第二十九話 孤児院の真実と犯罪組織アークオ
第二十九話 孤児院の真実と犯罪組織アークオ
軋む扉の先に広がっていたのは――想像以上に厳しい現実だった。
室内は薄暗く、ところどころ天井が抜けているのか、細い光が斜めに差し込んでいる。
床板は歪み、踏みしめるたびにぎしぎしと嫌な音を立てた。
壁はひび割れ、風が吹けば崩れ落ちてもおかしくない。
「……これは」
アーノルドの低い声が、わずかに震えた。
奥の方では、小さな子供たちが身を寄せ合っている。
痩せ細った体、擦り切れた衣服。
それでも彼らは、見知らぬ二人に対して怯えながらも、どこか期待するような目を向けていた。
「ナヴェット、その人たちは……?」
か細い声とともに現れたのは、一人の老婆だった。
背は曲がり、白髪は乱れているが、その瞳には確かな理性と優しさが宿っている。
「院長先生……この人たち、助けてくれて……」
「……そうですか」
老婆はゆっくりと頭を下げた。
「ナヴェットが助けていただきありがとうございます。
私は、この孤児院の院長を務めております、ベイクドと申します」
「アウルルと申しますわ」
「アーノルドだ」
簡潔な名乗り。
ベイクドは二人を見て、何かを察したように目を細めた。
「……何か孤児院に用があるようですね」
「ええ、まあ」
アウルルは柔らかく微笑む。
「少し、お話を伺ってもよろしいかしら?」
◇
話は、すぐに核心へと至った。
「……この場所を、明け渡せと?」
アウルルの声は穏やかだったが、その奥には冷たいものがあった。
「はい……アクーオという男が、ここ一帯を仕切っていて……」
ベイクドは疲れたように息を吐く。
「今までは……何も要求されることはありませんでした。ですが、最近になって急に……金を払えと」
「払えなければ?」
「子供たちを追い出し、この建物も壊すと……」
沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、アーノルドだった。
「……ふざけるな」
低く、押し殺した怒り。
「そもそも、この孤児院はどうやって運営してる」
「それは……以前は、公爵家からの援助が……」
「“以前は”? 今はどうなってる」
「……届いておりません」
その一言で、空気が凍りついた。
「おかしいだろうが」
アーノルドの声が一段低くなる。
「公爵家の予算には、孤児院への支援金が計上されてるはずだ。止まる理由がねぇ」
「ですが……現に、ここには何も……」
「誰かが不正をしてやがる」
ドン、と壁に拳を叩きつける寸前――
「アーノルド様」
すっと、アウルルがその腕に触れた。
「落ち着いてくださいませ」
「だが――」
「そんな筋肉隆々の方が声を荒げたら、みなが怖すぎますわ」
ぴたり、と動きが止まる。
「……」
子供たちがびくっと震えているのが見えた。
アーノルドは舌打ちし、小さく息を吐く。
「……悪かった」
短くそう言って、腕を下ろした。
アウルルは満足そうに頷くと、再びベイクドへ向き直る。
「これは……調査が必要ですわ」
「調査、ですか……?」
「ええ。この件、単なるチンピラの横暴では済みませんもの」
そして――ふと、思いついたように言った。
「アーノルド様、一つ提案がございますわ」
「あ?」
「公爵家の“離れの屋敷”……マチャドラが作ったもの、ございましたでしょう?」
「……ああ。無駄に広い土地と屋敷だな」
「そこを、この子たちに解放してみてはいかがでしょう?」
「何?」
アーノルドが目を細める。
「広さは十分。建物も、ここよりは遥かにましなはずですわ」
「……まあな」
「さらに、あの土地に農地を作るのですわ」
「農地?」
「ええ。自給自足ができる環境を整えれば、最低限の生活は安定しますわ。
さらに、勉強を教えたり、職業訓練を行うことも」
アウルルの瞳が鋭く光る。
「施しだけではなく、“生きる力”を身に着けるのですわ」
「……なるほどな」
アーノルドは腕を組み、しばし考える。
そして――
「悪くねぇ」
短く言った。
「やるか」
「ええ、やりましょう」
その言葉に、ベイクドが目を見開いた。
「あ、あなた方はもしや……」
「ええ。今はお忍びなので秘密にしてください」
アウルルは唇に人差し指を当てながら微笑む。
「あと、もう少しだけ、時間をいただきますわ」
◇
その日のうちに、二人は公爵邸へ戻った。
そして――即座に動く。
「ヘルナンデス、いるか」
「ここに」
現れたのは、公爵家の執務を取り仕切る騎士団時代からの親友にして部下。
「予算の見直しをするぞ」
「……孤児院の件だな」
「ああ。それと、金の流れも全部だ。どこで消えてるか突き止める」
「大変な作業だ。総動員体制での対応です」
そこからは早かった。
帳簿の精査。
支出の追跡。
関係者の洗い出し。
そして――浮かび上がった名前。
「……アクーオ」
報告書を見ながら、アーノルドが吐き捨てる。
「やっぱりか」
「はい。裏で資金を横流しし、その上で孤児院の土地を狙っていたようです。酷い悪党ですな」
「クズだな」
机を叩く。
「潰すぞ」
「すでに騎士団の準備は整っております」
ヘルナンデスは淡々と言った。
「行くぞ」
◇
夜。
アクーオの屋敷は、静かに包囲された。
「突入!」
号令とともに、扉が破られる。
「な、なんだ!?」
慌てふためく男たち。
だが――抵抗は無意味だった。
アーノルドが先頭に立ち、次々と制圧していく。
「アクーオはどこだ」
「ひ、ひぃっ! お、奥に」
蹴り飛ばされた男が叫ぶ。
奥の部屋の扉を蹴破ると――
「なっ……お前は……!」
肥え太った男が、顔を青ざめさせていた。
「終わりだ」
アーノルドの一言。
その後は、あっけなかった。
証拠は揃い、悪行は暴かれ、アクーオはその場で拘束された。
◇
数日後。
「これで、少しは街も落ち着いたかもしれねぇな」
アーノルドは肩を回しながら言った。
隣には、アウルル。
孤児院の移転準備も順調に進んでいる。
だが――
「いえいえ」
アウルルは、くすりと笑う。
「そんな簡単な話ではありませんわ」
「……あ?」
「本当の“裏のボス”は、別にいるものですわ」
その笑みは――どこか冷たかった。
「この程度で終わるほど、世の中は甘くありませんもの」
静かに、しかし確信を持って言う。
アーノルドは一瞬だけ黙り――
「……領地改革はまだまだってことだな」
口の端を吊り上げた。
「じゃあ、そいつも叩き潰すだけだ」
「ふふ……頼もしいですわ」
こうして。
街の闇は一つ、暴かれた。
だがそれは――
ほんの、入り口に過ぎなかった。




