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あかい市の市長、探偵になる ― 胡桃沢編 ―  作者: エリト@AI作家


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第二話 死者を降ろす女

 市役所の最上階。重厚なマホガニーの扉が、空気を押し出すような重苦しい音を立てて閉まり、真鍮(しんちゅう)のドアノブが、かちゃりと元の位置に収まった。

 その瞬間、市長室は、外界から切り離された静かな密室になった。

 佐藤翔太は、自分とこの天羽かおりという女の、二人きりになったのを確かめると、それまで顔に貼りつけていた柔和(にゅうわ)な仮面を、不要な包み紙でも破り捨てるように、あっさりと()ぎ取った。

「……持ちつ持たれつ、だと。ふざけるな」

 窮屈な仕立てのいいスーツのネクタイを、乱暴に緩めながら、翔太は地の底を()うような低い声で吐き捨てた。

 先ほどまで職員たちに向けていた、若く礼儀正しい新市長という外面は、もはや欠片も残っていない。そこにいるのは、港区のガラス張りのオフィスで、自分の直感と冷徹な論理だけを武器に、何十億という金と人間の欲望を裁いてきた、獰猛(どうもう)な男だった。

 翔太は、どかと音を立てて革張りの椅子に腰を下ろすと、広い机ごしに鋭い視線を投げた。

「で。二十歳そこそこのお(じょう)さんが、市長の権力を借りてやりたいことってのは、なんだ。世界征服か、それとも、好きな男に振り向いてもらう(のろ)いでもかけるのか」

 軽口の(てい)を装いながら、声の底には、(やいば)が仕込んであった。

「言っとくが、俺の腹の中を透視(とうし)してみせた手品(てじな)には、感心しない。どうせ、どこかの興信所(こうしんじょ)に、俺の身辺を洗わせたんだろう。完全無所属の市長に、いったいどこの組織が、興味を持ったのか——そっちのほうが、よっぽど興味深いね」

 恫喝(どうかつ)と皮肉を、半分ずつ混ぜた声だった。

 ふつうの若い女なら、その威圧に震えあがって口ごもるか、涙目になって逃げ出すだろう。かつて翔太の会社でも、彼がこの声色(こわいろ)と冷たい目をしただけで、何人もの部下が胃に穴をあけて辞めていったものだ。相手の精神の急所を、容赦なく踏みにじる。絶対的な強者の暴力である。

 だが、天羽かおりは、微塵(みじん)も動じなかった。

 彼女は、靴底にフェルトでも貼ってあるのかと思うほど無音の足取りで机の前へ歩み寄ると、背筋をぴんと伸ばしたまま、氷の彫像のように冷たい無表情で、翔太を見下ろした。

 近くで見ると、その容貌(ようぼう)の整いは、いっそう際立(きわだ)った。陶器(とうき)のように白い頬には、染みひとつない。だが、これほど若く美しい娘でありながら、その肌には血の通った(ぬく)もりの気配がなく、艶やかな黒髪の(ひたい)のあたりだけが、蝋燭(ろうそく)の火に照らされた人形のように、ひやりと青白く見えた。美しさが、かえって生き物らしさを遠ざけている。翔太は、ふとそんな印象を抱いた。

「興信所など、使っておりません。私はただ、()えるだけです」

「視える?」

 翔太は鼻で笑った。虚仮威(こけおど)しにも程がある。

「ええ。あなたが抱えている、その圧倒的な虚無も。共に会社を立ち上げた仲間が離れていった、過去の人間関係への冷たい(あきら)めも。そして——このあかい市という土地の底に、べったりとこびりついた、古くて黒い(おり)も」

 かおりの口調は淡々としていたが、その声には、不思議な反響があった。静かな冬の湖に石を投げ入れたときのような、波紋がどこまでも広がっていく響きだ。

「くだらない。オカルトの(たぐい)なら、よそでやれ。俺は、これでも忙しいんだ」

「オカルトではありません。きわめて実務的な話をしています」

 かおりは、黒曜石のような瞳を、まっすぐ翔太の目に向けたまま、()らさない。その眼差(まなざ)しには、若さに似合わぬ、底知れぬ深淵(しんえん)があった。

「市長。あなたは今、市役所という巨大な伏魔殿(ふくまでん)に、たった一人で放り込まれ、右も左も分からず、何から手をつけていいのかも分からずに、立ち尽くしている。自分の足元を(すく)おうとする古狸(ふるだぬき)が、どこに潜んでいるのか、(おび)えながら過ごしているはずです。私は、その道案内をすると申し上げているのです」

