表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「アウルル、お前を愛することはない」と初夜で白い結婚を告げた公爵アーノルドは、悪役令嬢アウルルにざまあされてしまう。  作者: 山田 バルス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第二話 アウルルの謎の行動、筋肉は尊い

第二話 筋肉は尊い



 それから数日後。


 マルセイユ公爵家の執務室には、紙をめくる音だけが静かに響いていた。


「……多いな」


 アーノルドは、机に積み上がった書類の山を見て、愚痴るように呟いた。


「当然ですよ、公爵様ですから」


 向かいに座る青年が、さらりと返す。


 青い髪に緑色の瞳、整った顔立ち、軽やかな物腰。そして、筋肉質の身体。

 ヘルナンデス=ランス、二十二歳。


 伯爵家三男にして、かつて騎士団でアーノルドと肩を並べた戦友である。


「領地の立て直しをどうするか? 財源不足をどうするのか? 魔物討伐への対処……」


「言うな。頭が痛くなる」


 思わず額を押さえるアーノルド。


 つい半年前まで、彼は戦場で剣を振るう騎士だった。

 それが今では、公爵として領地経営に追われている。

 正直、公爵家は兄が継ぐ予定だった。そう割り切って、剣術の腕を磨いていた。

 それが叔父の策略によって父と兄が他界し、突然、自分が跡を継ぐことになった。

 書類仕事などまったく自分には向かないのである。

 それでもアーノルドは、愚痴りながらもなんとか業務をこなしていた。


「助かる。お前がいなければ、確実に破綻しているところだった」


「そういえば、騎士団時代は、アーノルド様は魔獣討伐が優秀でしたからね。

 書類は僕がやれば済んでいましたね」


 ヘルナンデスは懐かしむように軽く笑った。


 実際、その通りだった。

 彼は数字にも書類にも強く、アーノルドの弱点を見事に補っている。


 そして何より――信頼できる。


 公爵家が一度奪われたあの時も。

 周囲が距離を置く中で、最後まで寄り添ってくれたのが彼だった。


「……借りが多いな」


「今さらですよ」


 そう言って、さらりと書類に目を戻す。


 そのときだった。


 ――コンコン。


「失礼いたしますわ」


 扉が開き、柔らかな声が室内に響いた。


 現れたのは、悪役令嬢と噂の美しい銀髪の少女。


 アウルル=リール侯爵令嬢にして、今は、アーノルドの新妻となったアウルル=マルセイユ。


「お仕事の合間に、休憩はいかがでしょうか?」


 後ろには侍女たちの姿が見える。

 手際よくテーブルが整えられ、執務室に紅茶の香りが広がる。


「……ああ、ありがとう」


 形式的に礼を述べるアーノルド。


 だが、その直後。


 背筋がぞっとした。そう違和感に気づく。


(……まただ)


 アウルルは、動かずじっとしている。


 いや――


 その場からは動いてはいないが、違う。


 視線が動いているのだ。


 彼女は、じっと二人を観察するように見比べている。


 アーノルドを舐めるように見つめ、

 そして、次にはヘルナンデスを。


 交互に。

 じっくりと。

 まるで、品定めでもするかのように。


(……なんだ、この空気は)


 妙な沈黙が流れる。


 さすがのヘルナンデスも、わずかに困ったような笑みを浮かべた。


「奥様、お気遣いありがとうございます」


「いえいえ」


 にこり、と微笑むアウルル。


 だがその笑みが――


 妙に不気味である。何かぞわっとするような視線なのだ。


 何かを想像しているような、気味が悪い圧があった。


「……何か言いたいことがあるのか?」


 耐えきれず、アーノルドが口を開く。


 すると。


 アウルルは、ゆっくりと頬に手を当て――


 うっとりとした表情になった。


「筋肉のぶつかり合いは尊いですわ」


「……は?」


 一瞬、思考が止まる。


「鍛えられた肉体同士のぶつかり合い……」


 語り始めた。


「特にお二人のように、実戦を経験された騎士の身体は――まさにご褒美ですわ。

 それだけでご飯三杯はいけそうです」


「……ヘルナンデス」

「ええ、意味がわかりませんね」


 顔を寄せて、小声で確認し合う二人。


 だが、アウルルは嬉しそうに話が止まらない。


「赤と青の対比も素晴らしいですわ……視覚的にも完成されています」


「ヘルナンデス、色の話になったぞ」

「なぜか? 背筋がぞっとするのですが……」

「奇遇だな。俺もだ……」


 もはや何を言っているのか分からない。

 アーノルドはとりあえず紅茶を口に運ぶ。

 落ち着こうとした、そのとき。

 ふと気づく。


(……ぞぞぞとする)


