黒歴史は常に最高画質で再生される
澄みわたる青空。
朝の少し冷たい空気に包まれた街に、ハツラツとした声が響く。
「いってきまーす!!」
家から飛び出した少年は、弾む足取りで駆けていく。
朝日に輝く石畳の上を、
焼きたてのパンの香りの中を、
朝露が伝う葉の下を。
少年──カイルは、警備隊が入隊希望者に行う基礎訓練に参加するのだ。
貴族で構成された騎士団に対して、警備隊は平民による組織だ。街の守護を担う彼らは、子どもたちの憧れの存在だった。
「おう、カイル!」
力強い声。
訓練に励むカイルに声をかけるのは、警備隊員のバルド。
「剣も魔法も、ずいぶん上達したんじゃないか?」
バルドはその実力と人柄から、街のみんなに慕われている。
カイルにとっても憧れのお兄さんだった。
「俺も、バルド兄ちゃんみたいな警備隊員になるんだ!」
「ははは、頼もしいな。なら、久々に手合わせするか?」
「うん!」
ぶつかり合う木剣の音が止む。
「ッ、はぁ……はぁ、……ッ、げほっ」
膝をついたカイルに対し、涼しい顔のバルド。
「まだまだ詰めが甘いな。さっきの一撃、フェイントに引っかかっただろ? その後も動揺して、狙いが定まってなかった」
「うっ……」
カイルは肩を落とす。
(フェイント……見抜けなかった)
そんな少年の頭を、バルドが軽く小突いた。
「そんな顔するな。今回の経験から得るものもあるだろ? 過去の失敗から学ぶんだ。それが強さだ」
「……うん!」
カイルは顔を上げた。
(……もう、あんな後悔はしない)
その真っ直ぐな眼差しには、堅い決意の光が宿っていた。
◇
訓練場からの帰り道。
見慣れた後ろ姿が目に入った。
「おーい、ミーナ!」
「カイル」
振り返ったのは、幼なじみの少女だった。
いつもなら可憐な笑顔が浮かぶその顔は、近頃はずっと曇っている。
「なんか困ってたら言ってね。俺、力になるから……!」
(ミーナのためなら、何だって)
彼女は控えめに微笑んだ。
「ふふ。『バルド兄ちゃんみたいなるんだ!』って、いつも言ってるもんね」
カイルは胸の奥に潜む、小さなざわめきを無視した。
ミーナが視線を落とすと、その顔に影が落ちる。
「……あのね。うちのお兄ちゃんが、最近ちょっと変なの」
彼女の兄、アルヴィン。
穏やかな笑みを浮かべる青年で、カイルも面倒を見てもらったことがある。
このハイネ家の兄妹とは、幼い頃からの付き合いだった。
「最初はね、少し活発になったかな、ってくらいだったの。でも……」
とある教団に通い始めてから、人が変わってしまった。穏やかな彼にはありえない、乱暴な言動をするようになったのだ。
最近では、虚ろな瞳で同じ言葉をくり返すだけ。
会話が成り立たないのだと。
「そんなことが……」
「あ、もう行かなきゃ。カイルに話せて少し楽になったよ」
去っていくその背中を、カイルは見つめていた。
「教団……? そういえば最近、性格が変わったって噂を聞くようになったかも……」
◇
翌日。
訓練場でバルドにその話をすると、珍しく険しい表情を浮かべた。
「……今から大事な話をするから、よく聞け」
──エターナル・リセット教団。
それが、その宗教団体の名前だ。
『あなたの罪を消し去りましょう』
『その苦しみから救いましょう』
という謳い文句で、信者を集めている。
性格が変わった人は皆、この教団の信者だった。警備隊も騎士団と連携して、すでに調査を進めている。
「危ないから絶対に近づくな。ミーナの兄も家から出さない方がいい」
バルドは強い眼差しでカイルを見つめる。
「無謀なことはするなよ。必ず約束を守れ」
彼はそう言うと、少し口元を緩めた。
「警備隊に入りたいなら、上官の命令は絶対だぞ」
「……はい!」
◇
その日の昼下がり。
「カイル!!」
駆け寄って来たミーナは、青ざめた顔をしていた。
「お兄ちゃんが、いなくなっちゃったの!」
「!!」
バルドの話が頭をよぎる。
カイルはためらいつつも、彼から聞いた話をミーナに伝えた。
「じゃあ教団に行けば、お兄ちゃんがいるかもしれないんだね!?」
『絶対に近づくな』
約束を破りたくない。
でも──
目の前には今にも泣き出しそうなミーナ。
カイルは拳を握りしめた。
「……急げば、先回りできるかも。行ってみよう」
「カイル……ありがとう」
通りがかった街の住民に警備隊への伝言を頼むと、二人は教団へと向かった。
ちょうどその時だ。
建物へ入っていくアルヴィンの姿が見えた。
