第八話 王城の策謀と契約の楔 アーノルド談、できた嫁は絶対に手放すな!
第八話 王城の策謀と契約の楔
王城へ向かう馬車は、夕刻の光の中を静かに進んでいた。
車内には、アーノルドとアウルル。
向かい合って座る二人の間に、言葉は少ない。
(お忍びで呼ばれるとはな……)
アーノルドは腕を組み、窓の外を眺める。
嫌な予感は、消えるどころか、むしろ強くなっていた。
一方でアウルルは、目を閉じていた。
まるで思考を整理するかのように。
(……何が起きていても、おかしくありませんわね)
王子が直々に呼ぶ。
しかもお忍び。
それが意味するのは、ただ一つ。
わたくしたちに関係した事案で、国家レベルの問題。
「アーノルド様」
「ん?」
「どのような話でも、冷静に対応なさってくださいませ」
「あの王子は実は苦手でな……」
アーノルドは怪訝な表情を浮かべる。
そして、子犬のような縋るような目でアウルルを見つめる。
「だから、ここは任せていいか、アウルル」
「……はい」
その返答には、一瞬の迷いがあったが、アウルルは小さく頷いた。
子犬のような目で見つめられて、ついつい引き受けてしまった。
だが、これはアウルルの計画にとってチャンスであった。
◇
王城に到着した二人は、裏口から静かに案内された。
豪奢な廊下を進み、やがて辿り着くのは第一王子の執務室。
重厚な扉が、静かに開かれる。
「失礼いたします」
中にいたのは、第一王子エリオット。
そして、その側に控える侍従エンリケ。
「来たか、アーノルド」
エリオットは椅子に座ったまま、口元に薄い笑みを浮かべた。
「急な呼び出し、申し訳ないな」
「いえ」
アーノルドは騎士団風に一礼、アウルルは綺麗なカーテシーを披露する。
「ただ事ではないのでしょう」
「その通りだ」
エリオットの表情から、笑みが消えた。
「本題に入ろう」
静かな声が室内に伝わる。
だが、次の王子の一言で空気が張り詰める。
「――フリーランドと、マチャドラが脱獄した」
「ど、どうやって……」
アーノルドの目が驚きで見開かれる。
低く、押し殺した声が漏れた。
王城の牢獄から脱獄……ありえないことだ。
「内部に手引きの者がいたのだろう」
エリオットは淡々と続ける。
「そして現在、追跡中だ……」
「逃げ切られた可能性が高い、ということですわね」
王子の言葉を、アウルルが続けるように継ぐ。
エリオットは小さく笑う。
「さすがだな、察しがいいな」
「おそらく、プロイセ帝国へ向かっているのでしょう」
その一言で、すべてが確定した。
ただの逃亡ではない。
プロイセ帝国を巻き込む国家問題だ。
「……厄介だな」
アーノルドが騎士団の頃のことを思い出して、眉をひそめる。
「帝国と結びつけば、戦争の火種になります」
「その通りだ」
エリオットは頷いた。
「だからこそ、お前たちに協力を求めたい」
「マルセイユ公爵家の戦力は、この国でも屈指だ」
「……」
アーノルドは黙って聞いていた。
そして、タイミングを見てアウルルの腕にそっと触れる。
馬車の中で示し合わせた合図だ。
「承知いたしましたわ」
アウルルが一歩前に出て、アーノルドの代わりに交渉を開始する。
「ただし、条件がございますわ」
場の空気がわずかに揺れる。
エリオットの目が細まる。
「ほう? 条件とな」
「防衛となれば、費用が増大いたしますわ」
落ち着いた声で続ける。
「よって、公爵家が国に納める年間一万枚の金貨――その税の減額をお願いしますわ」
静かだが、はっきりとした要求だった。
侍従のエンリケが一瞬だけ顔を動かし、エリオットに視線を送る。
それを確認したエリオットは、顎に手を当てて考え込む。
「……それは難しいな」
やがて、はっきりと答えた。
「理由をお聞きしても?」
「簡単だ」
エリオットは淡々と説明する。
「今、父上――国王フランシスは病床にある」