 視線が。

 やけに熱い。

 再びアウルルを見ると――


 トロンと下目遣いで恍惚な表情を浮かべて、二人を観察していた。


 恐ろしいことを想像しながら、

 何かよからぬことを考えているような予感がした。


(……なんだこれは)


 背筋がぞぞぞぞとする。

 戦場でも感じたことのない、不気味さ。


「……筋肉同士の激しいぶつかり合いは、尊いですわ」


 ぽつり、と呟くアウルル。

 満足げに小さく頷く。


「では、ごゆっくり」


 それだけ言って、優雅に一礼。

 そして――そのまま侍女たちと共に去っていった。

 扉が閉まる。

 二人だけになった執務室に沈黙が広がる。


 しばらく呆然とした後。


「……アーノルド様」

「ああ」

「奥様は何をなさっているのでしょうか」

「俺が聞きたい」


 アーノルドの心に不気味な感じだけが残った。


 ◇


 ――だが。

 それで終わりではなかった。


 翌日。


「失礼いたしますわ」


 来た。

 そして。


「筋肉のぶつかり合いは尊いです」


 恍惚の表情を浮かべながら、アーノルドたちの背筋をぞっとさせられた後、帰っていく。


 翌々日も。

「本日はご主人様が下になるのが、素晴らしいですわ」

 わけのわからないことを言って、帰った。


 さらにその次の日。

「本日はご主人様が攻める方で、素敵ですわ」

 にやりと笑みを浮かべて帰って行く。


「……」

「……」


 完全に日課になっていた。

 しかもまったくコメントの意味がわからない。

 彼女は一体、何をしに来ているのか?


「……僕たち、ぞっとする感じに観察されていませんか」

「間違いなくされているな」


 アーノルドは断言した。

 あの絡み取るような視線。

 あの満足げな恍惚した表情。

 どう考えても、ただの挨拶ではない。


「しかも、妙にわけがわからない言葉を発しています」

「筋肉はわかるが、上とか下とか、攻めとか受けとか……」

「なんなのでしょうかね」


 背筋をぞっとさせながら、沈黙が広がる。

 そして。


「……なんか怖いな」

「ええ、正直、ぞっとします」


 二人同時にため息をついた。

 だが――。


(それだけじゃない)


 アーノルドは、内心で考える。

 あの探るような視線。

 あの何かを想像するような恍惚とした満足した表情。

 どこかで見たことがある。


 そう――


(あれは獲物を観察する者の目だ)


 我々は彼女に見られている。

 敵を見る目ではない。

 そして、信仰の対象でもない。

 もっと別の。

 何かを楽しもうとするような、そう、狂った研究者のような眼差し。


(……何を考えているのだ)


 アウルル=リール。いや、今はアウルル=マルセイユか……。


 冤罪ですべてを失いどん底から名誉を回復した元悪役令嬢。

 だが今の彼女は――

 そのどれとも違う。

 断罪される前と後では、噂とまったく別人なのである。

 驚くほどの変貌ぶりに、まったく彼女が理解できない。


 だが確実に。

(何かを企んでいる)

 そう思わずにはいられなかった。


 そしてその予感は――

 数日後、現実となる。

 それも。


 最悪の形で。


 ――アーノルドの常識を、完全に破壊する形で。

 このときの彼は、まだ知らなかった。

 自分がこれから巻き込まれるのが――


 戦場よりも厄介で、

 政治よりも読めず。


 そして何より、

 逃げ場のない――

 男なら不名誉な、ぞっとするような騒動であることを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