俺はパンツで終わらない
あのエターナル・リセット教団の事件から、5年が経った。俺はその功績もあって、警備隊に入ることができた。
ミーナは最近やっと、挨拶くらいは返してくれるようになった。
バルド兄ちゃん──バルドさんは副隊長になり、忙しい日々を送っている。そんな彼の力になることが、今の俺の目標だ。
そして、ミーナとバルドさんの娘、ハンナちゃん。
もうすぐ三歳になる彼女は、俺にも懐いてくれている。
「かいるおにーちゃん!」
無邪気に駆け寄ってくるその姿を見るたび思う。
──この子に、胸を張れる自分でいたい、と。
大きくなったハンナちゃんに、「かっこいい!」って言ってもらえるように。
──貴様、そういうところだぞ。
脳内に響く甲高いノイズを、俺は振り払った。
「カイル、どうした?」
隣を歩く同僚が声をかけてきた。
「ただの虫だよ」
肩の上の黒い靄が、不満げに揺れた。
俺たちは、不審人物の捜索中だった。
薬品店から魔法薬を持ち出し、行方をくらませた従業員がいるという通報があった。
魔法薬には有毒ガスが発生したり、爆発したりする危険なものが多いのだ。
大通りから一本中に入ると、人もまばらになり、通りの喧騒が遠くに聞こえる。
そんなときだった。
少し先の方。
広場へ向かう方向だ。
ブツブツとつぶやきながら、早足で歩く不審な男が目に入る。
羽織ったコートに腕を隠して、いかにも「何か持ってます」と言わんばかりの格好。
俺がつい足を止めると、同僚もその男に気付いたようだ。
「本隊に通信入れてくる!」と離れていった。
距離を保ったまま男について行くと、独り言がどんどん大きくなっていく。
「……みんな、こいつで吹き飛ばしてやる!」
──まずい。この先の広場には、人がたくさんいる。
奥歯を噛み締めて、駆け出した。
「あのっ!」
男の肩がビクリと跳ねた。
その目は虚ろで、焦点があっていない。
「……警備隊」
男の口からかすれた声がこぼれる。
「……来るな。」
コートに隠れた男の腕に力がこもった。
この距離で爆発なんて起こされたら──
背中を冷たい汗が伝う。
今なら流れた跡まで正確に当てられそうだ。
「ま、待ってくれ!」
「……うるさい! 俺はもう、終わりなんだ!」
「話を──」
「来るなって言ってるだろ!!」
カチャリ。
薬瓶が鳴った。
周囲の魔力が集まり、チリチリと肌を刺す。
キーンという耳鳴りの中で、わかるのは激しく鼓動する心臓の音だけ。
向こうを走る子どもたちの声すら聞こえない。
男と二人、世界に取り残されたみたいに。
──情けない小僧よ。
黒い靄がゆっくりと伸びていく。
はっとした。
「おい、教祖! やめろ!」
足元に不気味な黒い紋様が浮かぶ。
男が叫び声をあげた。
「なんだよこれ!!」
そして。
深淵魔法──昏き歩みを覗く者。
魔導機器のハウリングのような、不快な音が俺たちを包み込んだ。
ノイズが脳内をひっかき回す。
視界が歪む。
──知らないはずの光景が、流れ込んでくる。
◇
整然と並ぶ薬品の瓶。
男は、ぎこちない手付きで商品を並べていた。
「手伝うわ。こちらからやればいいかしら?」
朗らかな声。
振り返ると、一人の女性が立っていた。
窓から差し込む穏やかな陽光。
柔らかく照らされた日向は、まるで──
彼女がそこにあってはじめて形をなす、ひとつの風景だった。
彼女にとっては、ただの同僚に向けたなんてことない笑顔。
だというのに、男は何度も何度も、その笑顔を脳裏に思い描いていた。
仕事中も。
家でも。
眠りにつく前の、僅かな時間でさえも。
『……君が、好きなんだ』
震える声で男が告げる。
彼女の笑顔が曇る。
『……ごめんなさい』
──違う。
そんな顔をさせたいんじゃない。
『……うん、いいんだ。ただ、伝えたくて』
男はぎこちない笑みを浮かべた。
ある日、男は休憩室から漏れる声を聞いた。
『それで? やっぱり告白だったの?』
『やだ〜! あんたが優しいから勘違いしちゃったんじゃないの?』
『ちょっと、彼に失礼よ』
たしなめる彼女の声がする。
その慈悲が、不甲斐ない男の輪郭を色濃く縁取る。
『あいつ、あんたと自分を流行りの劇に重ねてたりしてね』
笑い声。
錆びたナイフが男の胸に突き刺さる。
傷口から回る毒が、男の全身を侵していった。
心は鉛のように重く、店で些細なミスを重ね続けた。
また、彼女に迷惑をかけてしまった。
あの日の声が蘇る。
──あんな根暗、誰も相手にしないでしょ。
男は震え、両腕を抱える。
誰も彼もが、男を笑っているように思える。
彼女すらも。
やめろ。
──やめろ!