「……」
「実務は私が担っているが、この状況で特定の貴族の税を下げれば」
指を軽く叩く。
「他の貴族も同じ要求をしてくる」
「……確かにそうですわ」
「それは統治の崩壊に繋がる」
きっぱりと言い切った。
「ゆえに、その条件は呑めない」
明確な拒否。
もっともな理由である。
だが、アウルルは引き下がらない。
これは、交渉の下ごしらえにしか過ぎないからだ。
「では、代案を」
アウルルは、微笑んだ。
その一言に、エリオットの目がわずかに光る。
「これから公爵家が新たに行う事業、ならびに鉱山開発に対し、税を課さないというのはいかがでしょうか?」
空気が一瞬、止まった。
侍従のエンリケの眉がわずかに動く。
「……新規事業と鉱山か」
エリオットは考える。
(新しい鉱山など、そう簡単に見つかるものではない)
実際、長年発見はない。
つまり――実質的な損失は少ない。
ちらりと侍従エンリケに視線を送り、彼が頷くのを待ってから短く答えた。
「……いいだろう」
「ありがとうございます」
アウルルは一礼する。
だが、それで終わらなかった。
「では、その内容を契約書にて明文化を」
「……」
エリオットは、再びちらりとエンリケを見る。
エンリケは、小さく首を横に振った。
(軽々しく契約は危険)
断りの意思表示だ。
だが――
アウルルもそのままでは、引き下がらない。
さらに続けた。
「この契約は、殿下に利点が多いですわ。なぜなら、この契約がある限り」
アウルルはまっすぐにエリオットと目を合わせる。
「マルセイユ公爵家、ならびに我が実家リール侯爵家は、第一王子殿下を裏切ることはございませんわ」
「ほう……」
その言葉に、エリオットの表情は変わる。
この二家の後ろ盾があれば、自分の王位が確実になる。
エリオットの母親は伯爵出身であり、第二王子のフリーランドの母親は隣国プロイセ帝国の王女。
この差でエリオットは、第一王子でありながら、反対する派閥貴族が多くいた。
「殿下を支えれば、二家にとっても利益が大きいですわ」
「二つの家の派閥を味方にできるということか……」
エリオットの目が細まる。
そして、薄く笑う。
「確かに二つの派閥の協力は大きいな」
「はい、悪い話ではないかと思いますわ」
エリオットは、再びエンリケをちらりと見る。
今度は――
エンリケは、小さく頷いた。
「……いいだろう」
エリオットは決断した。
「条件付きだ」
「承知しておりますわ」
「この契約は、私が第一王子として、または王として政務を執る期間のみ有効とする」
「問題ございませんわ」
即答だった。
こうして、王子と公爵家の契約は結ばれた。
互いに利益を得る、均衡の上に。
◇
王城を後にした帰りの馬車。
しばしの沈黙が流れた。
「……すごいな」
アーノルドがぽつりと呟いた。
「アウルル」
「はい?」
「今日ほど、お前の存在をありがたいと思ったことはない」
真剣な声だった。
「あのエリオットと、互角に渡り合うとはな……」
感心というより、驚愕に近い。
「あれは策略家の王子だぞ」
「ふふ」
アウルルは小さく笑った。
「いえいえ」
首を横に振る。
「互角ではありませんわ」
「……?」
アーノルドが首を傾げる。
その瞬間――
アウルルの口元が、にやりと歪んだ。
「この勝負は」
一拍置いて。
「わたくしの勝ちですわ」
その言葉に、アーノルドは思わず吹き出した。
「はは……何かあるのだな。アウルルらしいな」
「はい、これからの筋肉と推し活のために頑張りましたわ」
「……」
馬車は夜の道を進む。
王城の灯りが、遠ざかっていく。
この時のことをのちに、エリオット王子は後悔している。
アウルルの神の国の知識による領地改革が、
王子の予想をはるかに超える成果を成し遂げるとは、思わなかったからだ。
こうして物語は、静かに次の局面へと進んでいくのだった。




