第三話 アーノルドとヘルナンデスの禁断の愛
第三話 禁断の噂
一週間後の朝食後。
帝都にあるマルセイユ公爵家の屋敷には、奇妙な空気が流れていた。
(……なんだ、この感じは)
アーノルドは廊下を歩きながら、眉をひそめる。
視線がおかしい。
それに明らかにいつもより視線の数が多いのだ。
すれ違う女性の使用人たちが、ちらりとこちらを見る。
そして、通り過ぎた後に背後から小さく何かを囁き合うのだ。
目が合うと、嬉しそうに、にやっと口元を緩める女性もいた。
どういうことなのだ?
一体、何が起きているのか?
「セバス、ちょっといいか?」
耐えきれなくなり、すれ違いざまに顔を合わせた、顔なじみの
執事セバスを呼び止める。
「屋敷の雰囲気がおかしい。一体、何があったのか?」
「い、いえ……わたしからは何も……」
だが執事は、どこか気まずそうに目を逸らした。
(明らかにおかしい! 絶対に何かあるな)
だが、言葉を濁すのみで真相に辿りつけない。
その正体がわからない。
考えても仕方ない。
事務仕事は山のようにあるのだ。
今日も執務室でいつものように事務作業に入る。
そのときだった。
――バンッ!!
「お兄さま!!」
扉が勢いよく開いた。
「ユー二フルム!?」
飛び込んできたのは、18歳になる妹のユー二フルムだった。
淡い金髪を振り乱し、顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
普段は気品ある令嬢の面影など、一切ない。
妹をこんなに慌てさせる何かが起きているのか!
アーノルドは、大きな事件を感じ、何事かと心配げに妹を見つめる。
しかし、返ってきたのは、予想していたのとは、まったく違う反応だった。
「お兄さま、ひどいですわ……!」
「な、何がだ!?」
突然、責められる。
ただ事ではない妹の様子に、アーノルドは思わず立ち上がる。
「わたくしの婚約者を……!」
「……婚約者を?」
一瞬、理解が追いつかない。
だが――
次の言葉で、すべてが崩壊した。
「ヘルナンデス様と、そんな乱れた関係だったなんて……!」
「…………は?」
思考が停止した。
完全に。
ヘルナンデスと俺が乱れた関係……。
「……待て」
ようやく絞り出した声は、ひどく動揺していた。
「どういうことだ」
「屋敷中で噂になっていますわ!」
ユー二フルムは大粒の涙をこぼしながら叫ぶ。
「お兄さまとヘルナンデス様が、恋人同士だって!」
「誰がそんな馬鹿なことを……」
「お姉様に白い結婚を宣言した理由が、人には言えない禁断の恋人がいて!」
「……っ」
心臓が嫌な音を立てる。
ありえない。
恐ろしすぎる話だ。
「屋敷内は、その噂でもちきりですわ。お兄さまとヘルナンデス様との禁断の恋で!」
(……こ、これは悪役令嬢アウルルの仕業だ)
一瞬で理解した。
初夜の会話。
あの妙に意味深な言葉。
『禁断の愛、ですものね』
そして――あの舐めるような視線。
(全部、繋がった……!)
「違うぞ!!」
アーノルドは思わず叫んだ。
「そんな事実は一切ない!」
「でも……でも……!」
ユー二フルムは首を振る。
「最近ずっとヘルナンデス様と一緒にいますし……!」
「それは仕事だ!」
「毎日会ってますし!」
「仕事だからな!!」
「筋肉のぶつかりあいとか……!」
「そんなのは知らん!!」
叫び合いになった。
だが、ユー二フルムの涙は止まらない。
「……最低ですわ」
「なっ」
「わたしの婚約者なのに、まさか、お兄さまに奪われるなんて……!」
「だから違うと言っているだろう!」
「もう知りません!!」
叫んで、ユー二フルムは、部屋を飛び出した。
「お兄さまの馬鹿ぁぁぁ!!」
バタン!!