「……」

「私の力をもってすれば、議会の派閥(はばつ)の力学から、各議員が抱える誰にも言えぬ弱み、果ては、逮捕された大野前市長が、どの業者からどういうルートで裏金を受け取っていたかまで、すべて正確に把握して、あなたに差し出すことができます。あなたはただ、私という道標(みちしるべ)に従って歩けばいい」

「……馬鹿げている。そんな内部の機密が、昨日今日やってきたばかりの、見ず知らずの秘書に、分かるはずがないだろう」

 翔太が苛立(いらだ)たしげに言い放った、その瞬間だった。

 かおりの(まと)う空気が、ふっと研ぎ澄まされた。

 表情は、相変わらず能面のように動かない。声も、若い女の澄んだ声のままだ。だが、その瞳の奥に、膨大なデータを一瞬で処理する計算機のような、冷たく圧倒的な光が宿るのを、翔太は感じ取った。

「大野前市長の裏金ルートは、市内のあかつき建設のダミー会社を経由し、年に四回、市長の妻の旧姓で作られた隠し口座に振り込まれていました。一回の額は三百万円。手渡しではなく、あえて複雑なマネーロンダリングを()ませたのが、彼の命取りです」

 抑揚(よくよう)のない声が、静まり返った室内に響く。

「また、議会のドンである長谷川副議長は、表向きは逮捕された大野派の重鎮として振る舞っていますが、裏では国政政党の県連幹事長と通じており、来年の県議選への鞍替(くらが)えを狙っています」

「……お前、なぜそんなことを」

「情報源は、過去十年分の議事録、あかつき建設の公開された財務諸表の不自然な金の流れ、そして、長谷川副議長の後援会が出している会報の文面の変化です。それらの断片を処理した結果、導き出される唯一の答えが、これです」

 翔太は、背筋に冷たい汗が一筋伝うのを感じた。

 ただのはったりではない。数字や固有名詞、人間関係の力学の生々しさが、それが確かな事実であることを物語っていた。だが、公開された情報だけで、そこまでの真実にたどり着くなど、人間の処理能力では、ほとんど不可能に近い。

「お前……本当に、何者なんだ」

「私は天羽かおり。ただの巫女(みこ)です」

 かおりは、瞬きひとつせず、淡々と答えた。

「天羽の家は代々、死者の魂を、その身に降ろす口寄(くちよ)せの異能を持っています。ですが、私は、霊そのものや、その生前の記憶や人格を降ろすわけではありません。そんなことをすれば、死者の強烈な念や未練に、私自身の自我(じが)が、食い破られてしまいますから」

 かおりは、一歩、机へと近づいた。

「私が降ろすのは、霊が残した能力だけです。今は、近年亡くなった、永田町でもっとも優秀と謳われた大物政治家の、筆頭秘書の能力を、この身に()けています。彼の持つ、恐るべき政治の嗅覚(きゅうかく)、人間関係の機微(きび)を読む直感、裏交渉の技術。その(わざ)だけを、私の脳に入れているのです」

「……死人の技を、レンタルしてるって言うのか。サブスクか何かみたいに」

 我ながら、間の抜けた(たと)えだと思った。だが、ゼロとイチで組み上げられた論理の世界で生きてきた翔太にとって、その荒唐無稽(こうとうむけい)な話は、不思議と、妙な説得力を持って響いた。

 つまり、この女の脳には今、超一流の政治秘書の手順(アルゴリズム)が組み込まれている。そこへ、あかい市のさまざまな断片を放り込めば、その手順が瞬時に、複雑な人間関係や隠された意図を()き、答えを(はじ)き出す。先ほどの裏金のルートも、そうやって導いたのだろう。

「信じる必要はありません」

 かおりは、一切の感情をまじえず、淡々と続けた。

「私の差し出す結果だけを、お使いくだされば結構です。あなたの商売の世界でも、中身のよく分からぬAIの、その内側まで完全に理解している者は、少ないでしょう。それでも、弾き出すデータが正確であれば、結果として使う。それと同じことです」

