第十二話 地の底
調べれば調べるほど、謎は深まるばかりだった。
縁側で寄り添う夫婦の写真。妻の不治の病。医学ではあり得ぬ延命。豹変した夫。夜ごとの森。そして、ある日、火事ですべてが焼け落ちた、あの家。
断片はいくつも集まった。だが、それらを貫くただひとつの真実は、いまだ霧の向こうだった。
「……埒が明かんな」
市長室で翔太は集めた資料を机に放り出した。
「外堀ばかり埋めて回った。だが、肝心の森の中身が分からん。あの祟り森が何を抱えてるのか。……結局、本丸に踏み込むしかないんじゃないか」
「ええ」
かおりは、静かに頷いた。
「私も同じ結論です。胡桃沢の祟り森。あの結界のいちばん奥に——すべての答えが眠っている。地中に何かが封じられているのは間違いありません。それを、この目で確かめねば」
「掘るってことか。あの呪いの森を」
「ええ」
「……正気か。重機が横転して作業員が逃げ出した、あの森だぞ。今度は人死にが出るかもしれん」
「だからこそ私が同行します」
かおりは、布包みから、あの青銅の水鏡を取り出した。
「天羽の力で、結界を一時的に鎮めます。森の怒りを抑えているあいだに、地中を検める。……危険ですが、ほかに道はありません」
翔太は、しばらくかおりの決然とした横顔を見つめた。
止めてもこの女は行くだろう。天羽の宿願を半世紀越しに果たすために。
「……分かった。市長権限で調査の名目をでっち上げる。だが、業者は入れられん。あんな現場、誰も引き受けやしないからな」
翔太は立ち上がり、自分の手を見下ろした。柔な経営者の手だ。
「俺とお前で掘るのか。スコップ片手に。……市長になって、まさか墓掘り人の真似をするとはな」
軽口を叩きながらも、その目は笑っていなかった。
*
翌日の夜明け前。
まだ星の残る薄闇の中を、二人はふたたび胡桃沢の森へ分け入った。
森は相変わらず不気味な静寂に沈んでいた。蝉も、鳥も、鳴かない。一歩、足を踏み入れるごとに空気がぬめるように冷たくなっていく。
かおりは、森の最奥、ひときわ巨大な一本の古木の前で足を止めた。
翔太は、はっとした。
桂だ。長野で水鏡に視た、あのご神木と——同じ桂の木。
「ここです」
かおりが、低く言った。
「仁科夫婦が、長野からご神木の枝を抱えてここまで来た。そして、この地に新しい桂を育てた。子らの新しい棲み処として。……この木の真下に結界の核があります」
かおりは、桂の根方に水鏡をそっと据えた。
そして、目を閉じ祈りの言葉を紡ぎはじめる。
森がざわめいた。
風もないのに梢が激しく揺れる。地の底から低い唸りのような音が響いてくる。森全体が、侵入者を拒もうと身をよじっているようだった。
「……急いでください」
かおりの額に玉の汗が浮かぶ。
「結界を鎮めていられるのは、ほんのわずかな間だけ。市長、掘って」
翔太は、スコップを地面に突き立てた。
柔な手に、すぐ豆が潰れた。掌が血で滑る。それでも、翔太は夢中で土を掘り返した。
半世紀、誰も触れなかった土は、しかし奇妙に柔らかかった。まるで、掘られるのを待っていたかのように。
どれほど掘っただろう。
スコップの先が、こつ、と固いものに当たった。
「……何かある」
翔太は、手で土を払いのけた。
現れたのは——白い骨だった。
人の骨。
それも二体。
寄り添うように、絡み合うように、地中に横たわっていた。
二体の骨は、まるで最期の瞬間、互いを抱きしめ合ったかのように向かい合って眠っていた。
「……夫婦か」
翔太の声が掠れた。
仁科清一郎と佐和子。あの家族写真の夫婦。
彼らは、この自らが張った結界のいちばん奥に——抱き合って葬られていた。いや、葬られた、というより、自らここで果てたかのように。
「心中……」
翔太は呟いた。
病に苦しむ妻と、それを支えきれなかった夫。二人は、最期に寄り添って、この地の底で命を絶ったのか——。
あまりにも哀しい最期だった。翔太の胸に熱いものがこみ上げる。
「市長」
だが、かおりの声は緊迫していた。
水鏡を握る手が激しく震えている。額の汗が止まらない。
「おかしい。……これは、おかしい」
「どうした」
「この夫婦の遺体を取り巻く念が——二重になっている」
「二重?」
「外側の層は夫婦の哀しみと無念。それは分かります。ですが——その内側に」
かおりの白い顔が恐怖に引きつった。
「もっと奥に。もっと深いところに……まるで、性質の違う別の念が幾重にも折り重なって渦巻いている。夫婦の哀しみとは、まるで違う……幼く、清らかで、それでいて——声にならない悲鳴のような」
翔太の背筋が、ぞくりとした。
「幼く清らかな悲鳴……?」
「ええ。たとえるなら——」
かおりは息を呑んだ。
「あの嶽の村で視た神様の子らの……あの透き通った気配によく似た。けれど、それが引き裂かれ、絞り尽くされたような……」
その瞬間。
ぐらりと森が大きく揺れた。
「——っ、もう保ちません!」
かおりが、悲鳴のように叫んだ。
鎮めていた結界が限界を迎えたのだ。地の底から、どす黒い瘴気が噴き上げ、二人を呑み込もうとする。
「かおり!」
翔太は、とっさにかおりを抱え、水鏡を掴み、森の外へ転がるように駆け出した。
背後で森が咆哮するように鳴った。
ようやく森を抜け、明るい朝の光の中に転がり出たとき、二人はしばらく息を整えることもできなかった。
空が白々と明けていく。
その光の中で、翔太は、まだ震えているかおりに尋ねた。
「……今のは何だったんだ。あの内側の悲鳴は」
かおりは、青ざめた顔でゆっくりと首を振った。
「分かりません。ですが——確かなのは、ひとつ」
彼女は振り返り、朝日に照らされた祟り森を見据えた。
「あの森の地中には、夫婦のほかに、もう別の何かが——たくさん封じられている。夫婦の哀しみが外側で、それを覆い隠している。……私たちは、まだいちばん奥のものを見ていない」
翔太は、その言葉を聞きながら、自分がとんでもなく深い穴の入口に立っていることを悟った。
心中した哀れな夫婦。——それが真相だと思った。
だが、違う。
その哀しい物語のさらに奥に。
もっと暗く、もっとおぞましい、何かが眠っている。
虚空を慈しむ、あの夫婦の写真が、内ポケットでやけに重く感じられた。




