彼の婚約
今日は朝からルーファスに驚かされたが、そのあとはいつものように、家族で朝食を摂り、苦手な計算の勉強をして、ダンスのレッスンをしたあとに昼食を摂り、歴史書を読んだ。
途中まではいつにも増してやる気に満ち溢れていたが、15時が近づくにつれてそわそわしてしまい、歴史書の内容が頭に入らなくなる。
ドレスの色や、メイク、髪型など気になって仕方ないのだ。
何せセラフィナは恋する乙女。
ルシアンには少しでも可愛い姿を見てもらいたいというのが乙女心である。
そんなセラフィナの心中を察して、セリーヌが声をかける。
「そんな心配なさらずとも、セラフィナ様は世界一可愛らしいですよ」
「ありがとうセリーヌ」
ーートントン
それでもそわそわ落ち着かないセラフィナの耳に、待ち侘びたノック音が響く。
「はい」
待ってましたと言わんばかりに、椅子から立ち上がったセラフィナは、ルーファスが入ってくるや否や扉へ向かう。
「セラフィナ様、ルシアン様が庭園でお待ちです」
「ええ、行きましょう」
朝と同じ、暗い表情のままのルーファスに、浮かれているセラフィナは気づかない。
軽い足取りで庭園までの慣れた道を歩んでいく。
新調した水色のドレスとかっちり整えたシニヨン、耳の上にはピンク色の薔薇がモチーフのバレッタがついている。
いつもより、大人っぽく見えるように、少しでも彼に近づけるように。そんな気持ちで着飾ると、背中を押されているような気分になる。
「ルーシー様、ごきげんよう」
ルシアンは珍しく、ただベンチに座って待っていた。
セラフィナが来るまで、近づいていることも気づかなかったようで、ただぼうっと一点を見つめていた。
これだけ多忙なのだ。ぼーっとしたくなる時もあるだろう。今日は早めに解散しようと考えたセラフィナだが、目が合った瞬間、ちがう、と思った。
「セフィ様、こんにちは。どうぞ」
いつものように、自分の隣に白い皺のないハンカチを敷いてくれる。
でも、いつもは引いてくれる手を、今日は引いてくれなかった。
なによりも、いつもは甘い琥珀色が、今日はなんだか曇って見えた。
何かがいつもとは違う。何かあったんだとセラフィナはすぐに気がつく。
ルシアンに会うまでずっと浮かれたままだった気持ちを落ち着かせた。
元気がないのなら、励ましたいし、力になりたい。
別に理由はどうだっていい。ただ、この人の目を曇らせているものを減らしたい、とセラフィナは願う。
「ルーシー様、今日は王国創立者のエイドリアン・ウィンターミア王についての歴史書を読みましたの。今までの研究で彼は、領地に関して、それぞれの領主に全てを一任して自分はなにも関与しない考え方であったことが分かっていましたが、実は一つ…」
「セフィ様」
いつものように、歴史や経営の話をすればルシアンの元気が少し戻るのではないかと考えたセラフィナだったが、遮られてしまった。
いつもだったら、セフィ様はそんなことまで勉強していて偉いと繋いだ手と反対の手で頭を撫でてくれるのに、今日は違った。
ルシアンは膝の上の手をこれでもかというほど強く握る。
セラフィナは傷になるからと、その手をほどきたかったが、今の彼の空気がそうはさせてくれなかった。
「セフィ様、お話があります」
「はい、お聞きいたしますわ」
ルシアンの瞳と視線が重なる。
その目の奥に覚悟を感じて、セラフィナの喉がこくりと鳴る。
「オーレリア王女と婚約することになりました」
「…え」
「来年のオーレリア様のデビュタントに、正式に婚約する予定です」
「あの、えっ…まって…」
「だからもう、セラフィナ様と2人で会うことはできません」
セラフィナが理解するよりも先に、淡々と紡がれる言葉。
そのどれもがセラフィナを拒絶しているようで、冷たくて、痛い。
「今まで友人として良くしてくださり、ありがとうございました。
これからは、次期義兄として、よろしくお願いします」
その言葉を置いて、ルシアンは庭園を去っていった。
セラフィナは何も言えないままだった。
セラフィナの瞳から涙が溢れたのは、ルシアンが見えなくなってから。しばらく1人で、そこで泣いていた。
ーーーーーー
「セラフィナ様」
ルシアンが戻ってきたと思い、勢いよく顔を上げたセラフィナの瞳に映ったのは、護衛騎士のルーファスだった。
「すみませんね、ルシアン様じゃなくて」
「…笑いに来たの?」
「そんなわけないでしょう」
ぶっきらぼうに応えたルーファスは、無言でハンカチを差し出す。
セラフィナからすると、こんな姿は誰にも見られたくなかった。
護衛騎士だから、彼の職業柄、そばにいるのは仕方ないけど、見て見ぬ振りして欲しかった。
「みっともないと思ってるんでしょう」
「思ってませんよ…ただ、申し訳なくて」
「なにがよ」
セラフィナは自分がいつもよりくだけた話し方になっているのは気づいていたが、取り繕っていられなかった。
頭では理解していても、心が追いついていなかったのだ。
大好きなルシアンと、姉であり第2王女のオーレリアが婚約なんて。
「知っていたんです、俺。ルシアン様が婚約するって」
「…」
だから暗い顔をしていたのか、とセラフィナは合点がいった。
知っていたからと言って、王女と公爵の婚約など、ルーファスに変えられることでもない。なぜ申し訳ないなどと思うのか。
「本人から伝えられるよりは、俺から伝えたほうがましかなとか、考えたんですけど。ルシアン様の話をする時のセラフィナ様があまりにも幸せそうだったので…言えませんでした」
そりゃ言えないだろう、ルシアン本人もあの様子では、昨日の時点では知らなかったであろうことを。
伝えたら、最悪罪に問われるかもしれない。
それでも、セラフィナの悲しみを少しでも減らそうと考えてくれたのだ。
「ルーファスが申し訳なく思うことなんて、何一つないわ」
セラフィナは自分を意外と大切に思ってくれているらしい護衛騎士に、無理して笑って見せた。
この日セラフィナは初恋を失ったのだった。
やっと昔話編終了です。




