第三十二話 フローラ皇女の決断と運命の再会へ
第三十二話 フローラ皇女の決断と運命の再会へ
プロイセ帝国、皇都。
長い旅路を終え、フローラ皇女は帝都へと帰還した。
重厚な城壁、規律正しく並ぶ兵たち、そしてどこか張り詰めた空気。
マルセイユ公爵領で過ごした穏やかな日々とは、あまりにも対照的な世界だった。
(……戻ってきたのですね)
窓の外に広がる灰色の空を見つめながら、フローラは小さく息を吐く。
あの夏の日々。
笑い合った時間。
そして――
(エリオ様……)
胸の奥が、わずかに痛んだ。
◇
それから一月後。
学院では新学期が始まり、季節はゆっくりと秋へと移ろっていった。
木々は色づき、冷たい風が頬を撫でる。
だがフローラの心は、どこか空虚なままだった。
授業を受けても、友人と話しても――
ふとした瞬間に思い出すのは、あの庭園の夜。
跪き、真っ直ぐに想いを伝えてくれた青年の姿。
(……わたしは、逃げてしまったのでしょうか)
自問する。
だが答えは出ない。
そんなある日――
「フローラ皇女殿下。皇帝陛下がお呼びです」
侍従の言葉に、フローラは顔を上げた。
「……分かりました」
静かに立ち上がる。
胸の奥に、わずかな予感があった。
◇
皇城、謁見の間。
高い天井、厳かな空気。
玉座に座るのは、プロイセ帝国皇帝ビスクル。
鋭い眼光を持つ、威厳ある男。
「フローラ、待っていたぞ」
「お呼びにより参上いたしました、父上」
優雅に一礼する。
皇帝はしばし娘を見つめ――やがて口を開いた。
「単刀直入に言おう」
その声音は、いつもより少しだけ柔らかかった。
「お前の婚姻についてだ」
フローラの指先が、わずかに震える。
一瞬、あの夜のエリオの姿が浮かぶが、すぐに想いを消す。
だが、表情は崩さない。
「……はい」
「春の卒業までに、新たな縁談がまとめたい」
淡々とした口調で話が続けられる。
「そして、本来ならそれを決めるのは、皇帝である私だ」
皇帝ビスクルは、一度、言葉を止めて、フローラ皇女に視線を送る。
それから続ける。
「だが今回は、特別にお前に選ばせてやる」
「……!」
フローラの瞳が揺れる。
「三件、話が来ている」
側近が、三通の釣書を差し出した。
「その中から好きに選べ」
その一言は、重かった。
皇女としての責務。
そして、一人の少女としての想い。
その両方を天秤にかける選択。
フローラは静かに深呼吸し、釣書を手に取った。
――一人目。
「……侯爵家三男、学院の同級生」
見知った名前。
人柄も悪くない。
評判もそこそこ。
だが――
(跡取りではない……)
皇女として嫁ぐには、やや弱い。
フローラは静かに次へと視線を移す。
――二人目。
「公爵家当主、後家……四十二歳」
思わず指が止まる。
確かに、帝国にとっては強力な後ろ盾となる相手。
だが――
(……)
言葉にならない感情が胸に広がる。
そして、最後の一通へ。
――三人目。
その名前を見た瞬間。
フローラの呼吸が止まった。
「……え……」
震える指で、紙を持ち上げる。
そこに記されていたのは――
フランセ王国王太子。
エリオット。
視界が滲む。
フローラの瞳からぽろり、と涙がこぼれた。
「……フランセ王国の王太子が何を考えてか、釣書を送ってきおった」
フローラの涙を見て、皇帝が眉をひそめる。
「フリーランドの件もある。さすがに、それは嫌だろう」
呆れたように言う。
「お前の従弟を蹴落として王位に就く男だ」
政治的には、決して単純ではない相手。
むしろ、警戒すべき存在。
だが――
フローラは違った。
涙を流しながら。
その釣書を、まるで宝物のように胸に抱きしめている。
「父上……」
顔を上げる。
その表情は――
悲しみではなかった。
溢れるほどの喜びだった。
「エリオット様が、良いです」
「……何?」
「わたしは……この方に嫁ぎます」
はっきりと、そう言い切った。
皇帝は目を見開く。
「本気か?」
「はい」
迷いは、一切なかった。
「本当にいいのか?」
念を押すように問う。
「相手はフランセ王国の王太子だぞ。政治的にも複雑だ」
「構いません」
即答だった。
「わたしは――この方がいいのです」
静かに、しかし確固たる意思を込めて。
その瞳には、もう迷いはなかった。
あの夜。
伝えられた想い。
あの時、フローとしては断った。
皇女としてならば受けられる……そんな想いを込めて。
彼に対する恋心を託してみた――
(今度は、逃げません)
心の中で、そう誓う。
皇帝はしばらく娘を見つめ――
やがて、大きく息を吐いた。
「……やれやれ」
頭をかく。
「よりにもよって、一番面倒な相手を選びおって」
だが、その口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「まあいい」
ゆっくりと頷く。
「そこまで言うなら、話を進めてやろう」
「……ありがとうございます、父上」
フローラは深く頭を下げた。
その胸には、確かな希望が灯っている。
◇
こうして。
プロイセ帝国第五皇女フローラと、
フランセ王国王太子エリオット。
二人の婚姻は――正式に動き出すこととなった。
あの夏の別れは、終わりではなかった。
それはただの――
新たな始まりに過ぎなかったのである。




