第十九話 翔太の仕事
「鎮守の森データセンター構想」と翔太が強気に名づけたその斬新な計画は——当然のことながら、発表当初は各所から猛烈な反対の嵐に遭った。
まず真っ先に、誘致先のIT企業が強い難色を示した。
「巨大な集約型の最新データセンターを建てる前提で、我々はずっと話を進めてきたのです。それを今さら、原生林を保全しながら規模を縮小しろと? そのような前例は業界のどこにもありません」
オンライン会議の画面の向こうで、先方の担当役員が苛立ち交じりに渋い顔をした。
だが、翔太は一歩も引かなかった。
ここから先は、かつて数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼の独壇場だった。
「前例がないからこそ、圧倒的な価値があるんですよ」
翔太はかつて何十億ものシビアな投資を引き出してきた、あのぎらついた目で画面の向こうを見据えた。
「よく考えてみてください。御社は今、世界中の環境団体から『電力を馬鹿食いする、環境破壊の巨大な箱』と厳しい批判を浴びている。AIの普及でデータセンターの消費電力は年々膨れ上がる一方だ。違いますか」
「……それは、まあ、事実ですが」
「うちの構想なら、そのマイナスイメージを完全にひっくり返せる。森の木を一本も伐らない。川の自然水でサーバーを冷却し、その排熱で地元の農業を直接支える。太陽光などの再生可能エネルギーと組み合わせれば——『世界初の、自然と完全に共生するデータセンター』が誕生する」
翔太はカメラに向かって身を乗り出した。
「御社のロゴが、その世界初のエコ・データセンターの入り口に誇らしく掲げられる。SDGsだ、環境への配慮だと、実態のないPRに何百億もの広告費をドブに捨てるより——よっぽど安く、よっぽど説得力のある本物のブランドが手に入る。……どうです。これに乗らない手は、経営者としてないでしょう」
画面の向こうの役員の目の色が、明らかに変わった。
翔太の舌は止まらなかった。技術的な実現可能性の裏付け。緻密なコスト試算。具体的な環境効果のデータ。ESG投資家への強烈な訴求ポイント。そのすべてが、立て板に水のように滑らかに流れ出た。
一度は完全に燃え尽き、錆びついていた敏腕経営者の刃が——今、ふたたび鋭く煌めいていた。
*
最大の難関は、やはり地元あかい市の議会だった。
五百億の大型計画の急な変更。当然、議場は紛糾した。
その反対派の急先鋒が——あの議会のドン、長谷川副議長だった。
「市長。あなたは、いったい何を血迷っておられるのか!」
議場で長谷川は立ち上がり、綺麗に撫でつけた白髪を揺らしながら冷ややかに言い放った。
「市政始まって以来の大事業を。森のたかが迷信めいたオカルトの噂を理由に、突然白紙に戻すなどと。市民の雇用は、税収はどうなさるおつもりか。これは独裁的な市政の私物化ではないのですか!」
傍聴席がざわざわと不穏にざわめいた。
翔太は手元のマイクを引き寄せ、ゆっくりと立ち上がった。
以前の彼なら、優秀な秘書であるかおりが用意した無難な答弁書を、ただ棒読みでなぞるだけだった。だが、今は違う。彼は原稿を伏せ、自分の心からの言葉で語り始めた。
「長谷川副議長。そのご懸念は、痛いほどごもっともです」
翔太はまず、深く頭を下げた。それから顔を上げ、議場全体を堂々と見渡した。
「ですが、私は計画を白紙には戻しません。計画の形を変更するのです。より賢く。よりあかい市の未来につながる、サステナブルな形に」
「賢く、だと?」
長谷川は鼻で笑った。「森の中に施設を散らして建てる。再設計に金がかかる。森の奥は工事もメンテナンスも割高になる。——市長、あなたは数字をご存じないのか。当初計画より、コストは間違いなく膨れ上がりますぞ」
「ええ。膨れ上がります」
翔太はあっさりと認めた。
議場が、意外そうにどよめいた。長谷川さえ、一瞬鼻白んだ。
「設計費も、構築費も、森の中のメンテナンス費も、当初より上がる。それは隠しようのない事実です。私は経営者として、その数字から目を逸らすつもりは一切ありません」
翔太はマイクを握り直した。
