閑話1 王城の影と逃亡者たち
閑話1 王城の影と逃亡者たち
フランセ王国のベルサイユ王城。
その中枢にある第一王子の執務室では、朝から異様な緊張に包まれていた。
重厚な扉が勢いよく開かれる。
「エリオット殿下! 大変です!」
息を切らせた侍従が飛び込んできた。
「……なんだ、騒がしいな」
書類に目を落としていた第一王子エリオット=フランセは、ゆっくりと顔を上げる。
金の髪に蒼い瞳。
整った顔立ちに、どこか人を食ったような笑みを浮かべる男――それが彼だった。
「報告を聞こう」
落ち着いた声だったが、その奥には鋭い光が宿っている。
「はっ……フリーランド第二王子と、元マルセイユ公爵マチャドラが」
一瞬、言葉を飲み込む侍従。
「……牢獄から逃亡しました」
その一言で、室内の空気が凍りついた。
「なに?」
エリオットの表情から、笑みが消えた。
「どういうことだ」
「現在調査中ですが、内部の者が手引きした可能性が高く……」
「だろうな」
エリオットは椅子の背にもたれ、指を組む。
内心、イラっとしているが、指を組むことで気持ちを静めようとした。
「第二王子派の残党か?」
苛立ちを表に出さないように、慎重に低く落ち着いた声を出す。
「あるいは……」
わずかに目を細める。
「まさか、プロイセ帝国の工作員とかは、ないだろうな……」
侍従が息を呑む。
エリオットの頭の回転は早い。
そして、その推測は的確だった。
「いかがなさいますか」
「決まっているだろう」
侍従の言葉に、エリオットは立ち上がる。
その動きには、一切の迷いがなかった。
「騎士団と魔法団に通達しろ。そこから捜索隊を出させろ」
「はっ!」
「見つけ次第、捕らえろ」
静かな命令だったが、その重みは絶対だった。
「生死は問わん」
侍従は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに深く頭を下げた。
「御意!」
足早に部屋を出ていく。
再び執務室に静寂が戻る。
「……やってくれるな」
エリオットは小さく笑った。
だがその笑みは、冷たい。
「フリーランドめ、マチャドラと手を組んで、何をするつもりだ」
エリオットは机の上に置かれた地図に視線を落とす。
王都から各地へ伸びる街道。
そして、国境線はマルセイユ公爵領を通って帝国に続く。
「逃げ道は限られる」
指先でなぞるのは、プロイセ帝国へのルートだった。
「なるほどな」
くつくつと笑う。
「帝国に力を借りるつもりか」
だが、その笑みの奥にあるのは警戒だった。
(もし帝国と結びつけば、厄介なことになる)
単なる逃亡では終わらない。
これは、政治だけでは済まない。
戦争になるかもしれない。
「……アーノルド」
ふと、最近、結婚を勧めた公爵の名を口にする。
「お前の周りが、騒がしくなるぞ」
学院時代の記憶がよぎる。
無骨で、不器用で。
だが、誰よりも真っ直ぐな男。
当時は公爵家の次男で、跡取りとは遠い存在だった。
「骨肉の争いになるのは、わたしもお前も一緒だな」
くすりと笑う。
しかし、その目は、すでに王子としてのそれだった。
「まあいい」
再び椅子に腰を下ろす。
「ここを乗り切れば、お互いの地位は、盤石になるだろう」
静かに呟く。
「敵が動いたのなら」
ペンを手に取り、さらりと命令書を書き上げる。
「こちらも動くまでだ」
◇
その数刻後。
王国の国境へと続く裏街道。
一台の馬車が、夜目が効く御者に操られ、暗闇の中、進んでいた。
馬の蹄の音だけが、周辺に激しく響く。
車内には、二人の要人と二人の護衛が乗っていた。
一人は、金髪に紅い瞳のフリーランド第二王子18歳。
もう一人は、茶髪に蒼い瞳の元マルセイユ公爵マチャドラ46歳。
「殿下」
マチャドラが、低い声で言葉を発する。
「もうすぐ国境です」
「ふむ」
第二王子は足を組み、不敵に笑った。
「ようやく、か」
その顔には、焦りなど一切ない。
むしろ、愉悦すら浮かんでいる。
「牢など、オレ様には似合わん」
「当然でございます」
マチャドラは恭しく頭を下げる。
その目には、暗い光が宿っていた。
「ここからは先は、プロイセ帝国の領域」
「うむ」
「一度身を潜め、力を蓄えましょう」
ゆっくりと続ける。
「資金、人脈、そして政治力……すべてを整えれば」
「取り戻せる、というわけか」
第二王子の口元が歪む。
「はい」
マチャドラは微笑む。
「第一王子派など、いずれ排除できます」
「当然だな」
鼻で笑う。
「フランセ王国の正統なる王は」
フリーランドは胸を張って宣言する。
「このオレ様しかありえない」
その瞳に宿るのは、歪んだ確信。
「プロイセ帝国とフランセ王国、両方の王族の血を引く、高貴な存在……それがオレ様だ」
「ベルマッタも帝都で待っています」
「そうか、それは楽しみだな」
マチャドラの娘にして、フリーランドの最愛が待っていると聞き、
フリーランドの口元が緩む。
夜の闇の中、馬車は進む。
誰にも気づかれず。
静かに、確実に。
「そして」
マチャドラが呟く。
「マルセイユ公爵家は、必ず取り戻す」
一瞬、空気が冷えた。
それは、過去への執着か。
それとも、復讐か。
「……アーノルド」
マチャドラの目が細められる。
「お前に、地獄を見せてやる」
馬車は、マチャドラとフリーランドの部下たちの手によって簡単に国境を越える。
その先は、プロイセ帝国。
やがて、この逃亡が、
王国を揺るがす大事件へと発展することを……。
この時は、まだ誰も知らなかった。
ただ一つ、確かなことがある。
物語は静かに、そして、
確実に、大きく動き始めていた。




