第二十四話 エリオット王太子の恋
第二十四話 エリオット王太子の恋
マルセイユ公爵領地にある公爵邸の夜。
昼の喧騒が嘘のように静まり返り、マルセイユ公爵家の屋敷は柔らかな灯りに包まれていた。
深緑の芝生が広がる中庭、その隣に面したウッドデッキのテラス席。
山からの涼やかな初夏の風が、カーテンをゆるやかに揺らす。
その一角で、変装したままの金髪のエリオット王太子はグラスを手に、どこか上の空だった。
そこには、赤髪のアーノルドと銀髪美人のアウルルも同席していた。
「……おい」
向かい側から声が飛ぶ。
「聞いてるのか、エリオ」
声の主は赤髪の厳つい体格のアーノルドだ。
腕を組み、じっとエリオットを睨んでいる。
「聞いているとも」
そう返しながらも、エリオットの視線は、星々が煌く夜空へと向けられていた。
「どう見ても聞いてねえな」
「ふふ……まあ、そうだな」
素直に認め、エリオットは小さく息を吐く。
そして――
「アーノルド、今、わたしは胸が張り裂けそうな思いなんだ」
静かに、しかし、どこか熱を帯びた声で続けた。
「今日、出会った素敵な女性、フローの話をしてもいいかな?」
その言葉に、アーノルドは露骨に顔をしかめる。
「……色ボケしてる場合か!」
「まあまあですわ」
隣に座るアウルルが、くすりと笑った。
「どのような方だったのですか?」
その問いに、エリオットの表情が変わる。
まるで宝物を語るかのように――柔らかく、優しく。
「蒼い髪に、紫の瞳をしている」
「……それは素敵ですわね」
「少し不安そうにしていたが、笑うと……驚くほど可憐でな」
思い出すだけで、自然と頬が緩む。
「フランセ語には不慣れでな、必死に周囲を見回している姿が可愛くて……」
「エリオ、それは迷子だろ」
「まあ、そうとも言う」
アーノルドの言葉に苦笑しつつも、すぐに真剣な顔に戻る。
「だがな、アーノルド。あれはただの偶然じゃない」
「はあ?」
「出会うべくして出会った――まさに運命の出会い」
断言だった。
アーノルドは呆れたようにため息をつく。
「……重症だな」
「否定はしない」
即答だった。
「彼女は素晴らしい」
迷いなく言い切る。
「話していて心地よい。知識もある。感性も近い。何より――」
一瞬、言葉を止める。
「……彼女をもっと知りたいと思った」
ぽつりと落ちたその言葉に、空気が少しだけ静まる。
アウルルが微笑みながら問いかける。
「その方は、どちらのご出身で?」
「プロイセ帝国だ」
その瞬間、アーノルドの眉がぴくりと動いた。
「……よりにもよって、またか」
アーノルドが訝し気に低い声を発する。
エリオットも、それには小さく頷く。
「分かっている。今のフランセ王国とプロイセ帝国の関係は微妙だ」
マリーネット王妃の王族に対する毒殺未遂事件もあり、両国の空気は決して穏やかではない。
「だからこそ――」
エリオットは、グラスを見つめた。
「パーティーが終われば、彼女は帰国するだろう」
その言葉に、ほんのわずかな苦味が滲む。
「……それを考えると、胸が辛い」
珍しく弱音だった。
アーノルドは腕を組んだまま、じっとその様子を見ている。
「まさか、一目惚れなのか?」
「……ああ」
否定しなかった。
むしろ、どこか清々しいほどだった。
そのやり取りを見ていたアウルルが、ふと口を開く。
「ですが――」
二人の視線が集まる。
「その方、マリーナ様のお友達なのですよね?」
「ああ、そう言っていたな」
「でしたら」
アウルルは、優雅に微笑んだ。
「夏休み中なのではありませんか?」
「……何?」
エリオットの目がわずかに見開かれる。
「フランブルク侯爵家のマリーナ様は、現在こちらに長期滞在予定ですわ」
「つまり――」
「お友達であれば、同じようにしばらく滞在される可能性もある、ということですわ」
その言葉に、エリオットの思考が一気に回り始める。
「さらに言えば」
アウルルは続けた。
「数人程度であれば、夏の間、当家に滞在していただくことも可能ですわ」
「……本当か?」
思わず身を乗り出すエリオット。
「ええ」
優雅に頷く。
「明日、マリーナ様にお話をしてみましょうか?」
その一言で――
エリオットの表情が、ぱっと明るくなる。
「……助かる」
心からの声だった。
そして、ふっと笑みを浮かべる。
「やはり君は頼りになるな、アウルル」
「光栄ですわ」
柔らかく返すアウルル。
その様子を見て、アーノルドは額に手を当てた。
「……おい」
「なんだ?」
「まさかとは思うが」
じとっとした視線。
「婚約者がいないからって、そのまま口説くつもりじゃないだろうな?」
ストレートすぎる指摘だった。
だが――
エリオットは、ゆっくりと首を振る。
「今は違う」
「今は? 将来はどうなるか、わからないってことか?」
「……今はただ、彼女のことをもっと知りたいだけなんだ」
真剣な声。
「それ以上のことは、何も考えていない」
そう言いながらも――
その目は、どこか遠くを見ている。
アーノルドは、その表情を見逃さなかった。
「……どう見ても恋に落ちた顔してるぞ、お前」
ため息交じりに言う。
エリオットは、わずかに苦笑した。
「この胸の苦しみが恋なのだとすれば、そうなるだろう」
「色ボケが!」
アーノルドの厳しい返しだった。
しばしの沈黙。
夜風が三人の間を通り抜ける。
やがて――
「まあいい」
アーノルドが肩をすくめた。
「面倒ごとにだけはするなよ」
「善処しよう」
「いや、絶対に我が領地で面倒は起こすな!」
アーノルドは怒気交じり告げた。
そのやり取りに、アウルルがくすりと笑う。
「明日が楽しみですわね」
「ああ」
エリオットは静かに頷く。
胸の奥に、確かな期待を抱きながら。
(フロー……)
彼女の名を、心の中で繰り返し、至福の表情を浮かべるエリオット。
初夏の夜。
まだ始まったばかりの想いが、静かに、しかし確かに――
彼の中で大きくなり始めていた。