「ですが——副議長。経営とは、コストの引き算だけでするものではない。膨らんだコストを、何倍にもして回収する。その絵が描けるかどうかなんですよ」
翔太は新しい構想の青写真を、議場の巨大なスクリーンに映し出した。
そこには、ただひとつの巨大な箱ではなく、原生林の中に点在するいくつもの小さな施設と、それらを取り巻く複数の矢印が描かれていた。
「見てください。この計画は、収益の柱を一本ではなく、何本も同時に立てます」
翔太はスクリーンの矢印を、一本ずつ指し示していった。
一つ。
サーバーが吐き出す膨大な排熱。これを、ただ大気に捨てるのではない。地元の農協、植物工場、陸上養殖場に『熱』として売る。北欧では、データセンターの排熱を街の暖房網に売って稼いでいる事例が現にある。我々は——捨てていたものを、商品に変える。
二つ。
あの原生林を一本も伐らずに残すこと自体が、カーボンクレジットになる。森を守れば、それが金になる。守った分を、誘致企業にも、他の企業にも売れる。……副議長。森は、潰すより残したほうが儲かるんですよ。
長谷川の細い眉が、わずかに動いた。
三つ。
再生可能エネルギーの長期契約で、電気代を商用より安く固定する。AIの時代、電力はこれから際限なく高騰する。今のうちに自前の安い電気を押さえた施設は、十年後、笑いが止まらなくなる。
四つ。
特産品も名所もなかったこの街に、『世界初の自然共生型データセンター』という、たったひとつの強力な名所が生まれる。世界中から視察が来る。研修が来る。サステナビリティを学ぶツーリズムが来る。森とサーバーをセットで見せる観光が、新しい人とお金をこの街に運んでくる。
五つ。
大学や研究機関を誘致し、ここを『自然と最先端ITが共生する実証フィールド』にする。世界初の試みには、国のグリーン関連の基金も、心ある研究者も集まってくる。企業版のふるさと納税も、こういう物語のある街にこそ巨額で集まるんです。
翔太は一度言葉を切り、議場全体をゆっくりと見渡した。
「副議長。正直に申し上げます。この五本の柱が、全部うまくいくとは私も思っていません」
ふたたび、議場がどよめいた。
「熱が思ったほど売れないかもしれない。観光が当たらないかもしれない。それでいいんです。——五本立てて、そのうち一本、二本が当たればいい。当たった柱が、次の柱を育てる。それが、何もないこの街が未来へ伸びていく、ただひとつの現実的なやり方だ」
翔太の力強い声が、静まり返った議場に朗々と響いた。
「巨大な箱をただひとつポンと建てる。確かに安い。確かに前例もある。ですが、それが時代遅れになったとき——この街には、何も残らない。電気を食う、熱を出すだけの、巨大なお荷物が残るだけだ」
翔太はスクリーンの、森に点在する施設群を指した。
「こちらは違う。たとえコストが膨らんでも、この街には五つの種が蒔かれる。そして何より——世界中が、このあかい市を見にやってくる。誰もが憧れる、世界初の街になる。……副議長。膨らんだコストの何倍も、この街は受け取るんですよ」
議場が水を打ったように静まり返った。
長谷川の細い目が、値踏みするようにすっと細くなった。
「……見事な理想論だ」
長谷川は鼻で笑い、低く言った。
「だが、所詮は絵に描いた餅に過ぎん。利益第一の誘致企業が、そんな前例のない非効率な計画にホイホイ乗るとでも思っておられるのか?」
「乗りました」
翔太は一切の迷いなく、即座に答えた。
議場が「えっ」と大きくどよめいた。
「昨日、誘致企業から正式に新構想への合意の内諾を得ました。先方はむしろ、この革新的なアイデアに大変乗り気です。世界初のエコ・データセンターという名誉ある称号を欲しがっている。……契約書の草案も、すでにこちらに届いております」
翔太は分厚い契約書の束を、議場に向けて高く掲げた。
長谷川は完全に絶句した。
口先だけの理想論で煙に巻く、生意気な若造だと侮っていた。だが、この男は——反論される前に、すでに外堀を埋め、実を固めてきていたのだ。
経営者としていちばん重要な能力を、長谷川はまざまざと思い知らされた。綺麗な絵を描くだけの人間は、世の中にいくらでもいる。だが、その絵を現実の泥臭い契約に落とし込める者は——ほんの一握りしかいない。