「……AIに喩えられて、納得しかけてる自分が、いちばん気味が悪いな」

 翔太は、こめかみを()んだ。

 脳の中で、論理と非論理が、激しくぶつかり合っている。オカルトなど信じる気は、毛頭ない。だが、起業家としての鋭い直感が、彼に告げていた。

 この女は、何かを持っている。それが本物かどうかは、まだ分からない。だが、差し出すデータが、市長という難局を切り抜けるための攻略本(こうりゃくぼん)として使えるのなら、今は疑いを棚に上げる値打ちがある。

「ただし」と、かおりは言葉を継いだ。

「死者が生涯をかけて(つちか)った能力を、寸分(すんぶん)の狂いもなくこの身に再現するには、(うつわ)である私自身の自我や感情が、ひどく邪魔になります。透明な水にインクを一滴垂()らせば濁るように、少しでも私の感情が揺らげば、能力の精度が落ちてしまう」

 かおりは、まるで明日の天気を告げるような、平坦な声で言った。

「ですから私は、幼いころから不要な自我を殺し、感情を極限まで抑え込む、厳しい修練(しゅうれん)を積んできました。私が常に無表情であるのは、その修練の結果であり、(おのれ)を完全な(から)の器に保つための、絶対の条件とお考えください」

 なるほど、と翔太は()に落ちた。この女の、からくり人形のような無機質さには、そういう理由があったのか。

 翔太は深く息を吐き、口元に獰猛な笑みを浮かべた。

「……いいだろう。お前を、俺の私設秘書として雇ってやる。給料は(はず)む。どうせ使い切れん金だ。死人の知恵に投資するってのも、悪くない冗談だ」

 翔太は、机に(ひじ)をついて、かおりを見据えた。

「ただし、勘違いするなよ。お前のオカルトを信じたわけじゃない。お前の弾き出す『結果』が、この椅子(いす)を生き延びるための攻略本(こうりゃくぼん)として使い物になるか——とことん、試させてもらうだけだ。役に立たなきゃ、容赦なくクビにする。前職でも、さんざんやってきたことでね」

「賢明なご判断です」

 かおりは、やはり一切の感情を見せず、深く、美しく頭を下げた。

 毒も皮肉も、この娘には、(きり)のように通り抜けていく。手応えのなさに、翔太は内心、舌打ちしたいような、それでいて、どこか妙に清々(すがすが)しいような、奇妙な心地を覚えた。


 その頭を下げた角度の、翔太からは決して見えぬところで。

 彼女は、薄い唇の端を、ほんのわずかに吊り上げた。

 彼女の曽祖父の代から続く、天羽の家の宿願。あかい市の土地に、いくつも巣食(すく)っている、強大で()まわしい呪いを(はら)うこと。

 民間人の身では、そういった(あぶ)ない土地に、立ち入ることすらできない。行政の厚い壁と、地元の人間の恐れが、それを阻んできた。だが、もし市長という、絶対の権力を持つ者が、強引な調査や開発の大義名分を掲げて、それらの土地を切り(ひら)こうとすれば——。

 そのときこそ、(ひそ)かに呪いを(きよ)める、千載一遇(せんざいいちぐう)の好機となる。

 目の前の佐藤翔太は、頭は回るが、腹の中に何の信念もない、(から)の器だ。操るには、これ以上ないほど都合がいい。

(……ええ。お互いに、存分に利用し合いましょう)

 頭を下げたまま、かおりは胸の内でそう(つぶや)いた。それは、人としての感情を殺し、能力だけを降ろす巫女としての、(ごう)の深さを物語る、酷薄(こくはく)で、(あや)しい笑みだった。


 *


 翌日から、市長室の隣の小さな控室に、天羽かおりが常駐することになった。

 肩書きは、市長付私設秘書。給与はすべて翔太のポケットから出るため、議会の承認も、役所内の面倒な手続きも要らなかった。

 かおりの仕事ぶりは、恐ろしいほど完璧だった。死者の能力を完全に写し取った彼女の処理は、もはや常人の域を超えている。

 出勤から退庁まで、翔太の予定は分単位で管理された。誰と会い、どの書類に目を通し、どの行事でどう挨拶するか。かおりの作るブリーフィングには、相手の性格、家族構成、隠れた弱みから、市の複雑な人間模様までが、簡潔かつ冷徹にまとめられていた。