「お兄ちゃん!! 待って!!」
とっさにミーナの腕を掴んだ。
「だめだ、ミーナ! 危ないよ!」
「でもっ!!」
ここでミーナを一人にするわけにはいかない。
もう後悔はしないと、決めたのだから。
「……わかった。一緒に行こう」
ミーナは力強くうなずいた。
そして二人は──
エターナル・リセット教団の本拠地へと、足を踏み入れた。
◇
白を基調とした建物の内部は、外の喧騒を遠ざけ、静謐さすらまとっている。
ステンドグラスを抜けた色とりどりの光が、空間を淡く照らす。
「教団のおかげで、前向きに生きられるようになったんだ」
「あんなに思い悩んでいたのが嘘みたいだ!」
広間のいたるところで、明るい表情の信者たちが語り合っている。
「おや?」
信者の男が二人に気付き、歩み寄ってきた。
「新しい信者かな? 歓迎するよ」
男は、にこやかな笑みを浮かべている。
彼の目は喜びに満ち溢れ、身震いするほどに煌めいていた。
「あの……」
ミーナが口を開きかけた瞬間、カイルが一歩前に踏み出した。
「俺たち、彼女のお兄さんに勧められて来たんです。ここって、どういう場所なんですか?」
男は目を見開いた。
「それは素晴らしい! ちょうど祈りの時間が始まるから見ていくといい!」
奥の大扉が、ゆっくりと開く。
現れたのは、白いローブをまとったシスターたち。
天窓から降りそそぐ陽光を反射するそれは、まるで天の光で編まれた聖衣のようだ。
信者たちが一斉に跪く。
静寂。
シスターたちの中から、豪奢な刺繍のローブをまとった一人の女性が進み出る。
「親愛なる仔羊たちよ」
静謐の化身たる彼女の、透き通る声が広間に響いた。
「今日ここに、あなた方の喜びに満ちた顔を見られることを大変嬉しく思います」
「聖女様!」
感嘆の声があがる。
聖女がゆっくりと両腕を広げた。
「わたくしたち人は、過去の言動に苛まれ、自らが生をまっとうするにふさわしい存在であるのか、思い悩むことがあります」
カイルの指先がピクリと震える。
「ですが、どうか忘れないでください。教祖様はあなた方の罪を赦し、その重荷を消し去ってくださいます」
ざわり。
空気が熱を帯びる。
「胸を締め付ける記憶も、誰にも言えない後悔も──ここに置いてゆくのです」
カイルの胸の奥で、何かがざわめく。
(罪を消し去る……? 俺の罪も……)
「さあ、祈りましょう。苦痛からの解放を祝して」
祈りが心地よい和音を奏でる。
(……ダメだ! 呑まれるな)
カイルはそう、自分に言い聞かせた。
隣のミーナは、「祈り」を訝しげに見つめていた。
そして、広間を満たす余韻が消える。
奥へと去っていくシスターたちの背に、ミーナが駆け寄った。
「聖女様!」
聖女が微笑みを浮かべ、振り返った。
「どうされました、仔羊たちよ」
「あの! 私の兄は……アルヴィンはどこにいるんですか!? 迎えに来たんです!!」
聖女は一瞬、目を瞬かせたように見えた。
「まあ、アルヴィンさんは模範的な信者ですから。完全なる解脱を果たした彼らは、教祖様のおわす奥の間にいらっしゃいます」
「会わせてください!」
「申し訳ありませんが、敬虔なる信者の祈りをわたくしが妨げることなど……」
──おもしろい。
頭の中に、音が響く。
カイルは息を呑んだ。
男とも女とも区別がつかないザラついたノイズが、脳内に直接送り込まれる。それが言葉に聞こえる気持ち悪さが、カイルの胸を満たした。
「……教祖様がお二人をお呼びです」
顔色を変えた聖女が、そう零した。
◇
奥の間。
その重々しい扉がゆっくりと口を開き、二人を腹の内へと呑み込んだ。
最も深い場所──祭壇の上に鎮座していたのは、黒い靄の塊であった。
「あれが、教祖なの……?」
得体のしれないモノへの戸惑いが、ミーナから漏れる。
靄の周りに、完全なる解脱を果たした信者たちがひれ伏していた。みな人形のように、一心に同じ祝詞を唱えている。
「「「教祖様、罪深き我等をどうかお救いください」」」
ミーナの目が、信者たちの中にアルヴィンの姿を捉えた。
「お兄ちゃん!! しっかりして!!」
カイルは黒い靄を射抜くように睨んだ。
「……俺に話しかけたのは、お前なのか?」
闇の中からノイズが響く。
「罪深き魂よ。ようこそ」
空間に反響するそれに、カイルの全身の毛がそばだつ。
「……この人たちに何をしたんだ!」
「心外だな」
闇が、ゆらりと揺れた。
「まるで我が悪者のようではないか」
(……こいつ、何言ってんだ!?)
