第二十話 マチャドラ元公爵の転落
第二十話 マチャドラ元公爵の転落
――数日後。
ドルトムンナ侯爵家別館の一室。
重厚な机の前に座るマチャドラのもとへ、一人の男が通された。
「……戻ったか」
低く呟く。
現れたのは、フランセ王国の王都に潜ませていた密偵だった。
外套を脱ぎ、膝をつく。
「ご報告に参りました」
「話せ」
短く命じる。
密偵は顔を上げ、はっきりと告げた。
「マルセイユ公爵、アーノルド様は――死亡が確認されております」
「……そうか」
マチャドラは、ゆっくりと目を閉じた。
胸の奥にあった最後の不安が、すっと消える。
それと同時に喜びの気持ちがじわりと溢れ出した。
(やはり、ヤンガンはやり遂げたか)
あの男の腕は信じていた。
だが相手は“赤髪の悪魔”と呼ばれていた我が甥である。
完全に信じ切るには、わずかな不安が残っていたのも事実だった。
だが、これで確定した。
「……続けろ」
「はっ。第一王子エリオット殿下ですが――」
一瞬、間が空く。
「重体。回復の見込みは薄いとのことです」
「……ほう」
マチャドラの口元が、ゆっくりと歪む。
「そうか……そうか」
思わず笑みが漏れた。
アーノルドの排除。
そして、エリオット王子の重体。
自分の前に立ちはだかっていた最大の障害が、すべて消えたのだ。
「……ご苦労だった。下がれ」
「はっ」
密偵が去る。
部屋に静寂が戻る。
だが、その静寂は、これまでとは違っていた。
「くく……くくく……!」
抑えきれぬ笑いが、喉の奥からこみ上げてくる。
「ついに、だ……!」
立ち上がる。
その蒼い瞳は、野心に燃えていた。
「すべてが、整った」
かつて失った地位。
エリオット王子によって奪われたマルセイユ公爵の座。
それが、再び我が手に戻るのだ。
「準備をしろ」
使用人に命じる。
「フランセ王国へ向かう」
◇
数日後。
豪奢な馬車が、フランセ王国の王都へと入った。
マチャドラ元公爵、娘のベルマッタ、そして、フリーランド第二王子。
三人は、勝利を確信して満面の笑みを浮かべていた。
「ふふ……ついに、この日が来ましたわね」
ベルマッタが窓の外を見ながら、うっとりと呟く。
「ああ」
フリーランドが笑う。
「これで王位は俺のものだ」
その言葉に、マチャドラも静かに頷いた。
(すべて、予定通りだ)
――そう、思っていた。
やがて馬車は、ベルサイユ王城の前で止まる。
重厚な門。
整然と並ぶ衛兵たち。
だが、その空気に、わずかな違和感があった。
(……妙に、静かだな)
歓迎の喧騒がない。
どこか張り詰めたような空気。
だが、それを深く考える前に――
「お待ちしておりました」
一人の男が現れた。
王城の侍従と思しき男が、深々と頭を下げる。
「殿下、そしてマチャドラ様にベルマッタ令嬢。こちらへ」
丁寧な口調。
だが、その表情には感情がない。
(……まあいい)
マチャドラは軽く頷き、歩き出す。
長い廊下。
赤い絨毯。
重厚な扉。
そして――
「こちらでございます」
案内された先は、謁見の間だった。
扉が、ゆっくりと開かれる。
中へと足を踏み入れた、その瞬間――
「……なっ」
マチャドラの足が、止まった。
そこにいたのは。
「ようこそ、お越しくださいました」
玉座の前に立つ、一人の青年。
金髪に蒼い瞳。
「エリオット殿下……!?」
思わず声が漏れる。
重体のはずの第一王子が、そこに立っていた。
しかも、その姿は――
(……健康そのもの、だと?)
青ざめるマチャドラ。
さらに――
「久しいな、叔父上」
低く、落ち着いた声。
その声の主に視線を向けた瞬間、マチャドラの思考は止まった。
「……アーノルド……?」
そこにいたのは。
死んだはずの、現マルセイユ公爵。
赤髪のアーノルドだった。
「馬鹿な……!」
フリーランドが叫ぶ。
「ありえん! 確かに――!」
言葉が続かない。
そして、さらに――
「見苦しいぞ」
重厚な声が、空間に響く。
玉座の奥。
ゆっくりと歩み出てきたのは――
「……国王、陛下……」
寝たきりのはずの、フランセ国王だった。
完全に、立っている。
その威圧感は、かつてと何一つ変わらない。
(……終わった)
その瞬間、マチャドラは悟った。
すべてが、崩れ落ちた。
「マチャドラ元公爵」
エリオットが静かに口を開く。
「アーノルド公爵暗殺未遂、王家転覆の共謀、並びに毒物による暗殺計画への関与」
一つ一つ、言葉が突き刺さる。
「すべて、証拠も証人は揃っている」
「……」
反論は、できなかった。
できるはずがなかった。
すべてが――見抜かれている。
「衛兵」
その一言で。
周囲の扉が一斉に開かれる。
武装した兵士たちが、なだれ込んできた。
「なっ……!」
フリーランドが後ずさる。
「馬鹿な! 母上が許すわけがない!」
「王妃マリーネットは、すでに拘束されている」
エリオットが淡々と告げる。
「王族牢にて、罪を償うことになるだろう」
「……なんだと……?」
フリーランドの顔が、絶望に染まる。
「貴様らも同様だ」
冷酷な宣告。
「マチャドラ、ベルマッタ――貴族牢へ」
「フリーランド第二王子――王族牢へ拘束する」
「やめろ……! 離せ!!」
フリーランドが暴れる。
だが、衛兵たちに押さえつけられる。
「いや……いやですわ……!」
ベルマッタが泣き崩れる。
「わたくしは王妃になるはずでしたのに……!」
その声が、虚しく響く。
そして――
マチャドラは、抵抗しなかった。
ただ、静かに立ち尽くしていた。
(……なぜだ)
思考が、ゆっくりと巡る。
(なぜ、こうなった)
すべては、順調だったはずだ。
アーノルドは死んだ。
エリオットは倒れた。
国王も、もはや長くはない。
だから――動いた。
(……違う)
その瞬間、気づく。
(すべて……最初から……)
ヤンガンの報告。
密偵の情報。
エリオットの重体。
すべてが――
「罠、だったのか……」
ぽつりと、呟く。
アーノルドは生きていた。
エリオットは倒れていなかった。
国王も、すでに回復していた。
自分は、それに踊らされ――
「……くく」
力なく笑う。
「愚か、だったな……」
もっと慎重であるべきだった。
違和感に、従うべきだった。
だが、自分は――
(焦ったのだ)
失った地位を取り戻すために。
栄光を取り戻すために。
その結果が――これだ。
「連れていけ」
衛兵に腕を掴まれる。
抵抗はしない。
そのまま、両腕を掴まれたまま歩き出す。
視界の端で、アーノルドがこちらを見ていた。
その目は、冷静で――どこか哀れみすら含んでいた。
(……ああ)
マチャドラは目を閉じた。
(負けたのだ)
完全に。
そして――
(すべてを、失った)
かつての栄光も。
未来も。
すべてが、崩れ去った。
「……はは」
乾いた笑いが、漏れる。
「これが……わしの末路、か……」
その声は、誰にも届かぬまま。
マチャドラ元公爵たちは、静かに闇の中へと連れていかれたのだった。