扉が勢いよく閉まる。
そのまま廊下を駆け出す音が響く。
そして、静寂。
「……なんでこうなったのだ」
アーノルドは、ゆっくりと椅子に座り込んだ。
完全に、冤罪である。
それと同時に自分の男としての人生が終わった感じがした。
◇
「……つまり」
数分後。
呼び出されたヘルナンデスは、腕を組んで考え込んでいた。
「僕とアーノルド様が恋人同士、という噂が広がっていると」
「そういうことだ」
「しかも禁断の愛」
「そうだ」
「なるほど」
ヘルナンデスは、静かに頷いた。
「地獄ですね」
「他に言いようがあるか?」
「ありませんね」
即答だった。
執務室には深刻な沈黙が流れた。
そして。
「……誰が広めたんでしょうか」
「決まっているだろ」
二人同時に言った。
「「アウルル(様)だ」」
完全に一致した。
◇
「呼びましたか?」
その日の夕刻。
執務室に現れたアウルルは、いつも通り優雅だった。
何事も知らないかのように。
「……単刀直入に聞く」
アーノルドは低く詰問する。
「屋敷で妙な噂が流れている」
「まあ」
アウルルは、驚いたように目を見開いた。
「それは大変ですわね」
「他人事のように言うな」
「違うのですか?」
「何がだ」
「アーノルド様とヘルナンデス様が恋人同士、というお話ですわ」
「お前だな!?」
即座に断定した。
だが、アウルルは、にこりと微笑むだけだった。
「わたくしは、ただお二人の愛を察しただけですわ」
「何をだ!」
「お二人の関係を」
「仕事の上司と部下以外に何もない!!」
机を叩くアーノルド。
だが、アウルルは一歩も引かない。
むしろ――
楽しそうだった。
「白い結婚」
「……」
「意味深な発言」
「……」
「そして、毎日の密会」
「仕事だ!!」
「さらに、筋肉のぶつかり合い」
「ぶつかってない!!」
完全に会話が噛み合っていない。
ヘルナンデスは、こめかみを押さえた。
「奥様」
「はい?」
「その推理は、どこから導かれたのですか」
冷静な問い。
するとアウルルは、少しだけ首を傾げながら呟いた。
「だって」
一呼吸おいてから。
「白い結婚を提案された時点で、アーノルド様に愛する方がいると……」
「……はい?」
「そして、屋敷内にいる方だと推測しましたわ」
「え? どういうことだ」
「旦那様が公爵になられて、連れてきた方と言えば、ただ一人だけですわ」
「ま、まさかそんな理由で……」
「そうですわ——」
にっこりと笑う。
「それにお二人、とてもお似合いですわ」
「やめろぉぉぉ!!」
絶叫だった。
屋敷中に響くほどの。
だが。
アウルルは、まったく動じない。
むしろ、満足げに頷いた。
「やはり、この反応……確信に変わりましたわ」
「何がだ!!」
「この尊い二人のご関係を王都中にも広めるべきですわ」
「やめてくれ!!」
「公爵家発、禁断の純愛物語……」
「やめろと言っているだろう!!」
もう遅かった。
アーノルドは、本能で理解する。
(こいつ……止まらない)
この女は。
完全に、楽しんでいる。
そして。
(俺の人生が終わる……)
冗談ではなく、社会的に。
そのとき。
「……一つ、質問があります」
静かに口を開いたのは、ヘルナンデスだった。
「なんだ」
「奥様の誤解を解くべきかと」
アーノルドは、食い入るように見る。
「それはどういうことだ?」
「アーノルド様が原因で、奥様は怒られているのかと」
ヘルナンデスは、困った顔でアーノルドを見て、苦笑した。
「奥様に、真実を語ってください」
「……真実とは?」
「ええ、格好つけずに話した方がいいです」
ちらりとアウルルを見る。
彼女は興味深そうに首を傾げている。
「つまりですね」
ヘルナンデスは続けた。
「アーノルド様は、見た目の強そうな姿に対して、残念な中身なのです」
「……は?」
嫌な予感しかしない。
だが、アウルルの目が、
キラリと輝いた。
(……あ、まずい)
アーノルドは直感する。
これは。
さらに面倒な方向に進む。
そしてその予感は――
見事に的中するのだった。