「人間とは実に滑稽な生き物よ。喜びの記憶は曖昧に薄れゆくというのに、罪の記憶だけは鮮明に覚えている」
「……ッ」
「背を伝う汗の感覚までを思い出しては、『愚かしい自分などミジンコにでもなってしまえ!』と、そう自らを呪いながら生きておる」
「あぁ、人間どもの言葉では『黒歴史』と言うのだったな」
ゴクリ。
漏れそうになる小さな悲鳴を、カイルは必死に抑え込んだ。
「我は元より負の感情を力の源とする。信者どもの黒歴史を剥ぎ取り、苦痛から解放してやっているだけだというのに」
「だったら、なんでこんな状態に……」
「人間どもの矮小な脳では、度重なる魔法の行使に耐え切れなかっただけのこと」
「度重なる……? 一度で消去されるんじゃないのか?」
「黒歴史を失えば、教訓も失う。ゆえに再び同じ過ちを演じ、再び羞恥に苛まれる」
闇が呆れたような空気をまとう。
「こやつらはその度に解放を願った」
ミーナが息を呑む。
「じゃあ、お兄ちゃんが変わったのも……」
カイルは居心地の悪さを振り払うように叫んだ。
「そんなの正しくない! 人は過去の失敗から学んで強くなるんだ! 今すぐみんなを元に戻せ!」
闇が哄笑する。
「ならば見せてみよ。貴様の『強さの源』とやらを」
カイルの足元を中心に、不気味な黒い文様が浮かび上がる。
「深淵魔法──昏き歩みを覗く者」
視界が歪み、空気が軋む。
「何だッ!?」
「これはこれは……」
闇が愉悦に震える。
「貴様は──」
瞬間、何かがカイルの背中を這い上がってくる。
「やめろ!!!!」
──バンッ!!
カイルの絶叫と同時に、扉が吹き飛びバルドたち警備隊が流れ込んできた。
「カイル! 無事か!?」
闇が告げる。
その神託は、奥の間を重苦しい静寂に塗り替えた。
「幼き頃、隣におる小娘のパンツを盗んだのだろう?」
時間が止まった。
「……え?」
「……は?」
ミーナと警備隊は、瞬きを忘れて固まった。
カイルの呼吸音だけが響く。
「ち、ちが──」
思わず後ずさった。
「ほれ」
黒い靄が愉悦に揺れる。
「この黒歴史から、貴様は何を学んだのだ? 語ってみよ」
語れるか。
ミーナがぽつりと言った。
「あ……そういえば、昔ママのパンツが失くなったことはあったけど」
「え?????」
今度はカイルが固まる番だった。
(女の子っぽい、かわいいやつを選んだはずなのに……)
レースやこぶりなリボン、淡い色味──
(フェイント!?)
──貴様がマヌケなだけだろうて。
ノイズが思考に割り込む。
カイルはうっかり口走った。
「……確かに、あの頃にしては少し大人っぽ──」
「カイル?」
地を這うような声。
死んだ。
だが靄は止まらない。
「ちなみにそのパンツは、飼い猫が粗相をした際、雑巾と間違えて使用された新品でな」
「は?」
「洗濯はされたが、処分される予定であった」
「は?????」
カイルの顔は、今や新品の雑巾より白い。
「嘘だ……」
「俺は……それを宝物みたいに……」
追撃。
「夫人が王都で買った、見切りセール品で──」
「うるさいな!! そこまで聞いてないよ!!」
完全崩壊。
隣から突き刺さる絶対零度の視線。
背後からの「うわぁ……」という空気。
目の前の黒い靄は、明らかに笑っている。
(こいつ……ッ!!)