「……ふん」
長谷川は重い溜め息をつき、椅子に深くもたれた。その皺くちゃの顔に、初めて目の前の若造を本物だと認める、苦々しい色が浮かんだ。
「お手並み拝見、といきましょうか。新市長殿」
それは、長年あかい市を牛耳ってきた議会のドンの——事実上の完全な白旗だった。
*
張り詰めた空気が漂う議会から市長室に戻ると、翔太はネクタイを緩め、どっとソファに沈み込んだ。
「……勝った、んだよな、これ」
「ええ。ぐうの音も出ない完勝です」
お茶を差し出しながら、かおりがいつもの無表情で答えた。だが、その声には隠しきれぬ誇らしさと満足がにじんでいた。
「あのうるさい長谷川副議長を、あそこまで完全に黙らせるとは。……私が徹夜で用意した完璧な答弁を、見事に一行も使われませんでしたね。すべてご自分の言葉で」
「……ああ。使わなかったな、すまん」
翔太はソファに深く背を預け、天井を見上げた。
「久しぶりに、誰かの受け売りじゃなく自分の頭で考えて、自分の口でしゃべって、相手をねじ伏せた。……悪くないな。こういう痺れる感覚」
かおりは湯呑みを盆に戻し、ふと尋ねた。
「市長。一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「ん?」
「あの五本の柱。……正直なところ、どれが本命だとお考えですか」
翔太は天井を見上げたまま、少し笑った。
「鋭いな。さすが俺の秘書だ」
それから身を起こし、指を一本ずつ折りながら言った。
「熱の売却は、たぶん地味だが堅い。農協さえ口説ければ、毎年確実に金を生む。カーボンクレジットは制度次第で化ける可能性があるが、読みづらい。電気代の固定は——あれは保険だな。当たるというより、転ばないための柱だ」
「では、観光と研究誘致は」
「あの二本は、正直、博打だよ」
翔太はあっさり言った。「当たれば街が化ける。外れても、痛手は知れてる。……だがな、かおり。俺はあの二本にこそ、いちばん賭けたいと思ってる」
かおりがわずかに目を見開いた。
「堅い柱ではなく、博打の柱に、ですか」
「ああ」
翔太は窓の外、遠くに広がる原生林の緑を眺めた。
「熱や電気は、どこの街でも、いずれ誰かが真似できる。だが『世界初の、自然と共生する街』っていう旗は——いちばん最初に立てた者にしか手に入らない。世界中が視察に来る、憧れの街。それは金じゃ買えない。あかい市にしか、二度と手に入らない看板なんだ」
翔太はにやりと笑った。
「五本立てたのはな、保険のためじゃない。一本二本外れても、誰にも『失敗した街』とは言わせないためさ。当たった柱を指さして『ほら、ちゃんと芽が出てる』と胸を張るためだ。……種は、多く蒔いたほうが、夢を見続けられるだろう」
かおりは、その横顔を静かな瞳でじっと見ていた。
出会った頃、中身のない空の器だった男が。
今、自分自身の意志と確かな情熱に突き動かされている。
「市長」
「ん?」
「私たち天羽の宿願は——あの胡桃沢の呪いを解くことでした。それはもう、あなたの力で無事に果たされました。……ですが」
かおりは少しだけ言い淀み、静かに言った。
「私は、もう少しあなたの秘書を続けてもいいと思っています。この街にはまだ、ほかにも土地が覚えている古い哀しみがいくつも眠っている。……それに」
かおりはわずかに目を伏せ、続けた。
「あなたがこれから、この何もない街を——蒔いた種をどう育てていくのか。……私個人として、少し見てみたくなりました」
翔太はその意外な言葉に少し驚いたようにかおりを見た。
それから、悪戯っぽくにやりと笑った。
「いいぜ。給料は弾むよ。死人の知恵を借りるコンサル料にしては、高すぎるくらいにね」
「……市長の度重なる暴言による減給、まずはこちらから検討しましょう」
「ひどいな、おい。せっかくいい雰囲気だったのに」
市長室に二人の声が——翔太の明るい笑い声と、かおりのごくかすかな安堵の息の音が、心地よく響いた。
長く重苦しい事件が完全に終わり。
希望に満ちた新しい日々が、今まさに始まろうとしていた。




