第十八話 王妃マリーネットの復讐
第十八話 王妃マリーネットの復讐
フランセ王国のベルサイユ王城、煌びやかな王妃の寝室に、王妃の姿があった。
ああ、なんて滑稽で、なんて愚かな国なのでしょう。
わたくし、マリーネット=プロイセは、静かに笑みを浮かべながら、王宮の窓辺に立っていた。
遠くに見える庭園は、今日も美しく整えられている。
だが、その美しさは、この国の本質を覆い隠すための虚飾に過ぎない。
すべては、あの日から始まった。
父であるプロイセ帝国皇帝から告げられた、一方的な命令。
「フランセ王国へ嫁げ。これは帝国のためだ」
その一言で、わたくしの人生は決められた。
わたくしには、すでに婚約者がいた。
マインツ侯爵家のブッフォン。
誇り高く、誠実で、そして何よりもわたくしを愛していた男。
けれど、それもすべて奪われた。
婚約は一方的に破棄され、わたくしは、同盟の駒として異国へ送られたのだ。
皇族に個人の自由はない。帝国のために生きるのが使命。
そんな絶望的な言葉を父である皇帝から受け、送り出された。
南の国フランセ王国へ。
あの冷たい男のもとへ。
初めて会った夜のことを、わたくしは決して忘れない。
フランセ国王は、冷たい目でわたくしを見下ろし、こう宣言した。
「お前を愛することはない。だが、同盟のために子は必要だ」
実に王族らしい、愛などない、ただの義務。
情などない、事務的で無機質な契約。
その言葉の通り、彼はただ“役目”を果たした。
温もりも、優しさも、そこにはなかった。
そして翌年、第二王子フリーランドが生まれた。
それで終わりだった。
「子は一人いれば十分だ」
その言葉とともに、わたくしは完全に不要な存在へと成り下がった。
王は、元より愛していた伯爵出身の元正妃エリーヌのもとへ通い続けた。
わたくしは、王妃でありながら、ただの飾り。
誰からも必要とされぬ、空虚な存在。
……いいえ。
違う。
それを認めてはいけない。
それを受け入れれば、わたくしは……。
だから、考えた。
わたくしの生きる理由を。
わたくしの怒りの矛先を。
なぜ? わたくしが犠牲にならなければならない……。
愛する人から引き離されてまで。
正直、わたくしの犠牲の上で成り立つ同盟など、わたくしにはどうでもいい。
なぜ? わたくしは、ここに存在しているの……。
わたくしだって、こんな国になど来たくなかった。
あんな氷のような冷たい王と婚姻を結びたくなどなかった。
なぜ? あの男は、わたくしにあんなに冷たくできるの?
わたくしが何をしたというの……。
すでに王妃がいた場所に乗り込んだのは、わたくしの意思ではないのに……。
ねえ、教えて、誰か教えてくださらない……。
その時、わたくしの中で何かが、はっきりと形を成したのだ。
それは、心の底から湧き出る沸々とした憎悪。
静かに、確実に燃え上がる、消えることのない憎悪の炎。
あの男も。
あの女も。
すべて、壊してしまえばいい。
まず手をつけたのは、側妃エリーヌだった。
彼女は美しく、柔らかく、それでいて愚かだった。
王の寵愛に溺れ、自分が特別だと信じて疑わない。
だからこそ、簡単だった。
わたくしは母国から取り寄せた。
“パリスグリーン”と”ある遅滞性の毒”プロイセ帝国の一部の者しか知らない秘密の毒を用いた。
まずパリスグリーンは、ただ美しいだけの顔料ではない。
鮮やかな緑。
目を奪うほどの輝き。
だがその正体は、ゆっくりと命を蝕む毒。
エリーヌの部屋の壁を、その色で塗らせた。
「まあ、なんて素敵な色でしょう」
彼女は愚かにも無邪気に笑っていた。
その笑顔が、どれほど滑稽だったことか。
日々、彼女はその部屋で過ごし、知らぬ間に毒を吸い込み続ける。
それから遅効性のある毒を、エリーヌの侍女の家族を人質にとり脅迫し、エリーヌに飲ませた。
そして、ゆっくりと彼女はわけもわからないうちに衰えていく……。
やがて。
原因不明の病に倒れた。
医師たちは首をひねり、神官の治癒魔法も効果はなかった。
結果、誰一人として真実には辿り着けない。
当然だ。
これは、わたくしだけが知る“死”なのだから。
そして、エリーヌは静かに息を引き取った。
まずは一人目。
次は、あの男だ。
フランセ国王。
だが、彼は少し厄介だった。
幼少期から毒の訓練をしているようで、免疫力があるようだ。
だからこそ、わたくしは“時間”を選んだ。
母国から取り寄せた、別の遅毒性の毒。
即効性はない。
だが、確実に身体を蝕み、じわじわと命を削る。
食事に、酒に、ほんのわずかずつ混ぜ続けた。
気づかれぬように。
疑われぬように。
ゆっくりと、ゆっくりと。
年月が過ぎた。
最初は、ただの疲れだと彼は言った。
次に、体調不良。
やがて、長引く倦怠。
そして——
今。
ついに彼は、床に伏している。
王宮はざわつき、医師たちは慌ただしく行き交う。
だが、その顔には困惑しかない。
原因が分からないのだ。
当然だ。
それは病ではない。
わたくしだけが知る毒なのだから。
「陛下のご容体は……芳しくありません」
侍女が震える声で報告する。
わたくしは静かに頷いた。
「そう……それは、心配ね」
そう言いながら、内心では冷たい笑みが広がる。
ようやく。
ようやくここまで来た。
すべてを奪った男が、すべてを失おうとしている。
愛も、力も、命さえも。
窓の外では、風が吹いていた。
庭の花々が揺れる。
そして、今朝、朗報が入った。
第一王子のエリオットが倒れたのだ。
わたくしが仕込んでいた毒が効いたようだ。
これでわたくしの母国プロイセ帝国に避難していた息子フリーランドを呼び戻せる。
フリーランドは、まだ若い。
だが、マチャドラが公爵位に戻り、その娘と婚姻すれば、すべては上手く行くだろう。
アウルルなどという侯爵家ではなく、公爵家なら身分も申し分ない。
わたくしは、フリーランドの潜伏先に向けて手紙を書く。
そして、侍女に命令し、それを送るように指示を出した。
これですべて解決した。
邪魔な国王とエリオットが消えれば、次の王は、フリーランドだ。
わたくしを邪険にしたこの国に、復讐する時がきたのだ。
愛を奪われた女が、何をするか。
冷酷に扱われたわたくしが、再び表舞台にでる。
わたくしが輝くことが、あの愚かな国王への復讐なのだ。
彼らはわたくしを見なかった。
だから、こうなった。
「これで、ようやく終わりですわ」
誰に聞かせるでもなく、わたくしは呟いた。
目的を達成した。
やり遂げたのだ……。
それは、復讐の終焉……。
だがなぜか——
わたくしの心の中には、深い虚しさだけが残っていた。