◇
音が止んだ。
(……今のは、こいつの──)
気が付くと男は、息を切らしてへたり込んでいた。
冷たいノイズが響く。
「……ふむ、こんなものか」
男の顔が徐々に怒りに染まる。
「は? このッ……!!」
言葉に詰まる。
沈黙。
黒い靄が、ゆっくりと矢印の形をとる。
なぜか俺を指している。
「こやつはな──」
「おい、やめろ」
「幼き頃、幼なじみの娘の──」
「やめろって言ってるだろ」
「パンツを吟味し──」
「やめろォォォ!!」
全力の咆哮。
「幼き頃であったゆえうやむやになったが、一歩間違えれば変態の犯罪者であった」
「言い方ァ!!!」
男、呆然。
そして泣き出した。
「……俺なんて、まだ人間だった」
「格が違うであろう?」
黒い靄、ドヤ顔。
「比較するな!!!」
男が顔をあげた。
「……あんたを兄貴と呼ばせてくれ」
「呼ぶな」
即答。
「よかったな、尊敬されておるぞ」
「尊敬の種類がおかしい!!!」
黒い靄が続ける。
「では、貴様が書いた夢小説とやらだが。あれでは同僚の娘の描写が少々──」
飛び火。
男が頭を抱える。
「うわああああああ!!!!」
(なんでそこまで知ってるんだよ……)
俺は半ば投げやりに、この混沌を引き裂いた。
「ああ、もう! とにかく!」
視線が集まる。
「あんたの辛さは、俺にはわからない。俺だって、今でもアレを無かったことにしたい。でもさ──」
息を整え、男をまっすぐ見つめる。
「ここで人生投げ出したら、本当に『パンツで終わった男』になる。それだけは、嫌だ」
「……兄貴」
男の震える声。
「よい演説であった」
満足げに震える黒い靄。
やかましい。
「……俺はまだやり直せるのか?」
「当然であろう。こやつですら警備隊員になれたのだ」
「俺を基準にするな!!」
到着した警備隊によって、男は連行されていく。
去り際の彼は、とても清らかな目をしていた。
「……兄貴」
「だからやめろって」
肩の上の闇が震える。
「パンツで終わらぬ男よ」
「うるさい」
◇
その日の夜。
ベッドに倒れ込んで、拳を天に掲げる。
そう。
あの日、決めたんだ。
──俺は、パンツで終わらない。
終わってたまるか。
──『俺はパンツで終らない』、完。
【薬品爆発未遂男】
エリオ・ダンジェロ
・同僚の女性、リーチェに恋心を抱いている。
・罪を償った後は小説を出版する。大ヒット。
エリオの小説:『ひだまりの処方箋』
人生に意味を見いだせない医者が、不思議な女性ベアトリーチェに出会う。彼女に導かれ、患者たちを治療していく中で、人が持つ様々な愛の形を知り、成長していく話。




