第七話 アウルルの断罪劇。アウルル視点
第七話 アウルルの断罪劇
あの日のことは、今でも鮮明に覚えていますわ。
ベルサイユ学院の卒業式。
本来ならば、わたくしにとって人生で最も輝かしい日になるはずでした。
フリーランド第二王子殿下の婚約者として。
侯爵家の娘として。
誰からも祝福され、未来を約束される日になる……はずでしたのに。
壇上に呼ばれたとき、わたくしは少しだけ胸が高鳴っておりました。
隣に立つ殿下の横顔を見て、ああ、この方と共に歩んでいくのだと……疑いもなく信じていましたの。
けれど。
「アウルル=リール」
殿下の声は、冷たく響きました。
その瞬間、胸の奥がざわりと揺れたのです。
何かが、おかしいと。
「貴様の悪行は、もはや看過できぬ」
「……え?」
何を言われたのか、一瞬理解できませんでした。
周囲がざわめきます。
けれど、その声は遠く、まるで水の中にいるようにぼやけて聞こえました。
「貴様は、ベルマッタ嬢に対して陰湿ないじめを繰り返していたな」
その言葉に、はっきりと現実が突きつけられました。
いじめ。
わたくしが?
「……そのような事実はございません」
必死に声を絞り出しました。
ですが、殿下はわたくしの言葉を遮るように続けます。
「証人も証拠も揃っている。言い逃れはできぬ」
視線の先には――ベルマッタ様。
桃色の髪を揺らし、か弱そうに殿下の腕に寄り添っている姿。
その表情は……どこか怯えたようで、けれどほんのわずかに、勝ち誇った色を帯びていました。
胸が締め付けられます。
わたくしは確かに、彼女を良く思っていませんでした。
殿下に近づく彼女を、疎ましく感じたこともあります。
けれど――
「わたくしは、そのようなことはしておりません!」
思わず声を張り上げていました。
ですが、その叫びは誰にも届きません。
「黙れ」
たった一言。
それだけで、場の空気が凍りつきました。
「よって、ここに婚約を破棄する」
その宣言は、あまりにもあっさりと。
わたくしの未来を、切り裂きました。
「そして、新たな婚約者として、ベルマッタ嬢を迎える」
拍手が、どこからか起こります。
それが祝福なのか、それともただの同調なのか。
もう、わたくしには分かりませんでした。
足元が揺れます。
視界がぐらりと歪み、何もかもが遠ざかっていく。
(どうして……?)
問いかけても、答えはありません。
信じていたものが、音を立てて崩れていく。
その感覚だけが、やけに鮮明でした。
そして――
わたくしは、その場で倒れました。
◇
暗闇の中で、何かが流れ込んできました。
高層ビルが並び、大勢の人々が歩く姿。
終わらない仕事で、夜遅くまで残業をし、帰宅した後も自宅での業務……
隙間の時間での推し活。
推し推し推し。
帳簿、数字、整理整頓、効率化しても終わらない業務の山。
それらが一気に頭の中へ押し寄せてきて、わたくしの意識を塗り替えていきます。
まるで別の人生を生きてきたかのような、奇妙な感覚。
(……これが、神の国の記憶)
なぜそんな確信があったのかは分かりません。
けれど、それは確かにわたくしの別の人生でした。
そして目を開けたとき――
そこは、冷たい石の牢獄でした。
◇
鉄格子の向こうに、父がいました。
「アウルル……!」
あの厳格で、決して弱さを見せなかった父が。
顔を歪め、声を震わせていました。
「なぜだ……どうしてこんなことに……!」
格子を掴む手は白くなり、今にも壊れてしまいそうでした。
その姿を見たとき。
胸の奥が、じんわりと熱くなったのを覚えています。
(……ああ)
わたくしは一人ではなかったのだと。
父はわたくしを愛していたのだと、実感できました。
そのときです。
「リール侯爵」
静かな声が響きました。
振り向いた先にいたのは――第一王子エリオット殿下。
「この件、アウルル嬢は冤罪である可能性が高い」
はっきりと、そう告げました。
父の目が見開かれます。
「ですが、今すぐそれを覆すことは難しい」
淡々とした現実。
「ゆえに、提案があります」
その瞳は、鋭く、そしてどこか計算されていました。
「私に協力していただけるのならば、彼女を解放することも可能です」
沈黙が落ちます。
父は迷っていました。
当然ですわ。
今まで第二王子派の中心的な存在だった父が、急に第一王子派に移れという提案なのです。
これは、ただの救済ではない。
取引――いいえ、政治なのです。
けれど。
「……分かりました」
父は、決断しました。
その顔は凛々しく感じました。
「第二王子には呆れました。これからはエリオット殿下に忠誠を誓います」
その言葉に、わたくしの運命は再び動き出したのです。
◇
屋敷へ戻った後。
父は、変わってしまいました。
あれほど自信に満ちていた人が、どこか影を落としていました。
自分の決断で第二王子派として、わたくしと王子の婚約を願ったのに。
その結果、娘を牢獄に送り込んでしまった。
わたくしのために尽くしてくれていたことを、知っているからこそ――胸が痛みました。
ですが、わたくしはこれで良かったと思っています。
(……不思議ですわね)
わたくしは、絶望していませんでした。
いえ、むしろ喜びに満ちていました。
神の国の記憶があるからでしょうか。
帳簿を見れば、すぐに整理できる能力。
この世界にはない、様々な優れた知識。
鍛えられた筋肉が自慢の騎士団たちが活躍する世界。
この世界には、わたくしにとっての可能性が無限大にあるのです。
それは――
とても、わくわくするものでした。
「婚約破棄されて、良かったのかもしれませんわ」
ぽつりと呟いたとき。
自分でも驚くほど、前向きな気持ちになっていることに気づきました。
そして。
今のわたくしには、楽しみがあります。
逞しい筋肉の世界。
鍛え上げられた肉体。
ぶつかり合う力と力。
(ああ……素晴らしいですわ)
思い出すだけで、少し頬が緩んでしまいます。
◇
あの断罪の日。
わたくしの人生は一度、壊れました。
けれど――
同時に、新しく始まったのです。
冤罪も、裏切りも、痛みも。
すべてを乗り越えて。
(今度は、わたくしのやり方で)
この世界を、生きていきますわ。
そして――
もし再び、あのような理不尽が訪れたとしても。
もう、あのときのわたくしではありません。
静かに、しかし確かに。
胸の奥で、決意が燃えていました。
さすがに白い結婚を告げられた時には、またかと絶望しましたが、
アーノルド様の本心を聞いた時、彼はフリーランド王子とは違うと感じました。
彼と一緒なら、この世界を楽しめると、そんな期待を抱き始めていますわ。