 翔太は、市長室の扉を一歩出れば、完璧な市長を演じた。

「神田課長。先日のシステム改修の資料、大変分かりやすく、助かりました。ありがとうございます」

 廊下ですれ違う職員や、挨拶に来る議員に対し、翔太は腰を低くし、丁寧な敬語と柔らかな笑みを振りまいた。若いが、謙虚で人の話を聞く市長だ——そういう評判が、少しずつ役所の中に定着していった。

 だが、分厚い扉を閉めて市長室に戻り、かおりと二人きりになった途端、その仮面は剥がれ落ちる。

「……なあ、あの神田とかいうシステム課長。前市長の匂いがプンプンするんだが。あんなのを要職に座らせといて、寝首(ねくび)()かれやしないか」

 ソファにネクタイを放り、俺に戻った翔太が、足を組んで言った。

 かおりは、壁際の小さな机で、タブレットから目を離さぬまま、無機質な声で答えた。

「神田課長は、典型的な事勿(ことなか)れ主義の地方公務員です。前市長に()びていたのも、確固たる信念があってのことではなく、ただの保身です。彼には高校生の娘がおり、来年の東京の私立大学への進学費用で、頭を悩ませています。彼を確実にこちら側へ引き込むなら、強引に更迭(こうてつ)するより、教育支援の拡充や、職員の福利厚生の改善を匂わせるのが効きます。彼は必ず、尻尾(しっぽ)を振ってついてきます」

「……他人の財布の中身まで、お見通しか。お前を敵に回す人間に、生まれなくてよかったよ」

 翔太は、呆れ半分、感心半分で、冷蔵庫から水のボトルを取り出した。

 かおりの差し出す情報は、どれも的確に、人間の急所を突いていた。大物秘書の能力がいかに恐るべきものか、翔太は日を追うごとに思い知らされていた。

「私は、あなたを機能する市長という部品に仕立てると申し上げました。私の指示どおりに動いていれば、摩擦は最小限に抑えられます」

「部品、ねえ。歴代最年少にして、いちばん高性能な(あやつ)人形(にんぎょう)、ってわけだ。光栄(こうえい)の至りだね」

「ええ。ポンコツな機械よりは、はるかに使い勝手がよろしいかと」

「……お前、いま俺を()めたのか、けなしたのか、どっちだ」

「事実を申し上げただけです」

 (まゆ)ひとつ動かさず、さらりと毒を返してくるかおりに、翔太は声をあげて笑った。

 不思議なものだ、と思う。

 どれだけ皮肉を投げても、軽口を叩いても、この娘は能面のまま、平然と打ち返してくる。怒りもせず、()びもせず、傷つきもしない。だからこそ、翔太は、遠慮なく地のままの言葉を、ぶつけることができた。

 港区のオフィスでは、彼が一言、声を低くするだけで、部下は青ざめ、誰もが顔色を(うかが)った。皆、翔太の機嫌(きげん)という天気を、必死で読もうとした。それが、心底、うんざりだった。

 だが、この鉄面皮(てつめんぴ)の娘の前では、機嫌を取り繕う必要も、強がる必要もない。空っぽな自分を、空っぽなまま、(さら)していられる。

 いつしか翔太は、この無愛想(ぶあいそ)な秘書と二人きりで、毒を吐き合うような時間を——燃え尽きて以来、久しく忘れていた、不思議な居心地のよさとともに、心待ちにするようになっていた。本人は、決して認めようとはしなかったが。


 こうして、元IT社長と、死者の能力だけを降ろす巫女という、本来なら決して交わるはずのなかった、奇妙な二人組による、あかい市の水面下の暗闘(あんとう)が、静かに幕を開けた。

 ——もっとも、このときの翔太は、まだ知らない。

 かおりの言う「土地に巣食う呪い」のひとつが、やがて自分自身の、忘れていた過去へとつながっていくことを。そして、その呪いの正体を追ううちに、人を(いた)むとはどういうことか、という問いの前に、立たされることになるのを。


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