羞恥と怒りが爆発する。
「それでも!」
ヤケクソ気味に叫んだ。
「それでも俺は!! 黒歴史から学んで、前に進むんだ!! ちゃんと向き合うんだ!!」
閃光がほとばしる。
「食らえ!! 聖魔法・汝の過ちごと愛そう!!」
眩い光が闇を焼く。
「ここで覚醒とは……実に愉──」
黒い靄は霧散した。
解き放たれた黒歴史が、信者たちへと戻っていく。
「「「うわああああああああ!!!!!」」」
阿鼻叫喚。
羞恥の濁流は、廃人たちを強制覚醒させる。
アルヴィンが跳ね起きた。
「ああああああああ!! 僕のラブレターを女子で回し読みするのはやめてくれぇぇ!!『ねえ見て、今日のハイネ君のポエム。君の瞳は静謐な月夜に煌めく湖面の輝きのようだ、ですって(笑)』って聞こえてるよ!! 教室の窓、開いてるんだよぉぉぉ!!」
「お兄ちゃん!!」
「僕を神聖なる詩人・ハイネくんと呼ばないでくれッ!!『これはまるで、偉大なる詩聖の再来ですね』ってつぶやいた君は誰なんだぁぁぁ!!」
「正気に戻ったんだね!!」
ミーナが兄に飛び付いた。
バッ!!!!
カイルが突然立ち上がる。
ふらつく足で一目散に駆け出し──
そのままの勢いで額を地面に叩きつけた。
「ミーナ、ごめん!! 本当にごめん!!」
沈黙。
信者たちは覚えていた。
廃人だった間のことも──
パンツも。
「そこはまさしく凍土であった」
とは、後の彼らの言である。
数秒の後、ミーナが言った。
「……気持ち悪い。」
氷の刃。
「帰ろう、お兄ちゃん。パパとママが待ってるよ」
「……あ、あぁ」
ミーナはさっさと去っていく。
気まずげにこちらを振り返るアルヴィンを連れて。
「待って!! 待ってよぉ!!」
ズサァァァッ。
もつれる足。
顔面着地。
近寄ってきたバルドが言いよどむ。
「……その、なんだ。過去の失敗から学ぶのが大切だからな……うん」
カイルはうずくまったまま、声を絞り出した。
「うぅっ……消したい。この黒歴史ごと、俺を消したいッ!!」
かくして。
一人の少年の尊い犠牲により、街の平和は守られたのであった。
──完(?)
◇◆◇
その後の話だ。
バルドは折りにふれ、ミーナにこう伝えてくれるようになった。
「カイルにも良いところはあるんだ」
そして数年後。
ミーナとバルドは結婚した。
俺がキューピッドだ。
……いや、俺が悪いのはわかってる。わかってるけど。
納得はいかない。
「まあ、そうなるだろうて」
耳元で甲高いノイズが聞こえる。
肩の上には、小さな黒い靄がちょこんと乗っていた。
あの聖魔法・汝の過ちごと愛そうを食らってなお、教祖は完全消滅しなかったのだ。
今は「人を廃人にするほどの捕食をしないこと」を条件に、半ばペットのような扱いで面倒を見てやっている。
「我が貴様の負の感情を和らげてやったのだぞ?」
「そうでもしなければ、河へ華麗にダイブしそうな勢いだったろうに」
恩着せがましい。
「……チッ」
ジロリと睨みつける。
「貴様、眠れておらぬな? クマが凄いぞ」
図星だ。
「またアイテムボックスのシークレットエリアを眺めていたのか。懲りぬやつよなあ」
「やかましい! 俺はただ……」
「いつになったら例のパンツを処分するのだ」
ピシリ。
空気が凍る。
「……うるさいな、下手に処分して誰かに見つかったらどうするんだ! タイミングってものがあるんだよ!」
「警備隊とやらは命がけだろうに。今貴様が死ねば、遺品として遺族に引き渡されるのだぞ」
「もう黙ってろ!!」
嫌な想像をさせるな。
「じゃあ、飲み会行ってくるから大人しくしてろよ」
「ああ、あの飲み会と言う名の『黒歴史防止講習会』か。貴様が講師とは出世したものよ」
無視。
シャツの襟を整え、ブーツを履く。
すると、ふと思い出したように教祖が言った。
「あの小娘の兄はついこの間結婚したようだぞ」
「……は?」
「相手はな、あの『偉大なる詩聖の再来ですね』嬢だ」
沈黙。
「……アルヴィンさんの裏切り者ーーー!!」
夜の街に、悲痛な叫びが響き渡る。
かくして。
黒歴史と共に生きる一人の青年の戦いは、まだまだ終わらない。
──今度こそ、完。
カイル:このままじゃ終われない!!
どうか、カイル青年に挽回の機会を。
(あと2話、続きます)




