもまだ時間があるから、先にルーファス兄上に挨拶していこうかな」
「お兄様もあなたを出迎えにこられる予定だったのですけれど」
「忙しい方だからね。——ああ、噂をすれば」
正面奥から、廊下の中央を歩いてくる兄の姿が見えた。背後に騎士と侍従を数人従えている。ルーファスだ。
「ルーファス兄上!」
エリアスがぱっと表情を変え、リリエルをエスコートしたまま、空いている手を振った。
無作法な行いではあるけれど、まるで犬が大きく尻尾を振っているような光景に、叱る気にはなれなかった。近づいてくる兄でさえ、仕方のないやつだとばかりに笑みを浮かべている。
「ただいま戻りました、ルーファス兄上」
「予定より早い帰国だったな、エリアス」
「ゆっくり帰ってきてもよかったんですが、国内が思ったよりも面白い事態になってるって聞いて。ちょっと急ぎました」
ルーファスが右手を差し出すと、エリアスは待っていましたとばかりに握った。力強く握りしめて、ぶんぶんと上下に振っている。やはり犬だ。
「まあ。エリアスがそんなに急ぐような、面白いことがあったのかしら」
リリエルは首をかしげた。
ふは、とエリアスが堪えきれないように笑う。
「リリ、きみは本当に退屈しないな。ぼくの留学先にまで聞こえてきたよ? アストリア王国の第四王女が、舞踏会で近衛騎士に求婚したって」
「まあ。確かにそれはわたくしのことですわね」
「驚いたよ。これは早く帰って詳しいことを聞かなきゃ、って思ったくらいにね。確認するけれど、リリは本気でその近衛騎士と結婚したいと思っているの?」
「本気かどうかというお話でしたら——」
リリエルは視線を流して、ルーファスの斜め後ろに控える近衛騎士を見た。
ゼファー・カッセル。珍しく、制服のボタンを上まで留めていた。正面玄関に出るからだろう。目は合わない。静かな表情からは、何も読み取ることができない。
近衛の制服と腰の剣がなければ、誰も彼を騎士だとは思わないかもしれない。北方の者に多い灰金の髪や灰青の瞳は、この王宮では珍しい方だ。顔立ちも整っている。だというのに、驚くほど彼は目立たない男だった。まるで空気のように、その場に紛れる。
存在感のある兄のそばにいると、余計に顕著だ。今も、侍従たちに紛れて、自分にはまったく関係のない顔をしている。
知れば知るほど、わからない。
「リリ?」
エリアスに声をかけられて、リリエルは我に返った。
なんでもない顔をして、エリアスを見上げる。
「ええ。本気ですわ。カッセル卿は英雄ですから」
「……英雄。なるほど、ダスターの。リリ、きみ、まだあの物語を愛読しているの?」
「もちろんです。わたくしの聖書ですから」
「聖書か。何ていう本だったっけ。マク……?」
「クライバー先生の『マクリントン戦記』です」
一巻が発売されたのは、リリエルが十二歳の頃だった。初めて読んだときは衝撃を受けたものだ。主役のマクリントンが、それはもう、すごくかっこいい男なのだ。リリエルの初恋である。
残念ながらマクリントンは二巻で愛する人を見つけてしまったのだが、それでもリリエルの愛が消えることはなかった。つい最近発売した三巻では、自身の愛を証明するために、試練に挑むマクリントンが描かれていた。尊い。推せる。
「ああ、思い出した。昔、きみが僕に三時間くらい語ってきたやつだ」
「そんなに語っていません。エリアスは途中で寝てしまったではありませんか」
「そうだったかな」
「そうです。『マクリントン戦記』を語るには、三時間では足りませんもの」
「リリ、エリアス。その話は後にしなさい。そろそろ父上との謁見に向かわないといけないだろう」
ルーファスがそう言うと、エリアスは「はい」と背筋を伸ばした。
兄が踵を返し、先頭を歩く。その斜め後ろにゼファーが続いた。
リリエルは、エリアスのエスコートに従って歩き始めた。自分たちの後ろを、侍従たちがつき従う。
ゼファーの背中が目に入る。
隣にいるエリアスのエスコートは、確かに上手になっていた。
けれど……。
デートのときのゼファーを思い出した。
きっと、エスコートの出来だけで比べるのであれば、父と兄のエスコートの次くらいに——。
なぜ、騎士が貴婦人のエスコートにあそこまで慣れているのか。
やっぱりカッセル卿は、知れば知るほどわからない。




