第三十三話 【最終回】雪の知らせと未来への布石
第三十三話 雪の知らせと未来への布石
――冬。
マルセイユ公爵領は、一面の銀世界に包まれていた。
空からは静かに雪が降り続け、屋敷の庭園も、街道も、遠くの森も、すべてが白く塗り替えられている。
北の山々から吹き下ろす風は鋭く、頬を刺すような冷たさを帯びていた。
だがその厳しさとは裏腹に、領地の空気はどこか穏やかで――そして確かな活気を孕んでいた。
それもあの日からだ。
アーノルドは思い返していた。
ヤンガンが襲撃した後、アウルルと添い寝した夜。
震えるアウルルがアーノルドの腕を撫でながら、筋肉を褒めていた。
腹筋を見て、うっとりとした目をしていた。
それから毎夜、アウルルとアーノルドは夜を共にするようになった。
アウルルはいつもアーノルドの筋肉を撫でながら、嬉しそうに微笑んでいた。
そんな夜が続けば、自然と二人の距離は近くなる。
今では、二人で就寝するのが、普通のことになっていた。
「筋肉に包まれて寝ると安心するわ」
甘えるアウルルの言葉に、アーノルドはこの時ばかりは、騎士団で鍛えて良かったと、昔の自分を褒めるのだった。
こうして公爵夫婦は少しずつ、穏やかに変化していったのである。
◇
公爵邸、執務室。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、部屋の中には心地よい暖かさが満ちている。
その中央の机では、アウルルが書類に目を通し、アーノルドが腕を組みながら報告を聞いていた。
「……こちらが、疎水予定地の測量結果です」
書類を差し出す側近に、アウルルは静かに頷く。
「ありがとう。下がってよろしいわ」
扉が閉まる音。
アーノルドが書類を覗き込みながら、低く唸った。
「思ったより順調だな」
「ええ。地盤も安定しておりますし、工事自体は問題なく進められそうですわ」
アウルルは紅茶を一口飲む。
「問題は――資材と人手の確保ですけれど」
「そこは王都が動いてるんだろ?」
「はい。エリオット殿下が強く推し進めておりますもの」
その名に、アーノルドが小さく笑う。
「本気だな、あいつ」
「ええ、とても」
アウルルもまた、柔らかく微笑んだ。
あの日から。
エリオットは、まるで別人のように動き続けていた。
王都に戻ってすぐ、国王への直談判。
疎水事業と鉱山開発を柱とした国家政策の提案。
さらに――
プロイセ帝国との同盟強化。
そして、その中心に据えられたのが、フローラ皇女との婚姻だった。
「……やると決めた男は、強いな」
「ええ、本当に」
アウルルがそう言った、その時だった。
コンコン――
静かなノックの音が響く。
「どうぞ」
入ってきたのは、執事だった。
「アウルル様、アーノルド様。王家より使者が到着しております」
「王家から?」
アーノルドが眉を上げる。
「この時期にか?」
「はい。至急とのことです」
アウルルとアーノルドは、わずかに視線を交わした。
「……通して」
「かしこまりました」
数瞬後。
重厚な扉が開かれ、王家の紋章を身に纏った使者が入室してくる。
深く一礼。
「マルセイユ公爵家当主アーノルド様、ならびにアウルル様に、王命をお伝えいたします」
張り詰めた空気。
だが、その使者の表情には、どこか明るさがあった。
「……聞こう」
アーノルドが促す。
使者は、ゆっくりと顔を上げ――
「来たる春、王太子エリオット殿下と、プロイセ帝国第五皇女フローラ様の婚約式を執り行うことが決定いたしました」
一瞬の静寂。
そして――
「……は?」
アーノルドが間の抜けた声を漏らした。
アウルルも、珍しく目を見開いている。
「さらに――」
使者は続ける。
「その一年後、正式な結婚式を挙げる予定とのこと。つきましては、両名にご列席賜りたく、王家より正式に要請がございます」
言い終えると、再び深く頭を下げた。
沈黙。
暖炉の音だけが、やけに大きく響く。
やがて――
「……ははっ」
アーノルドが、堪えきれずに笑い出した。
「やりやがったな、あいつ」
「ええ……本当に」
アウルルも、静かに笑みを浮かべる。
あの時の決意。
あの時の一歩。
それが――ここまで辿り着いたのだ。
「……承知した、と伝えてくれ」
「はっ」
使者は礼をし、退室していく。
扉が閉まった後。
しばしの静寂ののち――
「なあ、アウルル」
「はい」
「全部、お前の思惑通りじゃねえか?」
アーノルドがニヤリと笑う。
アウルルは、紅茶のカップを静かに置いた。
「さて、どうかしら?」
だがその瞳は、どこか楽しげに細められている。
「ただ――」
ゆっくりと窓の外を見る。
降り続く雪。
白く染まった世界。
「少しだけ、背中を押しただけですわ」
アーノルドが肩をすくめる。
「その少しで人生変わるんだからな」
「そういうものですわ」
二人は、ふっと笑い合った。
◇
その日の夕刻。
アウルルは屋敷のバルコニーに立っていた。
冷たい空気。
だが、不思議と嫌な感覚ではない。
遠くには、整備が始まりつつある疎水予定地。
雪に覆われながらも、確かに動き出している未来の形。
「……始まりますわね」
小さく呟く。
エリオットとフローラの婚約。
王国と帝国の新たな関係。
そして、領地の発展。
すべてが、繋がっている。
その時――
「寒いぞ」
背後から声。
振り返ると、アーノルドが外套を持って立っていた。
「風邪ひくぞ」
「ふふ、ありがとうございます」
外套を羽織りながら、アウルルは微笑む。
「いい顔してるな」
「そう見えますか?」
「ああ」
アーノルドは頷く。
「面白くなってきたって顔だ」
「……否定はしませんわ」
二人は並んで、雪景色を見つめた。
白い世界の中で。
確かに動き始めた、新しい時代。
やがて来る春は――
ただの季節の変わり目ではない。
未来を大きく変える、始まりの春だ。
「忙しくなりますわよ?」
「望むところだ」
「孤児院の次は、貧民街の改善や病院に学校も建てたいですわ」
「ああ、どんどんやろう」
アーノルドが笑う。
アウルルもまた、静かに頷いた。
その瞳には――
確かな確信が宿っていた。
そして、マルセイユ公爵領は――
静かに、だが力強く。
次の時代へと、歩み始めるのだった。
おわり
これにて、終了になりました。
読んでいただいた読者様に心からお礼申し上げます。
ありがとうございました。感謝です。(*- -)(*_ _)ペコリ




